■第1回「平均律クラヴィーア曲集・アナリーゼ講座」は1月26日開催です■
09.12.10 中村洋子
★近く、ドイツで出版予定の、私の作品
「無伴奏チェロ組曲第1番」の校訂を、
いま、ヴォルフガング・ベッチャー先生が、
ベルリンで、なさって下さっています。
★先生が出版社にお送りになった、校訂箇所のリストを、
拝見しましたが、行き届いた配慮で、感動するくらい、
細かく、点検されています。
例えば、前打音の符頭について、実際にステージで演奏する場合、
どのように見えるか、まで考慮し、
大きさについて、細かく的確に指示をされています。
ストリンジェンドなどの、指示記号の一部を、
「演奏家の判断に任せるよう、省略してください」等々。
★Urtext(原典版)でありながら、最高のチェリストに、
校訂していただけることは、大変光栄です。
正確な楽譜であると同時に、演奏生理にかなった楽譜となります。
★1月開催の「平均律クラヴィーア曲集・アナリーゼ講座」を前に、
≪エドウィン・フィッシャー Edwin Fischer≫が、演奏した、
平均律のCD(Naxos・Historical 8.110651-52)を聴きました。
「第1巻」は、1933年~34年にかけての録音です。
一般的に、CDの帯のキャッチフレーズは、
的外れなことも、多いのですが、このCDには、
「エドウィン・フィッシャー(1886~1960)は、
この≪旧約聖書≫の史上初の全曲録音を、30年代に敢行、
≪カザルスの無伴奏チェロ組曲≫、
≪シュヴァイツァーのオルガン曲≫と並び、
バッハ演奏史上の、偉業と讃えられています」と、記しています。
私も、全く同感です。
★フィッシャーの、「第1巻1番の前奏曲」を、聴きますと、
≪平均律≫という、美しい大宇宙の「扉」を、初めて開いた時の、
素朴な感動と驚きに、満ち満ちています。
暗い陋屋に差し込んでくる、希望と喜びに満ちた、
美しい光、のようです。
その光に接した感動を、湧き上がるような喜びで、
素直に、表現しています。
心のときめきを、そのまま表すように、演奏も、少し速めです。
感動している若者の心臓、その鼓動にも、似ています。
二次世界大戦に、突入する前の困難な時代に、演奏されました。
★21世紀になってからも、平均律はよく録音されていますが、
最近は、その冷え冷えとした、拒絶するような演奏に、
がっかりすることが、多いのです。
私の講座では、バッハ、そして、このフィッシャーの世界に、
どうやって、近づいていくか、をお話したいと、思います。
★また、フィッシャーの「1番のフーガ」の、
10小節目のバスの主題と、アルトの応答主題による「カノン」の、
溜息のような、“声を潜めた”美しい演奏法、さらに、
12小節目テノールの応答主題の冒頭、イ短調音階の上行形に対応する、
アルト半音階進行の下行形の、見事な対比。
この3小節だけでも、使い古された形容ですが「比類ない演奏」。
★また、この平均律1番の「前奏曲とフーガ」は、
「インヴェンションとシンフォニア1番」と、
緊密な関係に、あります。
インヴェンションと、平均律クラヴィーア曲集を、
別の曲集と、峻別しないほうがよいと、思います。
それらについても、詳しく講座でお話します。
★この厳しい時代に、最も必要とされ、求められる音楽は、
バッハの音楽であると、思います。
フィッシャーは、その優れた弟子たちにより、現在でも、
彼の理念は、継承されていますが、グレン・グールドも、
フィッシャーを徹底的に勉強しており、彼無くしては、
グールドは在りえなかったと、思います。
★グールドを“異端のピアニスト”と、とらえる向きも、
かつてはあったようですが、私の考えでは、
研究熱心な、極めて正統的なピアニストだった、といえましょう。
彼の古典研究や、楽譜の読み込みの深さを、
理解できないがために、異端の演奏と評論するのは、
勉強不足でしょう。
★名ピアニストのCDや演奏を、漫然と何度も聴いても、
バッハの音楽への到達には、程遠いのです。
とにかく、自分で楽譜を読み、ピアノで弾いてみる、
あまり弾けなくても、できる範囲で、弾いてみる、
そういう営為こそが、バッハへの王道です。
★バッハは、音楽を愛している子供や、初心者、愛好家に対し、
インヴェンションの序文で、書いていますように、
大きな手を広げて、歓迎しています。
たとえ、演奏技術がおぼつかなくても、
自分で弾くことにより、バッハの音楽を楽しんで欲しいと、
心から、願っていたことでしょう。
しかし、文献漁りだけで、和声や対位法はおろか、楽器演奏も、
おぼつかない音楽学者に対しては、厳しい拒絶をすることでしょう。
(桜の落葉)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
09.12.10 中村洋子
★近く、ドイツで出版予定の、私の作品
「無伴奏チェロ組曲第1番」の校訂を、
いま、ヴォルフガング・ベッチャー先生が、
ベルリンで、なさって下さっています。
★先生が出版社にお送りになった、校訂箇所のリストを、
拝見しましたが、行き届いた配慮で、感動するくらい、
細かく、点検されています。
例えば、前打音の符頭について、実際にステージで演奏する場合、
どのように見えるか、まで考慮し、
大きさについて、細かく的確に指示をされています。
ストリンジェンドなどの、指示記号の一部を、
「演奏家の判断に任せるよう、省略してください」等々。
★Urtext(原典版)でありながら、最高のチェリストに、
校訂していただけることは、大変光栄です。
正確な楽譜であると同時に、演奏生理にかなった楽譜となります。
★1月開催の「平均律クラヴィーア曲集・アナリーゼ講座」を前に、
≪エドウィン・フィッシャー Edwin Fischer≫が、演奏した、
平均律のCD(Naxos・Historical 8.110651-52)を聴きました。
「第1巻」は、1933年~34年にかけての録音です。
一般的に、CDの帯のキャッチフレーズは、
的外れなことも、多いのですが、このCDには、
「エドウィン・フィッシャー(1886~1960)は、
この≪旧約聖書≫の史上初の全曲録音を、30年代に敢行、
≪カザルスの無伴奏チェロ組曲≫、
≪シュヴァイツァーのオルガン曲≫と並び、
バッハ演奏史上の、偉業と讃えられています」と、記しています。
私も、全く同感です。
★フィッシャーの、「第1巻1番の前奏曲」を、聴きますと、
≪平均律≫という、美しい大宇宙の「扉」を、初めて開いた時の、
素朴な感動と驚きに、満ち満ちています。
暗い陋屋に差し込んでくる、希望と喜びに満ちた、
美しい光、のようです。
その光に接した感動を、湧き上がるような喜びで、
素直に、表現しています。
心のときめきを、そのまま表すように、演奏も、少し速めです。
感動している若者の心臓、その鼓動にも、似ています。
二次世界大戦に、突入する前の困難な時代に、演奏されました。
★21世紀になってからも、平均律はよく録音されていますが、
最近は、その冷え冷えとした、拒絶するような演奏に、
がっかりすることが、多いのです。
私の講座では、バッハ、そして、このフィッシャーの世界に、
どうやって、近づいていくか、をお話したいと、思います。
★また、フィッシャーの「1番のフーガ」の、
10小節目のバスの主題と、アルトの応答主題による「カノン」の、
溜息のような、“声を潜めた”美しい演奏法、さらに、
12小節目テノールの応答主題の冒頭、イ短調音階の上行形に対応する、
アルト半音階進行の下行形の、見事な対比。
この3小節だけでも、使い古された形容ですが「比類ない演奏」。
★また、この平均律1番の「前奏曲とフーガ」は、
「インヴェンションとシンフォニア1番」と、
緊密な関係に、あります。
インヴェンションと、平均律クラヴィーア曲集を、
別の曲集と、峻別しないほうがよいと、思います。
それらについても、詳しく講座でお話します。
★この厳しい時代に、最も必要とされ、求められる音楽は、
バッハの音楽であると、思います。
フィッシャーは、その優れた弟子たちにより、現在でも、
彼の理念は、継承されていますが、グレン・グールドも、
フィッシャーを徹底的に勉強しており、彼無くしては、
グールドは在りえなかったと、思います。
★グールドを“異端のピアニスト”と、とらえる向きも、
かつてはあったようですが、私の考えでは、
研究熱心な、極めて正統的なピアニストだった、といえましょう。
彼の古典研究や、楽譜の読み込みの深さを、
理解できないがために、異端の演奏と評論するのは、
勉強不足でしょう。
★名ピアニストのCDや演奏を、漫然と何度も聴いても、
バッハの音楽への到達には、程遠いのです。
とにかく、自分で楽譜を読み、ピアノで弾いてみる、
あまり弾けなくても、できる範囲で、弾いてみる、
そういう営為こそが、バッハへの王道です。
★バッハは、音楽を愛している子供や、初心者、愛好家に対し、
インヴェンションの序文で、書いていますように、
大きな手を広げて、歓迎しています。
たとえ、演奏技術がおぼつかなくても、
自分で弾くことにより、バッハの音楽を楽しんで欲しいと、
心から、願っていたことでしょう。
しかし、文献漁りだけで、和声や対位法はおろか、楽器演奏も、
おぼつかない音楽学者に対しては、厳しい拒絶をすることでしょう。
(桜の落葉)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲