心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

地域との絆

2006-12-10 13:15:07 | Weblog
 師走の慌しさを横目に、昨日今日と久しぶりに連休を楽しんでいます。休日返上で忘年会をこなしながら、まだまだ続く年末行事に備えて少し小休止といったところでしょうか。昨日は朝からベートーヴェンの「第9」を鳴らしながら、音楽雑誌に目を通したり、レコードを磨いたり。最近は比較的静かな曲を好んで聴いていますが、年末はやはり「第9」が良く似合う。そんなことを思いながら、ゆったりとした時間を過ごしました。
 そうそう、先日、東京に日帰り出張したとき、新幹線の車窓から雪帽子を被った富士山を見ました。裾野は穏やかな天候につつまれているのに、山頂付近は真っ白な雪が積もっている風景は何とも凛々しいものでした。やはり富士山は美しい山です。微動だにすることなく、どっしりと構え、人間たちの行動をときどき心配しながらも温かい眼差しで見つめている。神々しい、何かそんな印象を受けました。
 神といえば、先日、田舎の友人から一通の手紙が届きました。内容は神社保存募金のお願いでした。古事記にも登場するほどの来歴をもつ、わたしの田舎の古い神社が、だんだんと管理が手薄になって荒廃が進む現状を放置できない、なんとか助けてくれ、という窮状が書き綴られていました。「改修に浄財呼びかけへ」と題する新聞記事も同封してありました。小さい頃、友人と一緒に神社の境内でよく遊びました。夏や秋のお祭りは楽しみのひとつでした。そんな懐かしい風景が浮かんできます。町会議員でもある彼に、早速、電話を入れて、話を聞きました。彼の郷土に対する熱い思いがひしひしと伝わってきました。自分のためではなく、世のため、人のために努力を惜しまない、そんな彼の行動をある意味、羨ましくも思いました。さっそく翌日、幾ばくかの募金をいたしました。
 戦後の民主教育を受けて育ったわたしたちは、「ムラ」社会に対して余り良い印象は持っていません。閉鎖社会、タコツボ社会、島国....。近代的な企業組織でさえも独特の「ムラ」社会を構成していることだってあります。それが談合というかたちで表面化する。だから、それは悪だと教わってきた。「ムラ」という狭い共同体のなかで育んできた独特の文化、行動様式を時代錯誤と受け止めた。でも、冷静に考えてみると、こんな安易な二元論的思考で良かったのかどうか。狭い個人主義の隘路に陥り、人間不信に陥り、隣近所、地域といった共同体を見失いつつはないか。
 最近の様々な出来事を思うと、須らく二元論的思考が、社会全体を狂わせているような気がしてなりません。「戦争」に対する総括が曖昧だったために、「二元論」という悪魔が闊歩してはいないでしょうか。親を愛せない人間、子を愛せない人間、どうしてこんな世の中になったのか。精神的な拠り所を見失い放浪する現代精神が気になります。戦後教育の在り方が問われているのは、案外、身近なところに解決すべき課題があるような気がします。それを政治問題化するから話がややこしなくなってしまいます。
 こんなことをつらつら考えならが、師走の日曜日の午前は、地元自治会の「餅つき大会」に汗を流してきました。ぜんざい、やきもち、きなこもち....。今日は昼食はなしと決めました。(^^♪
コメント