心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

京都の夜桜

2008-04-06 10:12:59 | Weblog
 春のそよ風にのって花びらが舞い始めました。でも、丘の上には、ソメイヨシノのような華やかさはないけれど、一本の山桜がひっそりと咲いています。その素朴な花姿に本居宣長を思いました。
 ところで、昨日は所要のために上洛しました。京阪三条駅を降りると、たくさんの人・人・人の波です。三条大橋を渡りながら、土曜休日とお花見がうまく重なったためであろうことを思いました。わかっているようでも、季節は、わたしの思うよりも早い足取りで進んでいます。
 京都に行ったついでに少し河原町界隈を散策しました。CDショップ清水屋で手にしたのは、チェチーリア・バルトリの「マリア」です。これまでベッリーニの歌劇「ノルマ」などを通じて、その素晴らしさは承知しているつもりですが、メゾソプラノ歌手のCDを手にしたのは初めてでした。さっそく、きょうは朝から聴いています。声域の違いなのでしょうが、少し暗めの声質というか、力強さというべきか、ぐっと心に迫ってくる声量がソプラノとは違った味わいを楽しませてくれました。
 と、春の陽気につられて綴っているようでも、心の中は実は平穏でもないのです。昨日の研究会で、非常に大きな課題をいただいて、以後、少し悶々としています。それは薄々いや当然に承知していたことでした。30数年の間、同じ職場に勤めてきて、何かおかしい、どうもおかしいとぼんやりと思いながら、先日、「不機嫌な職場~なぜ社員同士で協力できないのか」(講談社現代新書)に目を通したとき、はたと気づいたことでした。それが現実の問題として浮上してくると、なんとも悩ましい限りなのです。人が集まり、様々な経験を経て徐々に形成されていった職場の風土、行動様式に風穴をあけようなんて、そんな大それたことはできるわけがないという自分がいます。一方では、同じ汗をかくのであれば、その先に明るい未来を描き切ることができなければ、それは、組織の自己満足を助長するに過ぎない。そう思う自分がいます。いずれにしても、いつまでも放置できる課題ではないのです。どうやら、わたしにとっては最後のご奉公となる具体的な課題となりそうです。でも、こういう深いテーマは、討ち死に覚悟でないと駄目なんでしょう。きっと。
 昨夜は、京都の夜桜を楽しみもしました。ほろ酔い気分で散策した高瀬川の夜桜のなんと素晴らしかったことか。「日本の春」を堪能するに十分な京の夜桜でした。夜桜風景を撮影しておけばよかったのですが、残念ながらアップしたのは、三条大橋の上から眺めた鴨川べり、もう1点は夕方の高瀬川界隈の写真です。
コメント    この記事についてブログを書く
« 桜花に小休止 | トップ | 「春」に想う »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿