週末に訪ねた独日修交150周年記念の展示について忘れないうちに書き留める。二種類の展示があったのだが、双方ともそれなりに満足が出来るものであった。
メモを見ずに何を思い出すかといえば、昨晩おかしな夢を見た、獄門磔の写真だろうか?子供ではないのだが、話で聞いたり絵で見り、芝居で見るのとはやはり印象が違った。興味深かったのは、イエスキリストのようにきちっと腕を広げられて足を括って支えていることで、そうした視点で見ると明治の獄門磔にしては歴史的な雰囲気があった。
明治政府の法務大臣であった江藤新平が権力闘争に敗れて最終的に梟首になったなどと読んで、なんと当時は野蛮なことをしていたことかと思っていたが、写真を見て若干印象が変わった。
一言で言えば現在も中共や北朝鮮などで盛んに行われている公開処刑やナチスドイツがやったようなギロチン刑などとはまた違って、歴史文化的なそれを感じたといっても良いだろうか。言葉を変えれば、やはり首切り族の儀式やイスラムのそれなどとはまた違った古代性のようなものである。
そうした特殊性をそこに見出すと、どうしても現在の日本政府や政治家や官僚がやっているような政権闘争もやり口もなにも明治初期のそれと殆ど変わらないように思われる。聞屋と呼ばれる全くジャーナリズムとは甚だ無関係な連中が首に群がるような様子も同じであろう。
自由報道協会の授賞式があって、大賞日隅一雄賞を岩上安身が受賞した。授賞理由などは一切明かされず、受賞者本人も語るように「むちゃくちゃな賞」かもしれないが、報道という面では途轍もないことをやり遂げたことは偽りも無い事実であろう。報道を超えて、ネットの民主化とか自由化では様々な試みが行われているが、正しくコンテンツこそが問題があって、現在のインターネットの世界でWIKI以外にそれ以上の素晴らしい内容が浮かばないぐらいだ ― YOUTUBEとか言っても殆どは他人の著作権や隣接権を侵害した中で成立しているだけで、そこには創造などは殆ど見つからない。他人の権利を侵害しておいて、自由も権利もあったものではない。
偶々、3.11があったことからNHKがネット放送を止めてからは岩上のIWJは唯一の中継メディアであって、他の映像提供メディアの商業性とは一線を隠してジャーナリズムとして無料中継を断行した。合同会見が取りやめになってから、体制が変わってコンテントは一部有料になったが、そんなことよりも、昨年の6.11中継などで威力を発揮した市民がネットワークして中継する可能性を確立したことは画期的であり、今後とも大きな可能性を秘めたネットワークに他ならないのである。
なるほど授賞理由を挙げて、それを分析していくと優に一冊の専門書が掛けるほどの業績であり、むしろジャーナリズムを超えたネット文化として岩上安身のIWJの活動を評価すべきであろう。
参照:
自由報道協会賞大賞に「日隅一雄」の冠をいただいたことの私的な意義〜現実と希望 (情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士)
IWJ6 2012/01/27 11:20 (IWJ)
日隅一雄のジャーナリズム 2012-01-16 | BLOG研究
日本社会の民主化に向けて 2011-10-11 | マスメディア批評
中継のネット配信の面白さ 2011-05-23 | マスメディア批評
メモを見ずに何を思い出すかといえば、昨晩おかしな夢を見た、獄門磔の写真だろうか?子供ではないのだが、話で聞いたり絵で見り、芝居で見るのとはやはり印象が違った。興味深かったのは、イエスキリストのようにきちっと腕を広げられて足を括って支えていることで、そうした視点で見ると明治の獄門磔にしては歴史的な雰囲気があった。
明治政府の法務大臣であった江藤新平が権力闘争に敗れて最終的に梟首になったなどと読んで、なんと当時は野蛮なことをしていたことかと思っていたが、写真を見て若干印象が変わった。
一言で言えば現在も中共や北朝鮮などで盛んに行われている公開処刑やナチスドイツがやったようなギロチン刑などとはまた違って、歴史文化的なそれを感じたといっても良いだろうか。言葉を変えれば、やはり首切り族の儀式やイスラムのそれなどとはまた違った古代性のようなものである。
そうした特殊性をそこに見出すと、どうしても現在の日本政府や政治家や官僚がやっているような政権闘争もやり口もなにも明治初期のそれと殆ど変わらないように思われる。聞屋と呼ばれる全くジャーナリズムとは甚だ無関係な連中が首に群がるような様子も同じであろう。
自由報道協会の授賞式があって、大賞日隅一雄賞を岩上安身が受賞した。授賞理由などは一切明かされず、受賞者本人も語るように「むちゃくちゃな賞」かもしれないが、報道という面では途轍もないことをやり遂げたことは偽りも無い事実であろう。報道を超えて、ネットの民主化とか自由化では様々な試みが行われているが、正しくコンテンツこそが問題があって、現在のインターネットの世界でWIKI以外にそれ以上の素晴らしい内容が浮かばないぐらいだ ― YOUTUBEとか言っても殆どは他人の著作権や隣接権を侵害した中で成立しているだけで、そこには創造などは殆ど見つからない。他人の権利を侵害しておいて、自由も権利もあったものではない。
偶々、3.11があったことからNHKがネット放送を止めてからは岩上のIWJは唯一の中継メディアであって、他の映像提供メディアの商業性とは一線を隠してジャーナリズムとして無料中継を断行した。合同会見が取りやめになってから、体制が変わってコンテントは一部有料になったが、そんなことよりも、昨年の6.11中継などで威力を発揮した市民がネットワークして中継する可能性を確立したことは画期的であり、今後とも大きな可能性を秘めたネットワークに他ならないのである。
なるほど授賞理由を挙げて、それを分析していくと優に一冊の専門書が掛けるほどの業績であり、むしろジャーナリズムを超えたネット文化として岩上安身のIWJの活動を評価すべきであろう。
参照:
自由報道協会賞大賞に「日隅一雄」の冠をいただいたことの私的な意義〜現実と希望 (情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士)
IWJ6 2012/01/27 11:20 (IWJ)
日隅一雄のジャーナリズム 2012-01-16 | BLOG研究
日本社会の民主化に向けて 2011-10-11 | マスメディア批評
中継のネット配信の面白さ 2011-05-23 | マスメディア批評










ここでお知らせしようと予定していましたが
先に見て頂き恐縮です。菩提樹の歌のあの
井戸の写真も紹介しようとしましたが何時の
記事か失念しました。
日独(ドイツでは独日)修好150年の去年は震災の
おかげで多くが中止となり残念でした。
昨日の講義に出たドイツ好きの友人は特に
落胆していました。行く予定だったそうです。
今でも公開処刑の国があるとは驚きました。
海外はもとより昔は日本も切腹、介錯は公開
していたのですが・・・
菩提樹の強い影に潜む 2007-06-16 | 文学・思想
http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/f74e18ad59f22a0bd442b2fa00f9cb51
こちらでも中止や延期があって残念と言う話もありますが、個人的には「中止せよ」の意見で、プロシアとの関係と誤った法制導入こそが現在の日本の惨憺たる社会の基礎になっていると考えています。この点は改めて纏めます。上の展示も前大統領の臨席の下に開催されたのでした。
切腹・介錯の公式な立会いの意味と、斬首の曝す意味での公開の意味は全く異なると思いますがどうでしょう。
日本に入ると違ったものになるのはこれに
限りませんね。
仏教でも東南アジアとは全く違ったものに
なっていますし・・・
立会いの切腹は、神聖な儀式でしたから
やはり曝し首とは異なりますね。
プロシアの絶対君主制を取り入れたのですが、既にその時点で故意に半世紀ほど古い感覚を引き継いでいます。啓蒙主義の欠損などが福沢らの意識に既に挙がっていたのですね。
切腹は江戸時代においてはやはり重要な社会的な定めでしたので、現在の刑法以上の意味をもっていたのでしょう。強いては江戸幕府体制を強固に維持するために切腹は公であったわけですね。
ゆえに上の江藤新平は士族でしたから切腹でなければいけなかったのですが、梟首にしたのはある意味そうした江戸の体制が崩壊したことを示しているのでしょう。