音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■インヴェンションを小学生で学べば、本物の音楽が身につき、終生忘れない■

2016-02-27 22:44:41 | ■私の作品について■

■インヴェンションを小学生で学べば、本物の音楽が身につき、終生忘れない■
~《クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり》に新しいレビュー~
                 2016.2.27    中村洋子

 

 


私の著書《クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり》に、

新しいブックレビューを、四人の方からいただきました。

 

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■みずから学ぶための手引き
               2016年2月27日

ピアノの勉強は小学生で止めてしまいました。

「大人になったとき続けていたらよかったのに、と思うよ」
という周りの大人たちの声を背にしながら。

それから人生の折々に、音楽は宿題のように感じて、
そのたびにあれこれ書物を手にとりながらも、
独り学ぶ方法が分かりませんでした。

好きだったバッハのインヴェンション、シンフォニアから
再開できるかと、
楽譜を用意した直後に、
WEB検索で著者のブログを知ったのは一年前のことです。

あやうく別の道でまた迷うところだったと、楽譜を買いなおしました。

ブログの教えてくださることを音で確かめながら進めることにしました。

以来、美しい写真とともに端正なブログの文章を愛読しております。

力づけられたことを数点あげれば、
 ・自分の感じ方を大切に
 ・弾けなくとも弾ける範囲で自分で音にして聞くこと
 ・無味乾燥な和声学の教科書や用語に惑わされることなく、
  曲そのものから学ぶこと

また、fingeringが単なる弾きやすさのための指番号ではなく、
曲の構造を示すために使われることを、初めて知りました。

この度、ブログの内容を補って本を出版されると知り早速求めました。

本では、著者の手書き譜がさらに沢山加わり、ていねいに説明されています。

暗譜しようと努力することは、私にとっては曲をまず理解するために
役立っています。

何度も忘れますが、譜面を離れて思い出し、
そこで再度譜面を見ると、初めて気づくことがあります。

これからの生活の中で少しずつ、音をよく聞き、味わい、
楽しむことができる、
その手引きとなる本だと思います。

どなたでもご一緒に学んで参りましょうという中村先生のことばに
励まされます。
                               (了)

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お好きでした「インヴェンション & シンフォニア」の勉強を再開された、

という、とても嬉しいお話です。

それは、小学生の時代に「インヴェンション & シンフォニア」を学ばれ、

知らないうちにそれが身につき、滋養となり、宿っていたからなのです。


★私の著書の Chapter 2 ≪対位法とはどういうものでしょうか≫に、

以下のように書いております。

 

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≪  インヴェンションを学べば対位法が身につく

 「対位法」について、余すことなく語っているのが、Albert Schweitzer アルベルト・シュヴァイツァー(1875-1965)です。バッハのオルガン作品について最高のオルガニストであったシュヴァイツァーの著書「Johann Sebastian Bach」には、インヴェンションについての記述があります。本文中の「多声部の作曲法」は、まさに「対位法」そのもののことです。

  現代の平均的な音楽家が、作曲理論について、 乏しい知識しかもちあわせていなかったとしても、その音楽家が、もし本物の芸術と偽物の芸術とを厳しく見分ける力を、もっていたとすると、それは、まさにバッハのインヴェンションのお陰である、ということができる

  このインヴェンションを、練習したことがある子どもは、ピアノ習得のための一過程として、機械的に練習していたとしても、その子どもは、 多声部の作曲法を、身につけている、といえる。それは決して、消え去ることのないものである。

  それを習得した子どもは、どんな音楽に接しても、 本能的にその音楽の中で、インヴェンションと同じように、 多声部が巧みに見事に織り込まれているかどうか、探求するようになるのである。そして、多声部が紡がれていない部分は、 貧困な音楽であると感じるのである

 この言葉を、もっと単純化すると、次のようになります。
≪インヴェンションを学びさえすれば、対位法=多声部の作曲法が身につき、本物の芸術と偽物とを区別できる能力が自然に養われる。そして、それは終生消え去らないのである≫(子どもに限らず大人でも、同様のことが言えると思います)。
 初心者でも弾けるくインヴェンションに対位法が縦横に張り巡らされている
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★このシュヴァイツァーの言葉どおり、≪インヴェンションを、練習したことがある子どもは、ピアノ習得のための一過程として、機械的に練習していたとしても、その子どもは、 多声部の作曲法を、身につけている、といえる。それは決して、消え去ることのないものである。

≪インヴェンションを学びさえすれば、対位法=多声部の作曲法が身につき、本物の芸術と偽物とを区別できる能力が自然に養われる。そして、それは終生消え去らないのである≫(子どもに限らず大人でも、同様のことが言えると思います)。

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音楽を楽しむのに、年齢は関係ございません。

Bach先生は、懐が深いのです。

Bachの音楽に触れ、勉強すれば、

シュヴァイツァーが書きましたように、

《本物の芸術と偽物の芸術とを厳しく見分ける力》が備わるのです。


★そうなれば、Bach先生はあなたの傍らに立ち、

直接、優しく指導してくださっているのです。


★日本では、今までも、そして今も、Bachを苦手とされる

ピアノの先生方が、多いようです。

苦手意識をもって、嫌々Bach を教えていらっしゃる方も、

少なからずおられるようです。

その結果、生徒さんたちがBachを楽しみ、感動しながら学ぶ機会を

逸してしまいます。

本当のクラシック音楽の扉を、そうした先生に通ったがために、

閉ざされてしまうことは、残念で、そして生徒さんにとっては、

とてもお気の毒なことです。

 

 


《・自分の感じ方を大切に
  ・弾けなくとも弾ける範囲で自分で音にして聞くこと
  ・無味乾燥な和声学の教科書や用語に惑わされることなく、
    曲そのものから学ぶこと
   また、fingeringが単なる弾きやすさのための指番号ではなく、
    曲の構造を示すために使われることを初めて知りました


無味乾燥な教科書ではなく、Bachの作品を教科書として、

Bachを学びさえすれば、商業主義の大宣伝に惑わされることなく、

自信をもって、ご自分の感性で、審美眼で、

いい音楽、悪い音楽を見分けることができるのです。


Edwin Fischer やRöntgen、Bartókなどによる秀逸な校訂版は、

Fingeringによって、作品の構造を解き明かしているのです。

しかし、それはほとんど理解されていません。

上記の校訂版が絶版になりかかっている事実が、

それを物語っています。

 

 

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■より大きな学び
        愛好家 2016年2月21日

手書きの譜例付きで初心者の私でもわかり易いアナリーゼからは、バッハやショパンなど作曲家の意思に直結する和声や構成を愉しく学べます。「なぜバッハの音楽が美しいのか」といった私の「永遠の謎」が解明されるような感覚を味わい、一音一音が秘める素晴らしさにさらなる興味を掻き立てられます。人それぞれ音楽に使える貴重な時間を、濃密に有機的に学べるような示唆が沢山語られ、生涯出会う楽曲共通の課題やアプローチの仕方が凝縮されています。クラシック音楽を演奏する、聴く、とはどういう事かという原点を考える機会を頂き、教養のような普段より大きなことを学ぶことができ、感謝いたします。

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《バッハやショパンなど作曲家の意思に直結する和声や構成を愉しく学べます。「なぜバッハの音楽が美しいのか」といった私の「永遠の謎」が解明されるような感覚を味わい、一音一音が秘める素晴らしさにさらなる興味を掻き立てられます》

 

★「なぜバッハの音楽が美しいのか」・・・

バッハの音楽を美しいと感じることから、すべてが始まります。

美しいと感じさえすれば、もう勉強が始まっています。

 

 


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■音楽の学び方
             まりねこ 2016年2月20日

「音楽を深く知るには作曲家の自筆譜を研究すること」--中村さんが主張するこの本を読み、心の底から、なるほど!と思いました。私は、権威ある老舗の出版社の楽譜なら間違いはないと信じ、子どもの頃からピアノやチェロなど練習をしてきました。しかし、それが空しいことだったのでしょうか。確かに一般の楽譜は原作者の思いもよらない内容が書き加えられたり変更されたりしていることが少なくないようです。コピーから学んでも単なるニセモノの上塗りにすぎないとも言えるのでしょう。今まで展覧会で見るだけだった自筆譜にじかに接することで、これからは作曲家の本当に表現したかった音楽について考え、その真の面白さを探していきたいです。


★《権威ある老舗の出版社の楽譜なら間違いはないと信じ・・・、
今まで展覧会で見るだけだった自筆譜にじかに接することで、これからは作曲家の本当に表現したかった音楽について考え、その真の面白さを探していきたいです》


★不思議な感覚ですが、自筆譜を学んでおりますと、

その作品から、音楽の真の楽しさが、つくづく感じられるのです。

作曲家の肉声が聴こえ、このように演奏していたと、

音を伴ったかたちで、眼前に現れてきます。

しかし、実用譜からは、その生きた音楽は固く口を閉ざし、

冷たい沈黙があるのです。


★それは、例えば Chopinが、スラーをフレーズの始まる符頭の

遥か前から書き始めている場合がよくあります。

これは、音が実際に発せられる前から既に、

フレーズの音楽が始まっている、という意味です。

実用譜は、四角四面に冷たく判で押したように、符頭から始めています。


★あるいは、一見しますと一つの和音にみえるところでも、

作曲家は、個々の音の符尾の向きを上か下か区別して

書き分けている場合がよくあります。

符尾の向きで、どの声部の音かを示しているのです。

どの声部かが分かりますと、音色も決定できます。

アルトとテノールを比べますと、女声、男声の差があります。

ソプラノとアルトでも、大違いですものね。


実用譜は、それらを全部一つの方向に“串刺し”のように揃えてしまいます。

それでは、作曲家の意図は見えてきません。

色褪せたモノトーンの音楽しか、表現できません。

 

 


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■おもしろい
               なまえ 2016年2月19日

ブログを見ていたので読みました。
暗譜の仕方が面白かったです。
自分は23歳くらいまで何もしなくても15分くらいの曲(バッハ〜ドビュッシー、
ラフマニノフのエチュードも)1週間で覚えてしまう人で、
1ヶ月で本番でも全く平気だったのでこういう方法をしたことがありませんでした。
演奏者は若い時はほとんどそうではないかと思います。
年をとってから苦労してます。
機械的に区切るのは抵抗がありますが
(例えば、セリフを文字数で単語の途中で区切って覚えるのことはないだろう)
とりあえずはやってみて判断しようと思います。

声部わけの練習は普通の事だと思いました。
加えて片方を声で歌うのが常識かも。


★《23歳くらいまで何もしなくても15分くらいの曲(バッハ〜ドビュッシー、
ラフマニノフのエチュードも)1週間で覚えてしまう人で、
1ヶ月で本番でも全く平気だったのでこういう方法をしたことがありませんでした。
演奏者は若い時はほとんどそうではないかと思います。
年をとってから苦労してます》


《年をとってから苦労してます》

若い時には、確かに暗譜は楽ですね。

正確に申しますと、「楽に思える」ということではないでしょうか。


★ミスをすることなく、最後まで弾き通す能力と、

本当の暗譜は、少し異なった性格かもしれません。

もちろん、記憶力はだんだんと衰えていくのは否定できませんが、

毎日毎日、倦まず堪えまず声部の一つ一つを検討しながら、

大作曲家の作品を勉強する、

それこそが、本当の「音楽を楽しむ」ことになると、思います。

「暗譜」は、その結果に過ぎないのかもしれません。

 

★Wilhelm Kempff ヴィルヘルム・ケンプ (1895-1991)や、

Arthur Rubinstein アルトゥール・ルービンシュタイン

(1887-1982)など、ヨーロッパの本当のマエストロが、

演奏家として最晩年の80歳代まで、暗譜で演奏をしていた、

という事実を、深く噛みしめたいものです。

Rubinstein ルービンシュタインが、若い頃の勢いのある奔放な

演奏から、中年以降、精緻にして考え抜かれた演奏へと、

変貌していったことも、関連しているでしょう。

 

 

 


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▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

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