ねこ庭の独り言

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『日本史の真髄』 - 99 ( 道長の婚姻政策の正当化 ? )

2023-05-25 21:08:05 | 徒然の記

  〈  第十八闋 月無缺 ( つきにかくるなし )    藤原道長の栄華     7行詩  〉

 近親婚で道長の栄華が保たれたと言うのが、渡部氏の解説でした。なぜこうなったのか、日本に特有の話なのか・・この点に関する氏の意見を紹介するのが、今回の目的です。

 「世代を横一列に並べてみたので、叔母・甥の関係が浮き上がってくる。当時は今で言う三親等の婚姻が、少なくとも宮廷では普通であり、しかも一夫多妻制であるから、叔母も従姉妹 ( いとこ ) も、同じ天皇の後宮に何人もいたことになる。」

 「遺伝学者や儒教圏の人々なら真っ青になるところだが、これが日本の宮廷の特徴をなしていた。」

 この説明は前にも聞きました。儒教系の人々は真っ青になると氏は言いますが、どうやら世界では日本だけの話ではなさそうです。

 「古代エジプト王朝や日本の古代では、もっと血の濃い人たちが結婚していた。それはサラブレッドを作ると似た原理なのである。」

 ここは氏が説明に苦労した部分ではないかと、そんな気がします。少なくとも現在の私たちには、親子・兄弟間の婚姻に強い拒否感があります。経験がないのでわかりませんが、叔母と甥という関係で結婚することも、選択肢としては思いつかないものです。

 しかし古代神話を考えますと、叔母・甥どころか、イザナギ・イザナミの神様は兄弟で結婚されています。渡部氏は近親婚が日本の宮廷特有のものと推測していますが、共立女子短期大学・岡部隆志名誉教授の著書『記要』をみますと、次のように書かれていました。

 「イザナギ・イザナミ兄弟婚は、中国少数民族の間に伝承されている話と類似している。」

 神話の兄弟婚は日本固有のものでなく、儒教圏である中国の少数民族の伝承にもあることが分かっています。渡部氏の著作の出版が平成2年で、岡部氏の著作が平成31年ですから、渡部氏は氏の研究成果と著作を知らなかったことになります。要するに神話や古代社会での婚姻は、現在の私たちには、考えられない有様だったということです。

 岡部氏の研究成果を知らない渡部氏は、藤原道長の婚姻政策 ( 後宮政策 ) 正当化の根拠にオーストリアの話を紹介します。

 「道長の周到な後宮政策を見ると、ハプスブルグ家について言われた、有名な言葉を思い出さざるを得ない。」 

 「戦 ( いくさ ) は、ほかの国がする。汝、幸せなるオーストリアよ、結婚せよ。戦 ( いくさ ) の神マルスが他の国に与えるものを、汝には美の神ヴィーナスが与えてくれるのであるから。」

 オーストリアのハプスブルグ家には、フリードリッヒ大王のような武名の高い王様は思い当たらないのに、ヨーロッパの諸王の上に立つことができたのは、美しい娘たちのためだったと説明しています。

 「ハプスブルグ家には、代々美女が多く、それを利用した有利な結婚政策によって、ついには神聖ローマ帝国の王冠を受け継ぐに至った。」

 しかしこの説明に無理があるため、氏は弁解しています。

 「後宮政策といっても、日本の場合とは違うわけだが、それでも藤原氏の時代を連想せざるを得ない。」

 ここで氏は、読者に道長の後宮政策を理解してもらうため、道長その人に関する説明を始めます。そうすることによって、読者の道長への好感を大きくしたいとそのような意図を感じます。

 「道長は自分が実権を得たのは、後宮の力、つまり自分の同腹の姉の力であることを、身にしみてこたえて知っていた。ここから彼の、空前絶後、東西無双の後宮政策が行われるのである。」

 「しかし道長は、たんにそういう術策だけの人ではない。若い頃から性質剛爽であった。道長は公家であったが、弓も馬も上手だったのである。若い頃父親の兼家が、自分の甥の子公任 ( きんとう ) が優れた人物であることを羨み、子供たちを激励するつもりでこう言った。」

 「お前たちの従兄弟の子の公任は、甚だ優れている。お前たちは、公任に遠く及ばない。どうしたとしても、公任の影を踏むこともできないであろう。」

 道長の兄の道隆も道兼も、自分たちが及ばないことを知って、顔を伏せたままで何も答えなかったそうです。しかし弟の道長だけが、こう答えたと言います。

 「私は必ずしも、公任の影を踏むことはできないかもしれませんが、その面 ( つら ) は踏んでやることはできましょう。」

だから氏は、このように言葉を続けています。

 「気魄 ( きはく ) があった子供であったことがわかる。道長は、当時の猛将源頼光を信服させる器量と、周到な後宮政策をやる知能を持っていたからこそ、十世紀末から十一世紀末に至る藤原時代を築くことができたのである。」

 第十八闋の七行詩の解説の三分の一を紹介しましたが、頼山陽の詩については何も言及していません。

 月無缺 ( つきにかくるなし )    という道長の栄華を歌う詩の解説が、いかに難しいかの印ではないでしょうか。

 次回は、本来の七行詩の解説が紹介できるのかどうか、楽しみにしています。

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2 コメント

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Unknown (あやか)
2023-05-26 07:39:35
今回ブログも、興味深く拝読しました。

藤原道長は、婚姻政策により野心的な政治運営をしていたようですが、
しかしながら道長自身も、極めて有能な為政者であったことも事実でしょう。

古代王朝の血族結婚は、
おっしゃるとおり、日本だけではありません。
古代エジプトや南米のインカ帝国でも血族結婚は行われていたようですし、
日本の近くの例では、
古代韓国の新羅王国の王室は、代々、いとこ同士の結婚を繰り返しています。
そういう血族結婚による純粋血脈の王族のことを『聖骨』といったらしいです。
しかし、その後、韓国では儒教思想の導入により、血族結婚は禁止されたようです。
ともかく、極端から極端に、はしるのが韓国朝鮮人の特性ですね(苦笑)

また、、イザナギ・イザナミ神話に似た伝承は、中国の少数民族にもあるようですね。
興味は尽きません。
学びの庭 (onecat01)
2023-05-26 12:11:37
 あやかさん、お久しぶりです。

 日々大きく動いている世界と、日本の政治を見ながら、古代日本の歴史を読んでいます。

 渡部氏の著作が失われた「愛国心」への警鐘と思い、そしてまた、頼山陽の詩も明治維新を遂げた勤皇の志士たちの座右の書であったと知るので、読んでいます。

 今のところ、私には藤原氏の時代の叙述がどのように失われた「愛国心」とつながっていくのか、理解できておりません。

 しかし過去の歴史が今の皇室に繋がっているのは事実ですから、「温故知新」の読書を続けたいと思います。今を知る鍵、今を理解するための鍵は、過去の歴史の中にあると、これは私の変わらない想いです。

 時々意見が異なりましても、今後とも、よろしくお願いいたします。

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