■ショパン「エチュードOp 25の1」の手稿譜から、読み取れること■
09.7.13 中村洋子
★7月18日に開催いたします「伝通院コンサート」の、準備のため、
チェンバロの名器「ダウド」で、練習させて頂いております。
演奏会用の曲の合い間に、7月28日の第12回 カワイ
「インヴェンション・アナリーゼ講座」で、お話します
「インヴェンション&シンフォニアの各12番」を、
弾いてみました。
驚くべきことに、固かった芙蓉の蕾が、一気に花咲いたように、
チェンバロの音が、豊かに共鳴して、響き始めたのです。
“音の愉悦”とでも呼びたくなるような、心地よさに
部屋中が、包み込まれました。
★この豊かさは、バッハのインヴェンションを、
チェンバロで弾く際、いつも、感じることです。
ピアノで、インヴェンションを弾いても、
同じ様な体験は、ありません。
アナリーゼ講座で、いつもお話していますように、
バッハの曲を、ピアノで弾くには、ある種の“ 翻訳 ”
という作業が、必要なのです。
★これは、ショパンについても、同様です。
「“ピアノ”の詩人」と言われ、現代の大きなグランドピアノで、
作曲したような、イメージがあります。
以前、ショパン時代の、古い「プレイエル」を、
実際に、試弾したことがありました。
★現代のピアノとは、大きな相違がありました。
ピアノのスケールが小さく、タッチもペダルも、
全く別物と、考えたほうがよさそうです。
ショパンの手稿譜から、ショパンの作曲の意図を、
誠実に読み取り、さらに、それを現代のピアノで弾くとき、
どのように“翻訳”するかを、考える必要があるのは、
バッハを、ピアノで弾くときと、同じ作業です。
★5月31日のブログ≪ショパン・ナショナル・エディション
(エキエル版)は、本当に原典版か?≫と、
6月12日の≪ショパン「エチュードOp 25-1」の、手稿譜と
エキエル版との相違点≫の2つのブログの、続きをお話します。
★「エチュードOp 25-1」の手稿譜は、全3ページです。
その1ページ目の下に、製版者への、ショパンの注意書きが、
記されています。
nota :Pour le graveur.Il faut graver bien distinctement
les grandes et les petites notes.
製版者への注意:大きい音符と小さい音符を、
はっきり区別して、彫ること。
★現在、出版されている楽譜も、大きい音符と小さい音符とを、
2種類に区別して、印刷していますが、
ショパンの手稿譜では、それ以上に、視覚的にはっきりと、
大と小を区別して、書かれています。
1小節目から10小節までの間の、左手パートの、
大きい音符の中でも、特に、1小節目1拍目の As 、
5小節目1拍目の Des 、8小節目の Es 、9小節目1拍目の As が、
黒々と大きく書かれ、目に飛び込んできます。
★1小節目の As は、この曲の主調である As dur の主音で、
5小節目の Desは下属音、8小節目の Es は属音、
9小節目 As は、再び主音に戻ります。
≪この9小節目までで、大きなカデンツを、形作る≫、
これが、5月31日のブログで書きました、
「8小節目から、9小節目第1音まで、スラーを延ばしている」
理由なのです。
と同時に、9小節目第1音は、そこから、また、
新しいカデンツの、始まりの音でもあるのです。
★「エキエル版」では、8小節目の終わりで、
スラーが、終了しています。
エキエル版の表記では、カデンツが、主音に戻らずに、
終わってしまい、完結していません。
★また、6月12日のブログで、書きましたように、
8小節目と9小節目の間について、
手稿譜では、 piano記号が、小節線の真上にあるのに対し、
エキエル版では、 piano記号が、9小節目の1拍目頭部にあります。
1小節目から9小節目までを、大きなカデンツと、とらえた場合、
カデンツの終止音にあたる9小節目第1拍目の前、即ち、
8小節目と9小節目の小節線の真上に、ピアノ記号を置くことで、
終止音が、デリケートなピアノで、詩的に奏されます。
エキエル版のように、9小節目に入ってから、
ピアノ記号が付されますと、いかにも、無機的な、
あまり詩的とは言い難い音楽に、なってしまいます。
★エキエル版を、何十年見つめていても、手稿譜のように、
新鮮な、感動は得られません。
ショパン自身が≪9小節目で、いきなりピアノ記号に飛び込まず、
その前にほんの一瞬、心の中で準備をし、それから、
“ピアノ”で弾くように≫という指示を、出しているのです。
これは、ショパン時代のピアノと、現代のピアノとの、
機能的な相違ということとは、関係ありません。
これは、すぐに、実験できますので、お試しください。
★また、ショパンは、2小節ごとに、1単位として作曲しています。
2小節目と3小節目の間の小節線の真上に「1 」
4小節目と5小節目の間の小節線の真上に「 2 」
6小節目と7小節目の間の小節線の真上に「 3 」
というふうに、「 6 」まで、数字が書かれています。
★骨格は、2小節単位でありながら、旋律の運び方、
ペダルの位置、強弱、cresc. dim. の位置により、
複雑に、デリケートに、単調な2小節単位の音楽に、
陥らないように、変化させています。
例えば、4小節目について、手稿譜では、ペダルを離す記号が、
2拍目6連符の、5番目の音の位置にあり、
次ぎに踏むペダル記号の位置が、2拍目と3拍目の中間に、
記載されています。
★エキエル版では、ペダルを離す記号が、
2拍目と3拍目の間にあり、次ぎに踏むペダル記号の位置が、
3拍目の頭部に記載されています。
手稿譜の、ペダルを離す位置は、
エキエル版よりも、早くなっています。
それによって、1拍目と2拍目が、
一つのまとまった「音の動き」であることが、分かります。
★その「音の動き」とは、即ち、
ソプラノの1拍目 B が、非和声音の倚音であり、
2拍目のAsは、倚音が解決した和声音であるからです。
現代のピアノで演奏すると、不自然に聴こえるかもしれませんが、
当時のピアノは、現代のピアノほど、ペダルによって、
音が拡大しないために、早めに、ペダルを離しても、
指のレガートによって、それほど、違和感はなかったはずです。
★ショパンが、ここで、最も表現したかったのは、
Bの不協和な響きが、Asによって、協和音程に解決し、
この二つの音が、一つのまとまりであることを、
ペダルのニュアンスで、表現させることです。
★さきほど、バッハを例にとって、書きましたように、
この曲を弾く時には、それを、どうやって、現代のピアノに、
“ 翻訳 ”していくか、考える必要があります。
ただし、ショパンの本来の意図を知ることがなければ、
“ 翻訳 ”のしようがない、ともいえます。
★ 9小節目のcres.を始める位置も、エキエル版は、
大雑把に、2拍目6連符の1番目の音から、始めていますが、
これは、ショパンの意図を、無視しています。
9小節目のソプラノは、1、2、3、4拍とも、
各拍頭が、Es の同音連打になっています。
ショパンは、cres. を始める位置を、
2拍目の6連符の5番目の音から、とすることにより、
3拍目のソプラノEs に、向かって、あたかも、
アウフタクトの As、C、が存在しているように
演奏することを、示唆しています。
★それは、4回の同音連打が、単調に陥らないにするものであり、
エキエル版のように、機械的に2拍目から、cres.を始めますと、
4回奏される同音連打の、Es の音の弾き方が、
ショパンの求めていたものとは、
大きく、異なってしまうでしょう。
★私は、この手稿譜を読むことにより、
ショパンがどれだけ、心血を注いでこの曲を作曲し、
どれだけ、豊かな音楽を創造したか、
初めて、分かりました。
もっと早くから、優れた「原典版」で、
勉強することができたら・・・と、残念な気持ちも、ありますが、
学ぶことに遅すぎるということは、ありませんので、
これから、じっくり勉強し、皆さまにも、
お知らせしたいと、思います。
★私の著作「クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり!」
http://diskunion.net/dubooks/ct/detail/1006948955
153~160ページ≪ショパン「EtudeエチュードOp.25-1」の
自筆譜とエキエル版との相違点≫で、
詳しく解説しております。
(女郎花)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲