心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

春めく

2006-03-05 17:51:44 | Weblog
 きょうは「快晴」。明るい陽の光に目覚める贅沢な一日の始まりでした。朝食もそこそこに庭に出てみると、気づかないうちにクリスマスローズが満開です。ブルーベーリーの花芽も大きく膨らんで、長かった冬がそろそろ店じまいを始めた様子です。
 そんな陽気に誘われて、今朝は自転車に乗って近くのホームセンターに出かけました。熱帯魚の餌が少なくなってきたからなのですが、店先には花の苗がたくさん並び、ここだけはもう春一色でした。買い物を済ませたあと、ペットコーナーに立ち寄りました。お店の方針なのでしょうか、子犬、子猫、熱帯魚、淡水魚、爬虫類、小鳥たちが、手入れの行き届いた快適な環境の中で飼い主を待っていました。安心して見て楽しむことができました。
 午後は、愛犬ゴンタと一緒に畑仕事に励みました。一緒に花壇を耕し、土に力をつけるために肥やしを施し、枯れ草を集めて焚き火で燃やしながらの庭掃除でありました。ひと段落すると、折りたたみ椅子を持ち出して、しばしの休憩です。気がつけば、私もゴンタも柔らかな陽の下で、うとうととお昼寝でした。太陽のエネルギーを身体全身に浴びて、このところのイライラ感を癒すことができました。
 ここ数週間の休日は、白洲正子さんの生きざまに触れ、プッチーニの歌劇「タゥーランドット」を鑑賞する。そんな日を過ごしてきました。そのなかで印象に残っているのは、骨董好きの白洲さんの「目の前にあるものを妙な先入観や知識を持たずに、在るがままに見つめること」「見る目を鍛えること」という主旨のお話でした。ひとの知識を借りて鑑賞するのではなく、自分の目や耳を信頼して、ものを見つめ、その美しさを求める。ややもすれば、わたしたちは、レコードやCDのジャケットに書かれた解説を読んで、ある程度の先入観をもって、おもむろに音楽と対峙します。聴き終えて満足します。それで、本当に音楽の素晴らしさを実感しているのかどうか。いっそ、なにも見ないで、ただただ耳を澄まして音楽を聴く。その世界に没頭する。そこで初めて、その曲の「こころ」に接することができるのではないか。複雑な人間模様の中で見失いがちな「ひと」の在り様に思いを致した次第です。
 休日の静かな夕暮れどき、マルタ・アルゲリッチのレコード(バッハ「トッカータ ハ短調」「パルティータ第2番ハ短調」)を聴きながら、ブログの更新作業をしているのでした。
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