■Debussy の 「 子供の領分 」 は、どこの出版社の何版を使うべきか■
~ Golliwogg's cake walk から分かること ~
2012.7.5 中村洋子
★6月 28日(木)に、金沢県立音楽堂で開催しました、
「 Golliwogg's cake walk 」 アナリーゼ講座から、一週間過ぎました。
その間、参加者の皆さまから、どのような楽譜を使うべきか、
というお尋ねを、たくさん、いただきました。
★幸い、「 Children's Corner 子供の領分 」 の最後の 1曲、
「 Golliwogg's cake walk 」 のみは、
≪ Wiener Urtext Edition + Faksimile ≫ に、
Debussy の自筆譜が添付されています。
第1級の資料です。
何はさておき、これを基に、勉強すべきです。
★この自筆譜の素晴らしさの一例を、挙げますと、
J.S. Bach バッハ ( 1685~1750 ) の自筆譜と同様に、
まずは、楽曲の構造に即した 「 レイアウト 」 で、書かれています。
「 レイアウト 」 というのは、 1段に何小節を配置し、
1ページを、何段とするか、ということです。
一見、単純なことですが、ほとんどの実用譜は、
この 「 構造の分かるレイアウト 」 を、完全に無視しています。
また、ディナミークの記譜された位置も、作曲家の重要なメッセージですが、
それも、極めてぞんざいに、扱われているのが、現状です。
★例えば、 7小節目の右手 「 p 」 の始まる位置ですが、
ドビュッシーは、1拍目の 8分休符の上に、明確に 「 p 」 を記しています。
たとえ、右手が休符 ( 音が出ていない ) であっても、
ドビュッシーは、明確に、音が出されていない右手の音空間を、
「 p 」 で弾くべきである、と主張しているのです。
★別の例として、
15小節目と 16小節目を区切る小節線の真上に、 「 f 」 を、記しています。
さらに、同様に、 37小節目と 38小節目を区切る小節線の上に、
「 f 」 を、置いています。
皆さまがお持ちの楽譜は、どのようになっているでしょうか?
★この二つの、小節線上の 「 f 」 が意味するところは、
1拍目の音を打鍵する瞬間より前から、 「 f 」 を意識して、
「f 」 を準備すべきである、ということです。
そのように意識しますと、演奏が大変に容易になってきます。
★自筆譜を読み込む、ということは、作曲家の考えに、
できるだけ近づき、曲の意図を読み取り、
演奏を正しい意味で、容易にすることです。
★学者の、衒学的な仕事としてではなく、
知識を、ひけらかす物知り博士のための考証でもなく、
作曲家が望んだ演奏に、可能な限り近づくための営為です。
★もう一つの例。
28、 29小節目の左手は、大半の実用譜が、符尾を上に向け、
斜め右上がりの符鉤で、つないでいます。
それは、ごく通常のありきたりの記譜です。
★しかし、ドビュッシーは、そのようには、書いていません。
28小節目 1拍目 「 g b 」 の二和音については、符尾を上向きにし、
次に奏される 「 b1 」 の符尾は、下向きにしています。
そして、その二つを、横真一文字の符鉤で、連結させています。
これは、 Bach をはじめとする、大作曲家がよく用いる、
深い意味のある、記譜なのです。
★これらドビュッシーの意図を、忠実に反映させている実用譜は、
見つかりません。
しかし、いくつかの良心的な楽譜を揃え、
Preface や Remarques に書かれている、編集者の根拠を分析し、
その上で、皆さまは、「 自分の版 」 を、作っていくしかありません。
★いくつかの、良心的な版を、ご紹介いたします。
「 Children's Corner 子供の領分 」 全曲の、実用譜としましては、
≪ Wiener Urtext Edition Stegemann/Béroff
ヴィーン原典版 ベロフ/フィンガリング ≫ を、お薦めいたします。
ベロフのフィンガリングは、Fingering 本来の意味、つまり、
「 曲の構造を示す 」 ことを、目的としており、
Edwin Fischer エドウィン・フィッシャー (1886 ~ 1960) や
Bartók Béla バルトーク (1881~1945) の校訂した Bach 作品の、
Fingering と同じものを、目指しています。
★また、Durand 版 「 Complete Works of Debussy ,
Series Ⅰ, Volume 2. Roy Howat 校訂
ドビュッシー全集シリーズⅠ、第2巻 ロイ・ホワット校訂 」 も、
お手元に、置く必要があります ( 私は2006年版を所持 ) 。
しかし、日本で昔から Durand 版として輸入されてきた、
「 Edition Originale 」 と記されている 「 Children' Corner 」 は、
Roy Howat 校訂 以前のものです。
いまや、あまり参照すべきではないでしょう。
★その理由は、例えば、 31、 32小節の 「 più P 」 を見ますと明らかです。
ドビュッシー自筆譜は、この部分を、実に絶妙な書き方をしています。
まず、31小節が終わる少し前から、 “ più ” を描き始め、
31小節が終わるところで、 “ più ” を書き終えます。
そして、 32小節第 1拍目の音が奏される、直前のところから、
“ P ” を始めています。
しかも、“ P ” の記号は、斜めに大きく傾いており、
“ P ” 記号の左端は、
31、 32小節を区切る小節線に、接しています。
★なんと、音楽的で分かりやすい記譜でしょうか。
これを見て演奏すれば、ドビュッシーから直接、
レッスンを受けているような、気持ちになります。
本当に、弾き易いと、思います。
★Durand 「 Edition Originale 」 では、 “ più ” を 32小節の初めから、
書き始めており、当然のことながら、
“ P ” は、左手二つ目の音符 「 c 」 のところ、
つまり、小節線よりかなり離れた遠いところに、位置しています。
これでは、ドビュッシー自筆譜のニュアンスは、消滅してしまいます。
★新しい Durand 「 Roy Howat 校訂 」 では、
自筆譜通りに、 “ più ” を、 31小節から書き始め、
32小節に、ほんの少し入りこんだ所で、終わっています。
続く “ P ” は、32小節最初の音符の真下に、位置します。
“ P ” 記号の左端が、小節線に接する、
自筆譜の絶妙なニュアンスは、失われていますが、
それでも、かなり、忠実な楽譜といえます。
★その他、 Bärenreiter ベーレンライター ( 私は2006年版を所持 ) も、
参考に、なります。
脚注が、詳細に書かれています。
★上記の楽譜は、ピアノを指導される方は、最低限、
すべて、揃えておくべきでしょう。
数十年前の、ぼろぼろになった楽譜を一冊だけ、というのは、
自慢すべきことではなく、滑稽です。
ピアノの先生がたは、楽譜に無頓着で、自筆譜や、
新しいヨーロッパの版に、興味をもたない方が、多いようです。
これは、恥ずべきことと思います。
★私は、今回、この 「 Golliwogg's cake walk 」 講座のために、
一応、日本人校訂の、人気ある楽譜を、
いくつか、目を通しました。
大変に有名な、 「 校註 」 本には、ペダルの指示が煩雑に、
書き込まれていました。
★「 una corda ウナコルダ 」 すら、たくさん見られます。
una corda を多用しますと、自分の指で音色を変化させるという、
最も基本的で、大切な訓練が、おろそかになってしまいます。
上達を、妨げます。
★ドビュッシーは、「 Golliwogg's cake walk 」 の自筆譜に、
一切、ぺダルの指示を記していません。
Debussy は1912年、「 Children's Corner 」 の自演を、
piano roll に録音し、後世に残しています。
この録音は大変に有名で、その名演が語り継がれており、
現在でも、CDで聴くことが、可能です。
この自作自演で、ドビュッシーは、当然ながら、
ペダルを、使っています。
大変に、素晴らしいペダリングですが、
「 una corda 」 による音色変化は、
私は、聴き取ることができませんでした。
「 ぺダリングは、演奏者が自分で考えてすべきもの 」
というのが、ドビュッシーの考えだったと、思います。
これまでご紹介しました海外の版でも、
ぺダルの指示を、記載しているものはありません。
★あまりに多くの指示や、指使いが書き込まれている楽譜は、
一見、親切そうに見えますが、自分で音楽を分析し、
創り上げる力を、養うことができません。
“ 教えてもらった通りの、演奏しかできない ” 、
“ 教えてもらわないと、弾けない ” 、という惨めな結果になります。
真の音楽家は、育ちにくくなります。
日本で、戦後これだけ ピアノ人口 がありながら、
本当の maestro が、生まれていない理由とも、
関連しているかもしれません。
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