心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

風景のなかに思想が見える

2007-05-06 13:10:17 | Weblog
 この連休は、前半は部屋の引越し作業、後半は家族との小旅行と、久しぶりに仕事から解放された日々を過ごしました。そして連休最後の今日は、朝から雨が静かに降っています。静かな時間が流れています。それはある種、贅沢な時間でもあります。音楽を聴きながら部屋の後片付けをしたり本を読んだりと、徐々に仕事モードへの切り替えを始めています。
 ところで、部屋の引越し作業をしているときに見つけた本があります。2001年の秋に放送されたNHKラジオ第二放送の「こころをよむ」シリーズのテキストです。タイトルは「新しい哲学への冒険」で、上巻が「理想を語ること」、下巻が「決断すること」です。講師は桑子敏雄先生でした。その後のわたしが「風景」という言葉にこだわりを持ったのも、実はこの講座がきっかけでした。 このテキストの表紙をめくると、口絵の最初に「風景のなかに思想が見える」という見出しで、こんな言葉が添えてあります。「風景の向こうに何が見えるだろうか。制度に縛られた眼で見るのではなく、解放された自己の眼で見る。そのとき、風景と自己は共に変化する。今までとは違った意味をもつ風景のなかで、ひとは自分の行為をどう選択し、決断するのだろうか」と。講座の中では「配置と履歴の感性論の立場から風景と人間の関係を捉える」ことの意味をお話しになりました。何よりも感心したのは、学説解釈に終始する学会の動きとは一線を画し、「行動を起こすための哲学、生きた知識としての哲学」を提唱されたことでした。
 それまで「哲学」といわれるものについて勉強したことはありましたが、あくまでも知識としての学問にすぎなかったことを思うと、なんとも新鮮な驚きをもって聴講していたことを思い出します。高度経済成長からバブル崩壊に至る時代を生き抜いてきた人々が、何かしらぼんやりと「不安」「迷い」を抱いていた時期に、自らの足場を確認していく勇気をいただきました。このテキストを、わたしは連休中に再読しました。この講座との出会いが、その後の読書遍歴に大きな影響を与えていることを改めて思いました。それが野中郁次郎先生の「知識創造」経営に繋がっています。単なる読書ではなく「行動を起こすための哲学、生きた知識としての哲学」へと繋がっています。.......
 雨の日は、ひとを内省的にするもののようです。愛犬ゴンタも小屋の中でじっとしています。雨が止んだら何をしようかと思案しているのでしょう。いったんは空間のなかに身をおいて、自己を相対化してみる。すると、その先が見えてくる。もういちど冷静に見つめなおしてみたいと思っています。
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