〈 第十八闋 月無缺 ( つきにかくるなし ) 藤原道長の栄華 7行詩 〉
道長の後宮政策について、渡部氏が説明しています。
「道長は正妻倫子 (ともこ) と本妻明子 ( あきこ ) に、それぞれ娘たちを産ませているが、嫁ぎ先の種類がハッキリ異なる。」
今の私たちの常識では、正妻と本妻は同一人物を指す言葉なので、書き出しの部分から戸惑わされます。自分の周りを見渡しても、正妻と本妻が別の人である家庭など捜してもありません。しかし氏には重要なことでないらしく、正妻倫子は左大臣源雅信 ( まさのぶ ) の娘で、本妻明子は左大臣源高明 ( たかあきら ) の娘と説明し、彼女たちが産んだ娘たちの嫁ぎ先の説明をしています。
「倫子の産んだ娘たちはことごとく天皇に嫁いでいるのに、明子の産んだ娘たちはそうではない。」
正妻・本妻の言葉の区別より、生まれた娘たちの嫁ぎ先の方が重要で、後宮政策そのものなので、私の疑問になど構っておれないのでしょう。
「おそらくその関係もあってか、倫子の産んだ男子二人は、二人とも関白・太政大臣になっているのに、明子の産んだ四人の男子は、最高が右大臣で二人が大納言、一人が右馬頭 ( うまのかみ ) であるにすぎない。おそらく同復の姉妹が后妃であるのと、そうでないとの違いであろう。」
むしろ興味深いのは、氏の次の説明です。オーストリアのハプスブルグ家の美女の家系に繋がる話です。
「おそらく明子より倫子の方が、美人だったのではないだろうか。『大日本史』では、倫子の娘が四人とも后妃になり、その内の三人については髪の毛の長いことを伝えており、二人までは美人であったと明記している。」
参考のためと言って、氏が『大日本史』の該当部分を書いていますので紹介します。( 該当の漢字がないものは、カナ表示にしています。 )
〈 長女彰子 ( あきらこ ) 〉
・美皙 ( びせき) 豊艶にして光沢は酸奨 ( さんしょう・ほほずき ) のごとく、髪は身の丈より長きこと二尺ばかり
〈 次女キヨ子 ( きよこ ) 〉
・姿容 ( しよう ) 美 ( うる ) わしく、髪は長きこと身を過ぐ
〈 三女威子 ( たけこ ) 〉
・性は妒忌 ( とき ) にして、齢 ( よわい ) は帝より長ずること九才、常に寵の移らんことを恐れて妨猜甚だ至る
〈 四女嬉子 ( よしこ ) 〉
・凛性聡慧 ( りんせいそうけい ) にして、髪は身の丈を過ぐ
古代の美女の条件の一つが容貌の美しさだけでなく、長い髪であったことを知りました。「髪は女の命」という言葉は、こんなところから生まれていたのでしょうか。氏の解説はまだ続き、なかなか頼山陽の詩に近づきませんが、珍しい話なので次回も紹介していきます。