ねこ庭の独り言

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南京事件の総括 - 13 ( 南京安全区国際委員会とは )

2019-01-20 16:25:32 | 徒然の記

 書評が13回目になります。今回は予定通り、田中氏の言う作家や詩人などの動きを紹介します。しかしこの人々は、細川隆元氏以外個人の意見を述べていません。

 「南京に入城したのは、約120名の新聞記者や、」「カメラマンだけではない。」「大宅壮一、木村毅、杉山平助、野依秀一、」「西条八十、草野心平、林芙美子、石川達三といった、」「高名な評論家や詩人、作家も、陥落とほとんど同時に、入城している。」「これらの人々は帰国するや、いろいろな雑誌や新聞に、」「レポートを書き、講演もしている。」

 「終戦になり、東京裁判が始まり、」「軍の作戦や、旧軍人に対する批判が高まった時でも、」「これらの作家や、評論家や詩人の誰一人として、南京事件を告発したり、あげつらう者はいなかった。」「批判力旺盛な、口八丁、手八丁といわれた、大宅壮一氏でさえ、南京虐殺には、終始否定的であった。」

 だが私は、氏が、これらの人々を庇い過ぎているという気がしてなりません。当時は軍に協力する形で、従軍記者だけでなく、従軍画家、従軍作家という人々が沢山いました。戦意高揚のための小説を書き、絵を描き、詩を発表していました。しかし彼らの多くは敗戦になると、軍に力ずくで協力させられたと変節しました。軍や政府に騙され戦争に協力していただけで、本当の自分は平和主義者だったと、涙ながらに反省した人物もいます。

 氏の説明通り、この人々は特にGHQに迎合したり、南京事件を告発したりしていません。しかしもっと自分たちが見た南京を語り、「アメリカの嘘」を国民に伝えるべきではなかったのでしょうか。GHQの統治下では無理だとしても、昭和27年の独立以降に、なぜ南京の事実を語らなかったのでしょう。

 息子たちに思い出してもらいたいのは、ブログの二回目の叙述です。

 「昭和27年4月28日、日本が主権を回復したその日、」「 『真理の裁き ( パールの日本無罪論 ) 』 を、氏は太平洋出版から発刊した。」「この目的は、GHQの政治宣伝に立ち向かうことであった。」

 これが国を思う者の行動だとすれば、作家や詩人たちの不作為にはやはり疑問符がつきます。

 日本人の証言の締めくくりとして、昭和61年の8月、TBSの「時事放談」で語る、細川隆元氏の話を紹介しています。

 「わしが、朝日新聞の編集局長だった時だ。」「南京に特派した記者たちを集めて、南京に虐殺があったという噂を聞くが、本当はどうだと一人一人に聞いてみた。」

 「そのようなことは、見たことも、聞いたこともありませんというのが、ハッキリした返事だった。」「何万、何十万なんて言う、虐殺は、絶対ない。絶対になかったと、わしは思う。」

 細川隆元氏もここまで語るのなら、もっと早く公表すべきでした。そうしていれば、今日のような朝日新聞社の、見境のない反日左翼勢力への傾斜も防げたでしょうに。

 というより細川氏は、社内に本多勝一や今井正剛のような捏造専門記者を抱えていても、何の処罰もできないため、テレビの放談でお茶を濁すしかなかったのかも知れません。今も昔も朝日新聞は、日本に害をなす新聞社でした。

 日本人の証言はこのくらいにし、戦後の日本を苦しめる元凶となった、「南京安全区国際委員会」に関する、氏の説明を紹介します。今後私たちが、南京事件を考える上で、忘れてはならない重要な材料となります。

 「南京安全区国際委員会とは何か。」「南京事件を解く、重要な鍵を握っている、この組織について、説明したい。」

 「戦前から南京に在住していた外国人は、相当数いたが、」「最後まで踏みとどまったのは、40名前後で、そのうちの15名が委員会を編成した。」「馬・南京市長の申し入れを受けて、南京市民の安全を守り、生活を保障するシステムを作ったのが、この委員会である。」

 「委員長は、ドイツのシーメンス社支店長、ジョン・ラーベで、」「書記長は、米人の金陵大学教授ルイス・スミス博士、」「メンバーは、米人7名、英人4名、ドイツ人3名、デンマーク人1名の、計15名である。」( 金陵大学は、のちに南京大学と改称した。)

 重要なのは、この説明です。

 「ここで注意したいのは、この15名の第三国人は、いずれも当時の言葉で言う、敵性国人である。」「つまり日本軍を侵略軍として憎み、蒋介石の国民党政権に味方し、これを支援している国の人々である、ということである。」

 「ドイツが、親日政策をとるようになったのは、リッペンドロップが外相に就任した以後のことで、」「それまでは米英と同様に、日本を敵視し、蒋介石軍に武器援助をし、軍事顧問団を送っていた。」

 「さらに委員会は、YMCA会員や、紅卍字会員を多数動員し、占領下の南京における、日本軍の非行調査にあたっている。」

 南京事件の死亡者の数、虐殺された市民の数、強姦された婦人の数など、怪しい数字をどこからか集め、数々の報告書を提出したのがこの委員会でした。

 「南京事件」「慰安婦問題」「憲法改正」の三つは、敗戦後の日本を呪縛する課題ですが、共通する構図があります。

   1. きっかけを作ったアメリカ

   2. これを利用する中国政府、韓国・北朝鮮政府

   3. これに協力する反日左翼の日本人たち

   4. 傍観する諸外国

 この中で、一番情けなく思うのは3番目の日本人たちです。どこの国にも、いつの時代でも、自分の国を嫌悪する人間がいます。自国の悪口を言い、他の国に憧れ、他国を褒める物好きな人間がいます。 しかしたいてい少数者で、「変わり者」と見られるだけで済んでいます。

 敗戦後の日本では、自分の国を憎むしかできない人間が溢れるように発生しました。東京裁判と、無批判に報道するマスコと、マッカーサーがくれた憲法が一つになり、日本特有の現象を生み出しました。

 戦後73年が経過し、田中氏のような人々の積み重ねが、やっと効を奏し、失われた日本を取り戻そうとする動きが出始めました。堤防に掘る「蟻の一穴」が、少し広がった穴になりつつあります。

 穴を広げる作業を、次回も続けます。

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