心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

信時潔という作曲家

2005-09-04 15:25:34 | Weblog
  「音楽は野の花の如く、衣装をまとわずに、自然に、素直に、偽りのないことが中心となり、しかも健康さを保たなければならない。たとえその外形がいかに単純素朴であっても、音楽に心が開いているものであれば、誰の心にもいやみなく触れることができるものである」(新保祐司著「信時潔」)。これは、信時潔が戦後まもなく音楽評論家の富樫康に語った言葉です。
 信時潔は、私が育った学校の校歌を作曲した人物です。それ以外は何も知りませんでした。ところが今夏、構想社から「信時潔」という本が出版されました。それで知ったことは、信時が山田耕作と並ぶ当時日本を代表する国民的作曲家であったこと、戦時中に第二国歌とまでいわれた「海ゆかば」(万葉集・大伴家持言立)を作曲したこと、昭和15年、皇紀2600年を祝して交声曲「海道東征」(作詞:北原白秋)を発表したこと、それに先立つ大正期に国の在外研究員として2年間ドイツに留学し西洋音楽を学んだこと、後期ロマン派の影響を受けながらも安易に流されることなく自らの音楽性を追及した明治生まれの質実剛健の人であったこと...。
 今年は終戦後60年を経過するひとつの節目の年にあたります。戦時中ラジオで毎日のように「海ゆかば」を聞いてきた世代にとっては、思い出したくない曲なのかもしれません。まさにそういう時代環境の中で生きたが故に、彼の音楽は長く「封印」されてきたようです。
 私はさっそく今年発売されたCD「海ゆかば」を手に入れて聴きました。ネット上に公開されている「海道東征」も聴きました。バッハのコラールを思わせる曲想、賛美歌、レクイエム。彼の生きた時代が悪かった。神話、国家、戦争責任、平和、政治と文化、政治と音楽....非常に複雑な思いがいたします。終戦を境に日本人はものの見方を大きく反転させました。その代わり、何か大切なものを失いもしました。「封印」を解く作業が復古主義や戦争を助長するためであってはなりませんが、隘路に陥りつつある日本の精神文化に道筋をつけるために避けて通れない課題でもあると思います。素直に、冷静に、作曲家・信時潔の再評価を試みたいと思います。
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