日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

村野藤吾、菊竹清訓と早稲田

2012-01-15 22:54:29 | 建築・風景

編集者石堂威さんが送ってくださった「Waseda Architecture100(WA100)」を興味深く、言ってみればのめり込むように読んだ。
この冊子は、早稲田大学建築学科と建築関係学科の卒業生と学生による同窓会「稲門建築会」の機関紙「WA」の、建築学科創設100周年を記念する2011特別号である。
編纂を担った石堂威さん(以後敬称略)は、早稲田建築100年の歩みとして100年を五期に分け、各項冒頭のテキストを建築史の中川武教授に執筆依頼する。

そのⅠ・1910-1930の項`はじめに`で中川教授は「100年の歩みをあえて一言で述べれば、建築への夢や理想のロマン主義的な希求と地域住民の生活に根ざした環境への、幅広い建築的貢献の融合であろう」と切り取る。思いがけず歯切れのいい文体でのこの一連のテキスト記述は大変興味深く、僕の中川武感が一変した。

その骨子はⅡ1930-1950年の村野藤吾論である。この20年間の大半を村野藤吾で埋め、そこに1年後輩となる今井謙次という村野と並ぶ巨星が登場する。
「両巨匠の建築の美の神への傾倒は早稲田建築の一面に深い影響を及ぼすようになったと思われるが・・今井においては、無意識のうちに作家の主体が確信されているのに対して、村野の作品から窺えるのは確固としたものには収まりきれない虚空としての捉えがたさであると書き、其の前段で、村野が設計をした宇部市民会館(重要文化財)は、建築の合理的な追求から、後の絢爛たる村野調の萌芽まで、様式主義にもモダニズムにも収まらないが、多様な手法が融通無碍に息づき始めている」とするものの、ことはそれほど単純ではないと戸惑いも見せる。

その中川は、次のⅢ1950-1970では丹下健三を取り上げ、コルビュジエと日本の伝統との深い往還の中で構想力を研ぎ澄ませて、「広島平和記念館」代々木の「国立屋内競技場」「大阪万博お祭り広場」によって日本建築を世界に押し上げたが、わが稲門で丹下に並び立つのは、村野藤吾でなく、おそらく菊竹清訓だろうと総括する。
村野は別次元の建築家だと言うのだ。

本誌で石堂は、菊竹の代表作としてスカイハウスなどの実作ではなく、アンビルド「国立京都国際会館競技設計優秀案」を取り上げる。菊竹を支えた遠藤勝勧が担当して描いた実施図並みの詳細な矩計図(かなばかりず)はつとに有名で、見るたびに凄いと感じ入る。

1月15日の今日終了した「メタボリズムの未来都市展」(森美術館)での、丹下、磯崎新、黒川紀章、槇文彦等の作品プロジェクトとともに菊竹清訓を見ると、石堂や中川の言わんとすることが見えてくる。(この稿続く)
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菊竹さんが昨年の暮れに、林昌二さんを追うように亡くなられた。心よりお悔やみ申し上げます。単に時代は変わっていくのだとは言いたくない。其の志は未来を視ているからだ。
DOCOMOMO Japanの設立総会のときに、林昌二さんともご一緒に事務所の前に建つスカイハウスの見学をさせてもらった。菊竹さんは前日に、施工した白石建設に障子を張り替えさせた上、休日なのに所員を待機させ、事務所で僕たち20人ほどを出迎えて下さった。林昌二さんがいらっしゃることにちょっと驚かれたようで、林さんまで来てくださってとニコニコされたのがつい先日のように思い出される。



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2 コメント

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自邸 ()
2012-01-20 08:29:20
まだ具体化はしておりませんが(笑)自邸建替え模索中のmとしましては、やはりスカイハウスは貴重な建築家自邸として勉強しなきゃいけませんね。 林さん自邸もあの上遠野さん自邸も・・・。
追伸
先週、森美術館に行かれなかったのが残念です。
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新春の夢 (penkou)
2012-01-22 22:37:23
mさん
新春の夢ですねえ!林昌二邸を、スカイハウス超えるm邸を(微笑)。微笑ですよ!
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