梅雨が明け、暑い夏が来て僕のブログも6年目に入った。読んでくださる方がいるから書き綴けられたので、嬉しいことだ。何篇のエッセイを書いたのかはっきりと数えていないが、月に6編程度だとすると350編以上にはなる。
思いがけず数年前に書いた建築論を指摘されてクリックして読み返すと、それなりに書き込んであることに僕自身驚いたりする。難点は、多少くどく長すぎたりすることだ。
7月17日、「中央郵便局問題」に関してJIA(日本建築家協会)関東甲信越支部・保存問題委員会から声明を発表し、シンポジウムを行った。
司会の篠田義男さんから「いつものように長くならないように」とやんわりと釘を刺され、「普段は寡黙で善良な一市民なのですが、建築のこととなると何故か黙っていられなくなる、まあこんなことを言うから長くなるんですよね!」と話し始め、会場の笑いを(苦笑だ?)を取ったが、「いつものようにと・・」言われて`まあね`と僕自身は納得していた。
その篠田さんの司会は、新宿西口広場にトライした東孝光さんのエピソードなど、都市考察や建築家のスタンスについて、様々な事例を盛り込んで話し込んで充実していたものの、問題提起がすんなりと会場に伝わったとはいい難く(僕の提起の仕方が明解でなかったことにもよるのだが)パネリストの話す時間が短くなった。建築への想いがなくては人には伝わらないがそこが難しい。己を棄てながら人の話をうまく引き出してそれで自分の想いも伝える。それが進行役の役目だ。
この声明とシンポのテーマに関しては僕の思い込みも強く、僕は進行役よりパネリストがいいと司会を篠田さんに担っていただいたが、想いは誰しも同じだと思った。しかし彼に建築とその危機についての強い想いのあることのほうが嬉しかった。ブログに通じることだと思う。
声明発表とシンポの成果は?さてどういえばいいのだろうか。
パネリストとして話していただいた鈴木博之教授からは、「道は険しく、あまり展望もありませんが、とぼとぼと歩いてまいりましょう」というメッセージが来て、それを受けて「夕日に向かってとぼとぼと歩く老人二人・・・ 何だか映画のワンシーンの様ですね」と声明策定を一緒にやった仲良しの建築家からメールが来た。
いやいやこれは良い、と僕はすっかり気に入った。老人というのが!
清野由美さんから。
「・・・その過渡期はまだまだ続くことでしょう。そんな時代に居合わせた者として、じっと耐えつつ、笑いながら石を投げていくしかないな~、と思っております。 建築家のような教養高き男性諸氏は、この「笑いながら」が、けっこう苦手なのではないでしょうか。
なーんて、また毒舌と言われる前に失礼いたします」。いやいやなんとも・・嬉しくなる。
室伏次郎さん。「そうなんです!清野さま。
その「笑いながら・・」と云うのが苦手で、何でも一旦疑って「此の野郎ー!」となってしまう、
われらアンファン・テリブル世代建築家限定の悪癖でして」。
そうだ、そうだ。
まあこんな感じだが、この声明とシンポについては整理していずれ書き込みたい。
さて「東京中央郵便局」について書いたブログに数多くのコメントをもらったが、触発される鋭い論考もあって教えられることが沢山あった。
「コメントに学ぶこと」と言うタイトルで原稿の下書きを始めた。でもなかなか僕の理論整理ができない。冒頭に桜が!と書き出してある。春過ぎて夏になってしまったのだ。
JIAのアーカイヴスの委員会で、建築家相田武文さんから皮肉っぽくこんなことを言われた。「読むより書きたい人間一杯の世の中になったね」。相田さん、実は僕、ブログを書き連ねているんですけど!とそっと耳元でささやく。相田さんはモゴモゴと口ごもりホントに困ったような顔をされた。
最近時間が経つのがやけに早い。恐怖感を覚えたりする。だから書くのか!
とはいえ、まあ、これからもブログを書き続けてみますので、しばらくは懲りずにお付き合いを・・・
ゼネコン時代、芝工大出身者は会社で沢山購入した相田先生の著書を買いなさいと、2冊買った覚えが…。(笑)
私もpenkou師匠のすぐ後に始めたので6年目に突入です。早いものですね。
著作、つまりペーパーとブログとは、どうも根源的に(最近ややっこしい言い方をするようになってしまった・笑)違うような気がします。気軽に書き記すことのできる媒体・・・うーん!
お互い6年目、早いような、一方でこれからの6年間は、などとふと思ったりしますね。