音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ショパン「エチュードOp 25の1」の手稿譜から、読み取れること■

2009-07-14 01:22:21 | ■私のアナリーゼ講座■

■ショパン「エチュードOp 25の1」の手稿譜から、読み取れること■
                    09.7.13 中村洋子


★7月18日に開催いたします「伝通院コンサート」の、準備のため、

チェンバロの名器「ダウド」で、練習させて頂いております。

演奏会用の曲の合い間に、7月28日の第12回 カワイ

「インヴェンション・アナリーゼ講座」で、お話します

「インヴェンション&シンフォニアの各12番」を、

弾いてみました。

驚くべきことに、固かった芙蓉の蕾が、一気に花咲いたように、

チェンバロの音が、豊かに共鳴して、響き始めたのです。

“音の愉悦”とでも呼びたくなるような、心地よさに

部屋中が、包み込まれました。


★この豊かさは、バッハのインヴェンションを、

チェンバロで弾く際、いつも、感じることです。

ピアノで、インヴェンションを弾いても、

同じ様な体験は、ありません。

アナリーゼ講座で、いつもお話していますように、

バッハの曲を、ピアノで弾くには、ある種の“ 翻訳 ”

という作業が、必要なのです。


★これは、ショパンについても、同様です。

「“ピアノ”の詩人」と言われ、現代の大きなグランドピアノで、

作曲したような、イメージがあります。

以前、ショパン時代の、古い「プレイエル」を、

実際に、試弾したことがありました。


★現代のピアノとは、大きな相違がありました。

ピアノのスケールが小さく、タッチもペダルも、

全く別物と、考えたほうがよさそうです。

ショパンの手稿譜から、ショパンの作曲の意図を、

誠実に読み取り、さらに、それを現代のピアノで弾くとき、

どのように“翻訳”するかを、考える必要があるのは、

バッハを、ピアノで弾くときと、同じ作業です。


★5月31日のブログ≪ショパン・ナショナル・エディション

(エキエル版)は、本当に原典版か?≫と、

6月12日の≪ショパン「エチュードOp 25-1」の、手稿譜と

エキエル版との相違点≫の2つのブログの、続きをお話します。


★「エチュードOp 25-1」の手稿譜は、全3ページです。

その1ページ目の下に、製版者への、ショパンの注意書きが、

記されています。

nota :Pour le graveur.Il faut graver bien distinctement

les grandes et les petites notes.

製版者への注意:大きい音符と小さい音符を、

はっきり区別して、彫ること。


★現在、出版されている楽譜も、大きい音符と小さい音符とを、

2種類に区別して、印刷していますが、

ショパンの手稿譜では、それ以上に、視覚的にはっきりと、

大と小を区別して、書かれています。

1小節目から10小節までの間の、左手パートの、

大きい音符の中でも、特に、1小節目1拍目の As 、

5小節目1拍目の Des 、8小節目の Es 、9小節目1拍目の As が、

黒々と大きく書かれ、目に飛び込んできます。


★1小節目の As は、この曲の主調である As dur の主音で、

5小節目の Desは下属音、8小節目の Es は属音、

9小節目 As は、再び主音に戻ります。

≪この9小節目までで、大きなカデンツを、形作る≫、

これが、5月31日のブログで書きました、

「8小節目から、9小節目第1音まで、スラーを延ばしている」

理由なのです。

と同時に、9小節目第1音は、そこから、また、

新しいカデンツの、始まりの音でもあるのです。


★「エキエル版」では、8小節目の終わりで、

スラーが、終了しています。

エキエル版の表記では、カデンツが、主音に戻らずに、

終わってしまい、完結していません。


★また、6月12日のブログで、書きましたように、

8小節目と9小節目の間について、

手稿譜では、 piano記号が、小節線の真上にあるのに対し、

エキエル版では、 piano記号が、9小節目の1拍目頭部にあります。

1小節目から9小節目までを、大きなカデンツと、とらえた場合、

カデンツの終止音にあたる9小節目第1拍目の前、即ち、

8小節目と9小節目の小節線の真上に、ピアノ記号を置くことで、

終止音が、デリケートなピアノで、詩的に奏されます。

エキエル版のように、9小節目に入ってから、

ピアノ記号が付されますと、いかにも、無機的な、

あまり詩的とは言い難い音楽に、なってしまいます。


★エキエル版を、何十年見つめていても、手稿譜のように、

新鮮な、感動は得られません。

ショパン自身が≪9小節目で、いきなりピアノ記号に飛び込まず、

その前にほんの一瞬、心の中で準備をし、それから、

“ピアノ”で弾くように≫という指示を、出しているのです。

これは、ショパン時代のピアノと、現代のピアノとの、

機能的な相違ということとは、関係ありません。

これは、すぐに、実験できますので、お試しください。


★また、ショパンは、2小節ごとに、1単位として作曲しています。

2小節目と3小節目の間の小節線の真上に「1 」

4小節目と5小節目の間の小節線の真上に「 2 」

6小節目と7小節目の間の小節線の真上に「 3 」

というふうに、「 6 」まで、数字が書かれています。


★骨格は、2小節単位でありながら、旋律の運び方、

ペダルの位置、強弱、cresc. dim. の位置により、

複雑に、デリケートに、単調な2小節単位の音楽に、

陥らないように、変化させています。

例えば、4小節目について、手稿譜では、ペダルを離す記号が、

2拍目6連符の、5番目の音の位置にあり、

次ぎに踏むペダル記号の位置が、2拍目と3拍目の中間に、

記載されています。
 

★エキエル版では、ペダルを離す記号が、

2拍目と3拍目の間にあり、次ぎに踏むペダル記号の位置が、

3拍目の頭部に記載されています。

手稿譜の、ペダルを離す位置は、

エキエル版よりも、早くなっています。

それによって、1拍目と2拍目が、

一つのまとまった「音の動き」であることが、分かります。


★その「音の動き」とは、即ち、

ソプラノの1拍目 B が、非和声音の倚音であり、

2拍目のAsは、倚音が解決した和声音であるからです。

現代のピアノで演奏すると、不自然に聴こえるかもしれませんが、

当時のピアノは、現代のピアノほど、ペダルによって、

音が拡大しないために、早めに、ペダルを離しても、

指のレガートによって、それほど、違和感はなかったはずです。


★ショパンが、ここで、最も表現したかったのは、

Bの不協和な響きが、Asによって、協和音程に解決し、

この二つの音が、一つのまとまりであることを、

ペダルのニュアンスで、表現させることです。


★さきほど、バッハを例にとって、書きましたように、

この曲を弾く時には、それを、どうやって、現代のピアノに、

“ 翻訳 ”していくか、考える必要があります。

ただし、ショパンの本来の意図を知ることがなければ、

“ 翻訳 ”のしようがない、ともいえます。


★ 9小節目のcres.を始める位置も、エキエル版は、

大雑把に、2拍目6連符の1番目の音から、始めていますが、

これは、ショパンの意図を、無視しています。

9小節目のソプラノは、1、2、3、4拍とも、

各拍頭が、Es の同音連打になっています。

ショパンは、cres. を始める位置を、

2拍目の6連符の5番目の音から、とすることにより、

3拍目のソプラノEs に、向かって、あたかも、

アウフタクトの As、C、が存在しているように

演奏することを、示唆しています。


★それは、4回の同音連打が、単調に陥らないにするものであり、

エキエル版のように、機械的に2拍目から、cres.を始めますと、

4回奏される同音連打の、Es の音の弾き方が、

ショパンの求めていたものとは、

大きく、異なってしまうでしょう。


★私は、この手稿譜を読むことにより、

ショパンがどれだけ、心血を注いでこの曲を作曲し、

どれだけ、豊かな音楽を創造したか、

初めて、分かりました。

もっと早くから、優れた「原典版」で、

勉強することができたら・・・と、残念な気持ちも、ありますが、

学ぶことに遅すぎるということは、ありませんので、

これから、じっくり勉強し、皆さまにも、

お知らせしたいと、思います。

私の著作「クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり!」
http://diskunion.net/dubooks/ct/detail/1006948955

153~160ページ≪ショパン「EtudeエチュードOp.25-1」の
                                           自筆譜とエキエル版との相違点≫で、

詳しく解説しております。


                       (女郎花)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

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