イアン・ブルマの多文化主義への見解が載っている。氏の見解は、ここでも何度も扱っているがそれはなにも購読紙のゲストコメンテーターと云う理由からではない。寧ろ、氏の説明や視点のあり方は、予てから巧く表現出来ない事象に解析を加えているからであって、極東の社会政治への見識やオランダ出身ながら新大陸からの視点も保持しているから、引用するには大変便利な見解であるのが理由として挙がる。しかし氏が多文化主義を語る際は、その新大陸的な気風と旧大陸から持ち運んだ大気を嗅ぎ別けなければいけないかも知れない。
オランダの実状について語っている。興味深いのは、オランダのフリーセックスや麻薬やロックンロールへの寛容などは1960年代の解放に始まったもので、本来は国民は皆、プロテスタントにせよ、カトリックにせよ、各々の教会や共同体に属して政治的な姿勢をも決定していたと云う。それどころか、援助を受けた宗派別の学校組織やスポーツ愛好組織に別れていていた。しかしそれは、厳格であっても、決して急進的な原理主義ではなかった。戦前までは、現在のモスリム以上に新旧教間の混合はなかったと云う。
つまり世界から渇望される寛容の精神は、1970年代からの世界に冠たるリベラリズムとして、余所者ムスリムを放任していったのである。その結果が先年来の度重なる暗殺劇であり、現在フランス・ドイツ・英国に比べてムスレムへの反感は強くなっている。
しかし、オランダには過激な排他主義は存在した事も、存在する事もないとする。暗殺された同性愛者の右翼政治家フォルテゥン氏でさえ、ただただ女性解放と同性愛の権利を侵すものとして、モスリム移民を非難した。イェルク・ハイダーやジャン・マリー・ルパンとは大きく違うと云う。
そして今、人気政治家「鉄のリタ」ことリタ・ヴェルドンク女史は、「ブルカは公共の場では禁止して、全てのオランダ人は町中ではオランダ語のみを喋る事を義務付け、警官は不法滞在外国人検挙のノルマ達成に報奨金を受け取るようにしたい。」と発表した。
これに対して、筆者は、「オランダは西欧他国と比較すればやはり歴史的に寛容であったのは、デカルトの亡命やスペインやポルトガルのユダヤ人やフランスユグノーの受け入れなどを見れば判る」として、寛容と国際主義との差異を説いている。
しかしこの歴史的背景説明は、些か日向ばかりに焦点を当てたもので、オランダ人の強欲な日陰部分をあざとく避けているように思える。
そして、ロンドンやパリの国際都市と辺境のアムステルダムでは比較が出来ないので、移民達の問題を真剣に考えることなく、寛容をモットーとして余所者に国際主義的同等の主張を認めることもなくやってきた事を批判する。
これは、筆者の云う通り、リベラルとは面倒なものを「放って置く」と云う態度である。それを著者はさらに次のように喩える。
オランダ人は、「ゲゼルへイド」と云う社会のクラブを組織していて、お客様も移民者が占め出されたと感じるときに初めてその温かみを感ずることが出来るのだとする。そしてこれはフランスや米国の共和制と違う、法律では表れない文化的次元での形態としている。
つまり、感傷的なモナヒズムや家族的な絆をもった秘密クラブのようなものである。だからこそ、移民者がこの温かなクラブに入り込む事は大変難しく、たとえ其処で生まれ育ち、多くのガールフレンズがいようが、結局は疎外感からイスラム過激派の殉教死とアイデンティティーへと導かれる若者を理解出来ると云う。
そこで、筆者は提案する。モロッコやアナトリアの村出身の男性達は、彼らの女性達を現代欧州のようには扱え無いなら、または同性愛への考え方が我々の社会のようで無いなら、彼らは批判されるべきであり、他者が彼らの見解を批評したり嘲笑したりする他者の自由を、また自らの言論の自由を習うべきであるとする。
この筆者が語っているのは、つまり、西欧の価値観を議論する素地を準備して、「彼らの文化的後進性や低水準を責めるのではなくて、受け入れの気持ちを伝えるのが良い。」と正直な意見である。
しかし、「ただの寛容よりも国際主義を、― それを以って多文化主義を守る最善策としているのが ― システムよりも法律よりも先ず文化の問題として自覚しろ」と云うのが、この筆者の視点である。イアン・ブルマ氏の多文化主義とは、米国的な水で薄められたワインのような文化なのか、それともオランダ特製の野放図な文化なのか、それとも地政的なローカリズムなのか、一体何なのか良く解らない。
寛容への一定の制限をオランダ国民が受け入れる素地はあるのか、その文化的 先 進 性 を後進させる事が果たして可能なのか、隣人を正すだけで自らを悔悟出来るのかと疑問は吹き上がる。
話し合いの場を持つならばお互いに譲歩する必要がある。誰が、一方的に教示を受け、悔い改めるだけならば、そのような場に喜んで進み出ようか。結局は、植民地時代のオランダの巧い商売のやり方である。一方ではモナヒズムをからかわれて、一方では同性愛を認めさせようとするばかりか堕胎や尊厳死まで合法化するように、なにかあれほどまでに明快な極東分析をする筆者の先が定まら無い矛先の 鈍 さ までが、オランダ人の特異性のような気がするのである。現代のモナヒズムの文化的曖昧さを暗に示しているのだろうか。
テオ・ファン・ゴッホ事件を扱った新著「MURDER IN AMSTERDAM」が好評発売中である。
参照:
リベラリズムの暴力と無力 [ 歴史・時事 ] / 2004-11-06
キッパ坊やとヒジャブ嬢ちゃん [ 歴史・時事 ] / 2004-11-06
固いものと柔らかいもの [ 文学・思想 ] / 2005-07-27
苔生した貴腐葡萄の苦汁 [ 試飲百景 ] / 2006-10-21
止揚もない否定的弁証 [ 歴史・時事 ] / 2006-10-07
歓喜の歌 終楽章 [ ワールドカップ06 ] / 2006-07-01
オランダの実状について語っている。興味深いのは、オランダのフリーセックスや麻薬やロックンロールへの寛容などは1960年代の解放に始まったもので、本来は国民は皆、プロテスタントにせよ、カトリックにせよ、各々の教会や共同体に属して政治的な姿勢をも決定していたと云う。それどころか、援助を受けた宗派別の学校組織やスポーツ愛好組織に別れていていた。しかしそれは、厳格であっても、決して急進的な原理主義ではなかった。戦前までは、現在のモスリム以上に新旧教間の混合はなかったと云う。
つまり世界から渇望される寛容の精神は、1970年代からの世界に冠たるリベラリズムとして、余所者ムスリムを放任していったのである。その結果が先年来の度重なる暗殺劇であり、現在フランス・ドイツ・英国に比べてムスレムへの反感は強くなっている。
しかし、オランダには過激な排他主義は存在した事も、存在する事もないとする。暗殺された同性愛者の右翼政治家フォルテゥン氏でさえ、ただただ女性解放と同性愛の権利を侵すものとして、モスリム移民を非難した。イェルク・ハイダーやジャン・マリー・ルパンとは大きく違うと云う。
そして今、人気政治家「鉄のリタ」ことリタ・ヴェルドンク女史は、「ブルカは公共の場では禁止して、全てのオランダ人は町中ではオランダ語のみを喋る事を義務付け、警官は不法滞在外国人検挙のノルマ達成に報奨金を受け取るようにしたい。」と発表した。
これに対して、筆者は、「オランダは西欧他国と比較すればやはり歴史的に寛容であったのは、デカルトの亡命やスペインやポルトガルのユダヤ人やフランスユグノーの受け入れなどを見れば判る」として、寛容と国際主義との差異を説いている。
しかしこの歴史的背景説明は、些か日向ばかりに焦点を当てたもので、オランダ人の強欲な日陰部分をあざとく避けているように思える。
そして、ロンドンやパリの国際都市と辺境のアムステルダムでは比較が出来ないので、移民達の問題を真剣に考えることなく、寛容をモットーとして余所者に国際主義的同等の主張を認めることもなくやってきた事を批判する。
これは、筆者の云う通り、リベラルとは面倒なものを「放って置く」と云う態度である。それを著者はさらに次のように喩える。
オランダ人は、「ゲゼルへイド」と云う社会のクラブを組織していて、お客様も移民者が占め出されたと感じるときに初めてその温かみを感ずることが出来るのだとする。そしてこれはフランスや米国の共和制と違う、法律では表れない文化的次元での形態としている。
つまり、感傷的なモナヒズムや家族的な絆をもった秘密クラブのようなものである。だからこそ、移民者がこの温かなクラブに入り込む事は大変難しく、たとえ其処で生まれ育ち、多くのガールフレンズがいようが、結局は疎外感からイスラム過激派の殉教死とアイデンティティーへと導かれる若者を理解出来ると云う。
そこで、筆者は提案する。モロッコやアナトリアの村出身の男性達は、彼らの女性達を現代欧州のようには扱え無いなら、または同性愛への考え方が我々の社会のようで無いなら、彼らは批判されるべきであり、他者が彼らの見解を批評したり嘲笑したりする他者の自由を、また自らの言論の自由を習うべきであるとする。
この筆者が語っているのは、つまり、西欧の価値観を議論する素地を準備して、「彼らの文化的後進性や低水準を責めるのではなくて、受け入れの気持ちを伝えるのが良い。」と正直な意見である。
しかし、「ただの寛容よりも国際主義を、― それを以って多文化主義を守る最善策としているのが ― システムよりも法律よりも先ず文化の問題として自覚しろ」と云うのが、この筆者の視点である。イアン・ブルマ氏の多文化主義とは、米国的な水で薄められたワインのような文化なのか、それともオランダ特製の野放図な文化なのか、それとも地政的なローカリズムなのか、一体何なのか良く解らない。
寛容への一定の制限をオランダ国民が受け入れる素地はあるのか、その文化的 先 進 性 を後進させる事が果たして可能なのか、隣人を正すだけで自らを悔悟出来るのかと疑問は吹き上がる。
話し合いの場を持つならばお互いに譲歩する必要がある。誰が、一方的に教示を受け、悔い改めるだけならば、そのような場に喜んで進み出ようか。結局は、植民地時代のオランダの巧い商売のやり方である。一方ではモナヒズムをからかわれて、一方では同性愛を認めさせようとするばかりか堕胎や尊厳死まで合法化するように、なにかあれほどまでに明快な極東分析をする筆者の先が定まら無い矛先の 鈍 さ までが、オランダ人の特異性のような気がするのである。現代のモナヒズムの文化的曖昧さを暗に示しているのだろうか。
テオ・ファン・ゴッホ事件を扱った新著「MURDER IN AMSTERDAM」が好評発売中である。
参照:
リベラリズムの暴力と無力 [ 歴史・時事 ] / 2004-11-06
キッパ坊やとヒジャブ嬢ちゃん [ 歴史・時事 ] / 2004-11-06
固いものと柔らかいもの [ 文学・思想 ] / 2005-07-27
苔生した貴腐葡萄の苦汁 [ 試飲百景 ] / 2006-10-21
止揚もない否定的弁証 [ 歴史・時事 ] / 2006-10-07
歓喜の歌 終楽章 [ ワールドカップ06 ] / 2006-07-01
シティーホテルの宿泊税は覚えが無いですが、クーア地はドイツでも税金を取られますね。その代わりクーアハウスは割引とか。会期中価格も何処も同じようなものですが、アムステルダムなどは世界からの客人を捌く意味もあるのかもしれません。
同じベネルクスでもドイツ語圏を旅行すると圧倒的にオランダ人が多いです。同じように裕福でもスイス人とは違って、良く言えば大らかな感じが本当の豊かさなのかとも思います。
ベルギーはご存知のように子供が被害者になる事件やシンジケートがありましたから、子供たちは気を張り巡らしているのかもしれません。実際、アムステルダムの大変怖い町ですが、ブリュッセルも治安は良く無いです。
本日、「目眩まし」を受け取って早速インスブルックからヴェルタッハへの20年振りの帰郷まで目を走らせました。摘み読みをしようとしてもついつい読んでしまいそうです。連想が広がって退屈しませんね。詳しくはまた改めて。
同じコースを、逆にオーバーヨッホを越えて雨のタンハイマーからドロミテへと車で走った時の事:
http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/f77c16997ad473c45e44cfec98de7b65
オランダのようなフリーセックスの国こそ中絶が多いと思いきや、逆なのですね。子供たちはどんな教育を受けているのか知りたく思います。
参照:
http://www.guttmacher.org/pubs/ib_0599.html
オランダが最も少ないのは私も驚いています。反対にスェーデンがドイツなどよりも多いのが心外でした。オランダについては教育については知りませんが、上の記事に幾らかヒントが隠されているようです。勿論避妊薬の普及率は高いと想像します。これは、個人的には中絶と同じぐらい問題があると思います。ドイツに関しては、ナチの優生法の反省と宗教的な倫理、さらに人間教育である性教育と法的なネットが中絶を防ぎ、さらに母子家庭への社会の受け入れが整っている事でオランダに続く結果となっているようです。
カトリック圏の田舎の友人の家庭にも父無し子がいます。そのような地域は逆に大家庭や村が暖かく受け入れているので、問題になるような家庭崩壊は存在しないようです。
ドイツの子供の教育についてはまた改めて。
私が常に取り上げておりますのは、十代の望まぬ妊娠中絶についてです。青少年を守らねばならないという立場ですので、ちょっと偏った資料に基づいて書いておりました。
この資料は世界全体の大人も含めてですから、とても範囲が広くて、参考になりました。国によって開きがあり、宗教的なことが大きく影響しますね。
日本は無神論者が多くて、このままですと、青少年は泥沼に入ってしまうのではないかという心配があります。
日本にも父なし子が多いですが、社会が温かく受け入れることはなく、吾関せずですから、家庭崩壊もすすむのでしょう。
ドイツのことは、留学していた歌手の下垣真希さんの話によれば、家庭教育が徹底しているようですね。
日本では子殺しをする母親もいるし、根本的に違うようです。親の教育は手遅れで、これまでの教育が間違っていたのでしょう。鉄は熱いうちに打たねばならないのに・・・人間教育もせずに、子供の自己決定権などとんでもないことです。
ただその教育をする人が居ないと云うのが問題で、家庭での躾と考えれば良く解ります。教え導くなど出来る大人は居ないので、伝統的な教えに従えば良いかと云うと、社会がどんどん変わってきていて、人間の人生成長速度も異なって来ています。
例えば14歳から44歳の中絶状況を一挙に捉えるのもそれほど意味合いに違いが無いからでしょう。昔の事を考えれば低年齢化しているのは14歳でなくて44歳の方でしょう。初妊娠で已むを得ない中絶も含まれていると思います。
ここでも書いていますが昔風の躾教育に戻せと言うドイツ人もいますが現実的ではありません。しかし議論は重要です。
こうした倫理観を含む教育とかいう事になると、容易に法をいじって効果を期待する事も不可能と思われます。社会を変える事と同じですから、逆行させることも、流れに適合させて行く事が大切なのでしょう。