■ショパンの「 前奏曲 」 雨だれの源泉は、平均律 1巻の 3番& 4番 ■
10.3.28 中村洋子
★30日のカワイ表参道・「 第 3回平均律アナリーゼ講座 」 のため、
ショパンの 「 24の前奏曲 」 Op.28 の
No. 15 Des dur 変ニ長調 「 雨だれ 」 を、
自筆譜を見ながら、詳細に検討しております。
★平均律の第 1回講座で、平均律 1番ハ長調と、
ショパンの「 24前奏曲 」 1番 ハ長調が、実に、似通っており、
“ 双子 ” のような関係にあることを、お話しました。
★今回の講座、バッハ 「 第 3番嬰ハ長調 」 と、
ショパンの「 雨だれ 」も、同様な関係です。
「 雨だれ 」 は、さらに、バッハの「 4番嬰ハ短調 」 をも、
取り込んでいます。
★「 雨だれ 」 は、三部形式で成り、第 1部は変ニ長調、
第 2部は嬰ハ短調、再現部としての第 3部は、
もちろん、変ニ長調です。
変ニ長調の主音「 変ニ音 」は、「 嬰ハ音 」と異名同種音です。
このため、考えようによっては、
「 雨だれ 」 は、嬰ハ長調、嬰ハ短調、嬰ハ長調、の
調性で書かれている、とも言えます。
★どうでしょう。
ここで、平均律 3番と 4番の調が、出てきます。
この調性のみならず、形式、モティーフ、フレーズの作り方など、
ショパンが、バッハから何を学んだか、手に取るように分かります。
講座では、それを詳しくご説明します。
★ショパンは、二つの「 エチュード 」、Op.10 と Op.25 を作曲しています。
この 2 曲集をあわせると、 “ 24 のエチュード集 ”になります。
一見しますと、こちらの方が、よりバッハの 「 前奏曲 」 に、
近い内容を、もっているように、思われます。
★しかし、ショパンは、より自由度を増したようにみえる
Op.28の曲集を、なぜ、「 前奏曲 」 と命名したのでしょうか。
★ショパンの伝記によりますと、1838年、28歳だったショパンは、
ジョルジュ・サンドと 「 マジョルカ島 」 に滞在していましたが、
パリを離れるとき、発送を依頼したプレイエル・ピアノが、
なかなか届かず、2ヶ月近くも、まともなピアノなしの生活でした。
クリスマスの頃に、やっと、プレイエルが部屋に届き、
思う存分、ピアノを弾けるようになりました。
そこで直ぐに弾いたのは、「 バッハ 」、
大好きな 「 バッハ 」 だったそうです。
★また、マジョルカ島から、弟子のフォンタナへの手紙で、
ショパンは、「 机の上には、蜀台と蝋燭、バッハ、
僕の下書きなどがある 」と、書いています。
翌年の1月、出来上がった 「 24の前奏曲 」 を、パリに送っています。
★「 前奏曲 」 の作曲中、不自由な環境のなかで、
焦がれるように、バッハを弾いていた、ことがよく分かります。
そして、初めて、バッハと同じタイトル 「 前奏曲 」 を、付けたのは、
バッハを元としながら、ショパンのオリジナルな 「 創造 」 が、
この曲集により、結実したという自負の表れでしょう。
★私の感想ですが、「 エチュード 」 は、あまりに「 バッハ 的 」 なので、
ショパンがそれを、「 前奏曲 」 と命名しなかったのが、
分かるような気がします。
★伝統を完全に自分のものとし、その上に、独創的なものを、
加えていくのが、伝統の真の継承でしょう。
ショパンが、バッハに何を加え、どう革新していったか、
この二人の天才の自筆譜を、見比べることにより、分かってきました。
★その一例として、バッハの「 アウフタクト 」と、
ショパンの 「 アウフタクト 」の相違についても、お話します。
(馬酔木の花)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
10.3.28 中村洋子
★30日のカワイ表参道・「 第 3回平均律アナリーゼ講座 」 のため、
ショパンの 「 24の前奏曲 」 Op.28 の
No. 15 Des dur 変ニ長調 「 雨だれ 」 を、
自筆譜を見ながら、詳細に検討しております。
★平均律の第 1回講座で、平均律 1番ハ長調と、
ショパンの「 24前奏曲 」 1番 ハ長調が、実に、似通っており、
“ 双子 ” のような関係にあることを、お話しました。
★今回の講座、バッハ 「 第 3番嬰ハ長調 」 と、
ショパンの「 雨だれ 」も、同様な関係です。
「 雨だれ 」 は、さらに、バッハの「 4番嬰ハ短調 」 をも、
取り込んでいます。
★「 雨だれ 」 は、三部形式で成り、第 1部は変ニ長調、
第 2部は嬰ハ短調、再現部としての第 3部は、
もちろん、変ニ長調です。
変ニ長調の主音「 変ニ音 」は、「 嬰ハ音 」と異名同種音です。
このため、考えようによっては、
「 雨だれ 」 は、嬰ハ長調、嬰ハ短調、嬰ハ長調、の
調性で書かれている、とも言えます。
★どうでしょう。
ここで、平均律 3番と 4番の調が、出てきます。
この調性のみならず、形式、モティーフ、フレーズの作り方など、
ショパンが、バッハから何を学んだか、手に取るように分かります。
講座では、それを詳しくご説明します。
★ショパンは、二つの「 エチュード 」、Op.10 と Op.25 を作曲しています。
この 2 曲集をあわせると、 “ 24 のエチュード集 ”になります。
一見しますと、こちらの方が、よりバッハの 「 前奏曲 」 に、
近い内容を、もっているように、思われます。
★しかし、ショパンは、より自由度を増したようにみえる
Op.28の曲集を、なぜ、「 前奏曲 」 と命名したのでしょうか。
★ショパンの伝記によりますと、1838年、28歳だったショパンは、
ジョルジュ・サンドと 「 マジョルカ島 」 に滞在していましたが、
パリを離れるとき、発送を依頼したプレイエル・ピアノが、
なかなか届かず、2ヶ月近くも、まともなピアノなしの生活でした。
クリスマスの頃に、やっと、プレイエルが部屋に届き、
思う存分、ピアノを弾けるようになりました。
そこで直ぐに弾いたのは、「 バッハ 」、
大好きな 「 バッハ 」 だったそうです。
★また、マジョルカ島から、弟子のフォンタナへの手紙で、
ショパンは、「 机の上には、蜀台と蝋燭、バッハ、
僕の下書きなどがある 」と、書いています。
翌年の1月、出来上がった 「 24の前奏曲 」 を、パリに送っています。
★「 前奏曲 」 の作曲中、不自由な環境のなかで、
焦がれるように、バッハを弾いていた、ことがよく分かります。
そして、初めて、バッハと同じタイトル 「 前奏曲 」 を、付けたのは、
バッハを元としながら、ショパンのオリジナルな 「 創造 」 が、
この曲集により、結実したという自負の表れでしょう。
★私の感想ですが、「 エチュード 」 は、あまりに「 バッハ 的 」 なので、
ショパンがそれを、「 前奏曲 」 と命名しなかったのが、
分かるような気がします。
★伝統を完全に自分のものとし、その上に、独創的なものを、
加えていくのが、伝統の真の継承でしょう。
ショパンが、バッハに何を加え、どう革新していったか、
この二人の天才の自筆譜を、見比べることにより、分かってきました。
★その一例として、バッハの「 アウフタクト 」と、
ショパンの 「 アウフタクト 」の相違についても、お話します。
(馬酔木の花)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲