時折笑い声を上げながら登り窯の修復をしている陶芸家たちが一休みした時に、大嶺實清さんに声をかけた。實清さんはこの読谷の「やむちんの里」(陶芸村)をつくり、沖縄の陶芸界に大きな足跡を築いている陶芸家である。
80歳になるのに、仲間を率いてご自身もこねた土を釜にたたきつける。凄いものだと思いながら「ギャラリーで登り釜の修繕をされているとお聞きしたのでここに寄った」と伝えた。釜の修繕のことなどお聞きしているうちにいつしか建築論になり、陶芸論になった。
娘は録音、録音!というが、實清さんの話に引きずり込まれていて持ち歩いているOLYMPUSのボイストリックを取り出す余裕もなかった。
「僕のテーマは、怒り!だ」そして「家は母体だ」という厳しい口調に圧倒された。
ギャラリーで見て手に取った幾つもの小ぶりな實清さんの「家」が気になってきた。コーヒーでも飲んでいかない!と誘われて、一緒にギャラリーに戻った。
この写真は「家」と「こっちのほうが好きになってしまうかもしれないねえ!」と言われて頂いた塊である。梅花皮(カイラギ)が味わい深く言われたように愛しくなる。
そして訪沖から2ヶ月を経た現在(いま)考えている。
沖縄の人「大嶺實清」の人間像を、何時かは写真とエッセイによって捉えたい。
80歳になるのに、仲間を率いてご自身もこねた土を釜にたたきつける。凄いものだと思いながら「ギャラリーで登り釜の修繕をされているとお聞きしたのでここに寄った」と伝えた。釜の修繕のことなどお聞きしているうちにいつしか建築論になり、陶芸論になった。
娘は録音、録音!というが、實清さんの話に引きずり込まれていて持ち歩いているOLYMPUSのボイストリックを取り出す余裕もなかった。
「僕のテーマは、怒り!だ」そして「家は母体だ」という厳しい口調に圧倒された。
ギャラリーで見て手に取った幾つもの小ぶりな實清さんの「家」が気になってきた。コーヒーでも飲んでいかない!と誘われて、一緒にギャラリーに戻った。
この写真は「家」と「こっちのほうが好きになってしまうかもしれないねえ!」と言われて頂いた塊である。梅花皮(カイラギ)が味わい深く言われたように愛しくなる。
そして訪沖から2ヶ月を経た現在(いま)考えている。
沖縄の人「大嶺實清」の人間像を、何時かは写真とエッセイによって捉えたい。
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