心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

秋も半ば

2014-11-16 00:19:25 | Weblog

 急に寒くなってきましたので、数日前からコートを着用しています。「日本の七十二候」を紐解くと、立冬・次候・「地始凍」(ちはじめてこおる)。早朝の地面に霜柱が降りる意ですが、久しく霜柱なんて見たことがありません。そんな秋の一日、数週間前に蒔いたホウレンソウの畑を覗くと、こんなに育っていました。春菊も同じです。早く間引きをしなければ。
 そう言えば、先日、東京の甥が送ってくれた写真の中に、親戚の田圃の中で彼と一緒に撮った中学校時代の写真がありました。時季は定かではありませんが、亡き姉は東京に暮らす子供たちに田舎の雪景色を見せたかったのでしょう。遠い遠い昔の風景でした。徐々に寒さが増す季節になります。
 話は変わりますが、7インチタブレットを鞄に入れて持ち歩くようになって、スマホの利用頻度がぐんと落ちたので、先週の日曜日、ガラケーを求めて街を歩きました。でも、何軒か回って辿りついたのはY!mobileでした。とりあえず1Gコースで申し込みました。機種は、次男君がソフト開発に携わっているものにしました。そして1週間、利用データ使用量を調べてみると、想定の範囲内でした。結果、タブレット(格安SIMカード)とY!mobileの月額利用料は、以前のスマホ利用料よりも下がりました。初老のおもちゃとしてはこの程度でよいのでしょう。
 さて、13日の朝日新聞で「ローマの皿は倭に通ず」と題した記事に目がとまりました。奈良県橿原市の新沢千塚古墳群(5世紀後半)から出土したガラス皿の化学組成が、ローマ帝国領内で見つかったローマ・ガラスとほぼ一致したというニュースです。同じ古墳から見つかった円形切子ガラス括碗は、ササン朝ペルシャの王宮宮殿のものと一致したともありました。
 二千年前、モノとヒトの移動は「歩く」という基本的な動作の中で十分に機能していたことになります。一方、便利になりすぎた現代人は、何か大きなものを置き忘れているのかもしれません。そんなことを考えながら、先週も塩野七生きんの「ローマ人の物語」(38巻「キリスト教の勝利)を鞄に入れて歩きました。
 そうそう、村上春樹さんの毎日新聞単独インタビュー記事を取り寄せました。「弧絶」を越え理想主義へ、という大見出しの横に例の「日本の問題は責任回避」という小見出しがあります。混沌が平常の状態になってきた時代状況の中で、軸の喪失がおそらくキーワードになっているといい、「理想主義は人と人とをつなぐものですが、それに達するには、本当にぎりぎりのところまで一人にならないと難しい」と。また、近著に触れて、「若い時の孤独はあとで埋め直したり取り戻したりできるけど、ある年齢以上になると、孤独は「弧絶」に近いものになる。そういう風景みたいなものを書いてみたかった」と。さりげない言葉の一つ一つに奥深いものを感じてしまいます。これが村上春樹さんの魅力なんでしょう。きっと。「ローマ人の物語」を読み終えたら、もう一度、村上作品に戻ってみましょう。
  明日の日曜日は、元気なら、紅葉の始まった京都でもぶらぶらしてみようかと思っています。そんなわけで、土曜の夜遅く、ブログの更新に取り掛かりました。そうそう、来週の日曜日は、愛犬ゴンタ爺さんの15歳のお誕生日です。

 

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