■ Bach 「 イタリア協奏曲 」 をピアノで弾くことの意義 ■
2012.7.27 中村洋子
★今日は、土用丑の日。
猛暑が、続きます。
今年初めて、蝉の声を聞きました。
昨年と同様、鳴き出すのが遅いため、放射能の影響かしら、と
心配していましたが、少し安心いたしました。
★6月末、金沢・石川県立音楽堂で開催しました
「 アナリーゼ講座 」 の後、ピアノの先生方から、
いくつかのご質問を、いただきました。
★1) Bach をピアノで弾くとき、ペダルを使ってよいのでしょうか?
2) Bach を弾くときは、チェンバロの音を模し、なるべく、
non legato にするべきでしょうか?
3) Bach の Fuga を弾くとき、テーマはいつも強く弾くべきでしょうか?
★私は、7月 31日から、 3回シリーズで開催します
≪イタリア協奏曲・アナリーゼ講座≫で、
「 Bach をどのように、ピアノで弾くか 」
「 ピアニストは何故、 Bach をピアノで弾かなければならないか 」
について、詳しく、ご説明する予定です。
上記 3つの質問に対する答えも、自然に導き出されるはずです。
★しかし、ブログを拝見される方は、早く答えを知りたいと、
お思いでしょう。
★1)への答えは、 「 ペダルを使ってください 」 。
21世紀に生きている私たちが、素晴らしい グランドピアノ
という楽器を弾くのですから、このピアノのもつ機能を、
十二分に、使い尽くしてください。
ソステヌートペダルも、使い方によっては、とても効果的です。
★2) チェンバロについては、良い楽器を優れた奏者が演奏しますと、
えもいわれぬ素晴らしい Legato が、できます。
信じられないかもしれませんが、 crescendo 、 diminuendo すら、
可能なのです。
ピアノで弾く際、どうして non legato でブツブツと、
干からびた音を、出さねばならないのでしょうか。
★3) Bach の Fuga を弾くとき、
“ まずテーマ subject の弾き方を決め、その後、
この subject が現れるたび、同じ弾き方をする ” ことは、
間違っている、と思います。
subject は、出現するたびに常に新しく、新鮮でなくてはなりません。
★私は、この考え方を Edwin Fischer エドウィン・フィッシャー
(1886 ~ 1960) の、 Bach 校訂版楽譜から、学びました。
常に多様で、魅力に満ちた subject が、次々に繰り出されるのが、
Bach の Fuga なのです。
どうして、 subject が出るたびに、いつも固くこわばったように、
他の声部を押しのけ、 subject だけを強く、
弾かねばならないのでしょうか。
★このことは、イタリア協奏曲を弾くときも同様です。
( Fuga でなくても ) いかに subject を多彩に、変化させていくか、
それが、奏者の力量でもあるのです。
★きょう偶然ですが、Alfred Brendel アルフレッド・ブレンデル の、
インタビュー記事(1978年)を、読みました。
Brendel の Bach に対する 考えは、以下のような主旨です。
★彼は、“ 師であった Edwin Fischer エドウィン・フィッシャー の 、
Bach 演奏が、あまりに偉大であったため、なかなかコンサートで、
Bach を弾くことができなかった ” ということを、
正直に、告白しています。
★ “ 古楽器による Bach 演奏は、
それがどれだけ説得力をもつか、ということに尽きるのです。
Bach の作品は、モンテヴェルディ、スカルラッティ、
ラモー、クープランの作品のようには、historical な楽器に、
左右されないであろう。 ”
(私も、全くその通りで、 Bach は時代を超越していると思います。)
★ “ Bach をピアノで弾くことへの、 「 古楽 」 界からの批判を恐れ、
piano recital から、 Bach がほとんど消えてしまった。
それは、ピアニストがポリフォニックな演奏をする能力を、
失ってしまう、ことになるのである。 ”
★緻密に構成された Fuga の各声部を、どう把握し、弾き分けるか・・・、
これができませんと、Mozart 、Beethoven 、Chopin 、
Schumann 、Debussy、Ravel など、
音楽史での大作曲家の作品は、すべて弾けない、
ということに、なってしまいます。
名前ばかりで、その実、空疎な演奏が多い、
現代の有名ピアニストたちの演奏が、その良い例でしょう。
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