名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

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戦争体験者は語る「戦争は二度とおこしてはならない」と!!

2020-08-14 16:07:56 | Weblog
2020.8.14
 今朝の中日新聞にプロ野球中日ドラゴンズの元投手として大活躍した杉下茂さんの戦地体験が詳しく載っている。
 杉下投手といえば、日本で初めてフォークボールを駆使したことから「フォークの神様」とさえ言われた。木造の中日球場時代、筆者はその球場のすぐ近くの中学校に通っていたせいか、杉下投手の活躍はいつも身近に見ていていつのまにか生粋のドラキチになっていた。
1954(昭和29)年には、エースとして活躍し球団初のリーグ優勝と日本一の立役者となった。プロ通算215勝123敗はすごい記録であり、1985(昭和60)年には野球殿堂入りもはたしている。
 その杉下選手も厳しい軍隊生活を体験した。1945年に中国へ出征させられ厳しい新兵訓練を受けたと語っている。上官から殴られたり蹴飛ばされることは日常茶飯事だったという。また敗戦になって捕虜収容所の生活も体験した。その日常は厳しいものながらも野球やバレーボールなどスポーツは許された。
 記事の中で杉下さんは、戦争経験者として次の世代に残したい思いを次のように語っている。
「あの戦争では多くの若者が犠牲になった。兄は野球がうまかったから、無事でいたら、私を上回る野球選手になっていただろう(お兄さんは45年3月21日、沖縄で戦死)。
 人間の未来や可能性を奪ってしまう戦争は二度と起こしてはいけない。そのためには誰もが意見を言える世の中にしておくことだ。戦争中は上官が突撃しろといったら『ハイ』といって従った。それが特攻や自決につながった。おかしいことをおかしいと言えない空気が悲劇を生んだと思う。誰もが自由に声を上げられる世の中、『そうじゃない』と批判ができる世の中をいつまでも残してほしいと思っている」
 筆者は「戦争と平和の資料館ピースあいち」の活動の一環として、開館以来の10年余にわたって戦争体験語り事業を推進してきた。その語り事業の実施回数はピースあいち本館や愛知県下の小中学校を中心に述べ600回を超えた。
 この間、戦争体験者は延べ120人余の方々に携わっていただいたが、亡くなられたり、高齢化が進み語れる人は50人を切ってしまった。
 これらの語り手の方々もお話の最後はどなたも「戦争だけはもう二度とやってはいけない」
と締めくくられた。それを聞いた子どもたちも「戦争は反対だ」と感想文に書いてくれる。
 しかし戦争を引き起こすのは戦争で苦しんだ一般庶民では決してない。まじめな子どもたちには信じられないことだが、戦争を秘かにたくらみ、望んでいる連中がおり、それらを政治家があやつっているという仕組みまで理解しないといけない。
 日本は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と定めた素晴らしい憲法が存在するのに、いつの間にやら強大な軍事力を保持し、さらにそれの海外派兵までも実現するまでになっている。
米軍の強大な基地は全国各地に配置され、諸外国にとって脅威となっている。その基地負担も日本にとっては厳しい財政負担である。
 最近、陸上配備型迎撃ミサイル「イージス・アショア」調達の見直しに次いで、21年度配備を計画している米国製無人偵察機「グローバルホーク」、三機について、政府が調達中止の再検討を行っているとの報道がなされているが、どこまで米軍に対峙できるかはしっかり監視すべきである。また、いわゆる「思いやり予算」の増額にも注視しなければならない。
 「戦争は二度としてはならない」という思いを実現するにはそれにこたえる政治を実現することである。即ち庶民にできることは、米国に気を使い、軍事費を増やし、戦争のできる国にしようとしている政治家に投票しないことである。たやすいことのように見えるが、一方では気の遠くなるような困難なことでもある。

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