Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

とんでもない社会の反撃

2012-01-23 | マスメディア批評
東京電力福島原子力発電所における事故調査の中間報告書への意見陳述の期限が迫っているので、主張の根拠となるドイツにおけるフクシマ報道を洗った。ドイツにおける報道といっても新聞以上に一般性の高い公共放送のニュース報道による一般常識となったフクシマの報道内容である。

つまり具体的には、当時見聞きした公共放送定時ニュースや特番で事故の状況が報道されて解説されて予想されていた内容である。つまりその内容を連邦共和国民は共有していたことになる。もちろんそれが、事故数日内に始まった脱原発への政治的な流れを左右したことは間違いない。

しかしここで興味あるのはそうした報道による連邦共和国の世論の動きではなくて、日本国内と同じ情報を基にしての様々な立場を超えた事故の影響の予想と今後の進展に関する専門家の見解としての視聴者の共有認識である。

ここ二週間ほどで、十分に予想されていたことであるが、もはや政府転覆しか日本の民主化への道はないと思わせる政府のサヴォタージュ行動の証拠と原子力むらの猛反撃が次々と報道されている。

SPEEDI情報の逸早くの外務省を通じての合衆国への情報提供などは、首相官邸の地下まで来ていた情報が誤解まで伝わらなかったなどという子供騙しのような釈明が如何に破廉恥なことであるかを証明しているようなものである。

それどころか、今後はこうした市民を動揺させるようなSPEEDI情報は避難の基礎情報として使わないとするような政府見解を出して、既に犯したサヴォタージュの罪を帳消しにしようと躍起になっているのは官僚組織とそれに乗っかる政府である。

ストレステストの傍聴に申し込んでいた市民が直接の傍聴を妨げられて、会議に出席の委員たちが開かれた議論がないなら意味がないとして退席する騒ぎをして、枝野が市民団体を批判するような恥さらしこそが、まさしく「直ちに健康には影響がない」として多くの善良な市民を被曝させた前官房長官の悪徳そのものなのである。ああした政治家を刑務所に送らずして日本の民主化などは成立しない。

東京電力が経営困難から電気料金を上げることに関して、被害者救済のために東京電力を生かしておくというのが枝野が何度も発言していた言い訳であるが、政府が肩代わりしている資金を、発送電分離とその試算の整理で自由市場から集めることこそが経済市場の民主化にこと必要なのは明らかなのである。

事故調査委員会の中間報告書を読んでいて、イライラが募るのは、こうした背景事情がそこに明白に表れているからであり、そうした理不尽で不条理な社会に生きていけないと日本の市民権などは維持できないのであろう。とんでもない社会である。



参照:
セシウムも降り注ぐマイホーム 2012-01-07 | アウトドーア・環境
日隅一雄のジャーナリズム 2012-01-16 | BLOG研究
東電との如何わしいスクラム 2011-06-26 | 歴史・時事
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