辰野金吾の設計によって1914年(大正3年)に建てられた「東京駅」は、今年で100年を迎えた。1945年(昭和20年)、戦災によって3階部分が焼失したが、ただちに修復され駅舎として使い続けられてきた。しかし戦後32年を経た1977年に、東京都美濃部知事と国鉄総裁によって東京駅、丸の内周辺の再開発委員会が設置されることがあって、建築学会からは、保存要望所が提出されたりした。
その後国鉄が分割民営化され、東京駅周辺地区再開発連絡会議が設置されるなど、建て替え高層化計画が再度浮上されたこともあって、作家三浦朱門氏、女優高峰三枝子氏を筆頭代表とした「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」(略称東京駅の会)が設立された。
東京駅の前で署名を求める活動からスタートし、東京駅を残したいと言う全国からの10万人を超える署名が寄せられる。この市民の会は活動の中心となった主要メンバーは、その請願書を赤いバラの花束を添えて駅長に提出、以後バレンタインデイにはチョコレートをプレゼントするなど、女性ならではの活動を続け、信頼関係が築かれていく。
そして一昨年(2012年)の10月、このために日本設計からJR東日本設計に移籍した田原幸夫さんが設計の主導をし、免震構法を採用するなどして当初の姿に復原された。
復原されて「東京駅の会」を閉じるに際し、記念誌を発行する事になった。
編集委員は前野まさる東京藝大名誉教授、女優村松英子さん、事務局を担った多児貞子さん、活動に途中から活動に関わった僕、そして編集をかってでてくれたこの「東京駅の会」の事務局長を務めた故川添智則東海大学教授の次女川添尚子さんが記念誌の編集委員として、デザイン・印刷などを担当してくれた。
僕は「僕の東京駅」と題する一文と数編のコラムを寄稿し写真を撮った。
発行日は(2014年)この会が発足した10月13日である。
冊子ありがとう御座いました!!!!
多くの保存を願う声が結実し、また100年東京駅が残ることになった訳ですね。
(関係ありませんが先日のBSで船の体育館、読売日曜版にも香川県庁などの記事が丹下氏の紹介とともに掲載されておりました。残せるといいですね。)
また心温まるお手紙、感謝致します。
足はまだ違和感ありますが、仕事はやっております。
ブログ、書かなきゃ(苦笑)
ベルマーレJ2優勝もあるのですが、近く初孫に逢うことになりそうでバタバタしておりまして・・・。
落ち着き次第、ご連絡致します。
北海道、お気をつけて。またmoroさんに宜しくお伝え下さい。
ホッとしてます。
近じか快気祝いを!
朝7時に到着した時は既に数千人が丸の内側に収まらず八重洲側への行列。
結果はあのとおりの騒動で購入出来ず。
それにしてもあの復原、日本人の感性にあうのかしらん!