先日、お雛様の飾りを3月3日でさっさと片づけてしまうことを外国人の方がとても不思議に思って驚くという話を書きましたが、日本の文化は、季節の変化をとても強く意識する文化だと思います。季語を用いた歌を詠み、床の間の掛け軸やお茶花や着物など、四季折々の変化に合わせて、とっかえひっかえするのです。日本人は本当に季節に敏感だと思います。
このあいだ友人の結婚式があって、着物を着て行きました。着物の柄、これも季節に応じてかなり気を使わなければいけません。私の着物はすべて母からのお下がりですが、着物が大好きなので喜んで譲り受けています(とは言っても、なかなか着物を着る機会も時間もないのですが)。今回着た梅の柄の着物は1月、2月に着るもので、3月に入って着るものではない、と教わりました。実際の梅は3月でも咲くでしょうに。本当の季節より、ちょっとだけ先取りするのがいいらしいのです。季節外れの模様のものを着たりすると「あの方、何もご存じないのね」なんて言われてしまうらしいのです。
ところでクラシック音楽の生まれたヨーロッパはどんな気候なのでしょう。行ったことがないので、実際に体験したことはありません。ただ、色んな曲を聴いているとその曲の産まれた地域の季節感や風景、風土などが見えてくる、あるいは感じられてくる曲がたくさんあります。ドイツものにはやはり寒さ、モノトーンの冬、石造りの冷たい大きな建物などのイメージが湧いてくる曲が多いと思います。同じ寒さでもロシアものとなると、石というよりは土、広大な大地のイメージです。フランスものでようやく明るさが見えてきて、スペイン、イタリアへと情熱的になっていく。
ということで、色んなクラシックの名曲にも日本のそれぞれの季節に応じた、聴くにふさわしい時期、演奏するにふさわしい時期、というのがあるのではないかしら、と思うのです。
例えば梅雨の鬱陶しい頃に、バッハのミサ曲とかブラームスとかはちょっと重くて暑苦しくあんまり聞きたくなくなり、ドビュッシーとかを弾きたくなったりします。なんだか、そこに温度や湿度、明るさの違いがあるように感じるのです。
雛人形をきれいだからといって、一年中飾るということをしない文化をもつ私たち日本人ですから、クラシックの名曲も季節に関係なく弾いたり聴いたりするのではなくて、それにふさわしい時期というのを選んで楽しむというのもオツなものですね。
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ところでクラシック音楽の生まれたヨーロッパはどんな気候なのでしょう。行ったことがないので、実際に体験したことはありません。ただ、色んな曲を聴いているとその曲の産まれた地域の季節感や風景、風土などが見えてくる、あるいは感じられてくる曲がたくさんあります。ドイツものにはやはり寒さ、モノトーンの冬、石造りの冷たい大きな建物などのイメージが湧いてくる曲が多いと思います。同じ寒さでもロシアものとなると、石というよりは土、広大な大地のイメージです。フランスものでようやく明るさが見えてきて、スペイン、イタリアへと情熱的になっていく。
ということで、色んなクラシックの名曲にも日本のそれぞれの季節に応じた、聴くにふさわしい時期、演奏するにふさわしい時期、というのがあるのではないかしら、と思うのです。
例えば梅雨の鬱陶しい頃に、バッハのミサ曲とかブラームスとかはちょっと重くて暑苦しくあんまり聞きたくなくなり、ドビュッシーとかを弾きたくなったりします。なんだか、そこに温度や湿度、明るさの違いがあるように感じるのです。
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