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日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

四国建築旅(2) 日土小学校Ⅱ・長い道のり

2009-08-11 11:00:53 | 建築・風景

手元に分厚い「建築家松村正恒の研究」(花田佳明著)と、日土小学校改修工事を記録した資料集がある。
花田教授のこの研究書は学位論文としてまとめられたものだが、1913年(大正2年)に愛媛県大洲市に生まれ、武蔵高等工科大学(現在の武蔵工業大学)に学んだ後、土浦亀城事務所に就職し、満州に移った土浦事務所で働いて戦後地元に戻って八幡浜市役所で仕事をした松村正恒の軌跡がつぶさに読みとれる。
ドクター論文とはいえ、この度の建築学会ワーキングメンバーとして日土小学校保存運動にも深く関わった花田の、松村正恒の生きた時代の社会の様相や社会と深く関わる建築の存在への深い考察に、読み進めていくと松村の建築家としての生々しい生き様が浮かび上がってきて、上質な小説を耽読しているような知的興奮に包まれてくる。

松村は一地方都市の職員として1960年(昭和35年)47歳で退職するまでの13年間に学校や病院など秀作といわれる数多くの公共建築を生み出した。
独立後に1,2名のスタッフとともにつくり出した建築は400に上るが、職員時代とは異なり、ジャーナリズムに喧伝される建築デザインとは一線を画したという。興味深いのは、地方都市での独立によって松村はデザインに対してニヒリズムに陥っていたのではないかと論破していることだ。同時に独立後の言葉や書かれた文書には建築家と社会に対しての厳しい批評で倫理観に満ちていると指摘している。
問題の根は深い。それは正しく現在の僕たちが直面している課題でもあるからだ。

改修工事の資料集は、日本建築学会四国支部「日土小学校特別委員会」と鈴木博之東京大学名誉教授を委員長とした「八幡浜市立日土小学校再生検討委員会」(八幡浜市教育委員会)の貴重な記録集である。
見学会の後行われたシンポジウムでその様が克明に披露されたが、中心となった曲田清維愛媛大学教授や、改修の実施設計を担当した建築家和田耕一さんなどパネリスト全員の話しが、綿々たる思いに充ちていて面白かった。解体・建て替え問題が取りざたされてから竣工までに足掛け6年も掛かったのだから。

このプロジェクトは「中校舎」(1956年・昭和31年)「東校舎」(1958・昭和33年)を、将来の重要文化財指定に対応できるよう文化庁の指導も得ながらオーセンティシテイを検証して耐震改修を行なった。
更にこれからの小学校教育に対応できるよう一部の間取りを改変し、「西校舎」を地元で採れる樹木を集成材にして使用し、既存校舎のイメージを設計担当した建築家武智和臣の今の時代感覚で汲み取って新設している。
その解釈には是非もあるだろうが違和感はさほどなく、四国の建築家の力量が提示された。子供たちや教師がどう受け止めるか、既存改修棟と併せて興味が尽きない。

日土小学校の保存・改修は、六本木の「国際文化会館」と並んで、日本のモダニズム建築存続の屈指の好例として、経緯をそこで見えてきた課題とともに次代に引き継がれることになるだろう。このことをシンポジウムの終わった後、八幡浜のJAZZ BAR「ロン」で、鈴木博之さんとビールを飲み、いい気持ちになってジョン・コルトレーンを堪能しながら語り合った事でもある。

シンポジウム時に、鈴木博之教授(DOCOMOMO Japan代表)から大城市長にDOCOMOMO選定プレートが贈呈された。この校舎が1999年にDOCOMOMO20選に選定されたのが、保存に於いてもオーセンティシティ(原初性)を大切にして文化庁の監修を受け得たことの大きな力になったからだ。

シンポジウムでも、その後行われた懇親会でも触れられなかったが、建て替え話しが出たのは日土小PTAつまり保護者からだった。そこにはコンクリート神話と保存を望んだ学区外の市民との微妙なやり取りが重なり、さらに日本の各地で子供の安全性問題が多発した時代背景もあったことを思い起こす。
建築学会やDOCOMOMOからの保存要望書提出がなされることになり、僕は建築学会のDOCOMOMO対応WGの主査を担っていたこともあって理事会で説明をして提出了解を採るなどささやかな役割を果たしたので、その経緯の概要は知っている。

また課題の一つはこういうプロジェクトであっても浮上する設計入札問題だ。これらの経緯を今伝えることに逡巡するのは、この校舎が子供たちの保護者たちに新鮮な刺激を与えて受け入れられると信じているからだ。
同時に心穏やかでないのは、同時期に建てられた日土小にまさるとも劣らぬ八幡浜駅の近くに建っていた松村の「江戸岡小学校」が苦もなく壊されたことだ。
その階段室とそれに連なる廊下の開放的な得もいえない空間が目の前に蘇るのだ。

<ちなみに日土小学校校舎は原則として非公開であることを記しておきたい。写真 東校舎昇降口>


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