音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ Dietrich Fischer-Dieskau が死去 、Dieskauのある一面 ■

2012-05-20 19:20:42 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■ Dietrich Fischer-Dieskau が死去 、Dieskauのある一面 ■
                        
                                       2012.5.20   中村洋子

 

 

★ 「 Oh!   Winter Reise !!   冬の旅だ !!! 」 

昨年 12月、金沢近郊・津幡町の Cygnus Hall シグナスホールで、

私の ≪ Suite Nr.  4、 5、 6 für Violoncello solo

無伴奏チェロ組曲 4、 5、 6番 ≫ を、Wolfgang . Boettcher

ヴォルフガング・ベッチャー先生に CD recording して頂きました。

 

★録音は、真剣勝負です。

奏者と録音技術者、作曲家との間で、

火花が飛び散るようなやり取りが、交わされます。

一段落し、ほっとして、夕闇迫る外界を見回しますと、

美しい、銀世界に包まれていました。

 

★Berlin はとても寒いところですが、雪はあまり降らないそうです。

食事に出かける車中、先生は 「 Winter Reise !!! 」 と、

金沢の美しい雪景色にうっとり、そして、追憶を辿るように、

Dietrich Fischer-Dieskau フィッシャー・ディースカウの思い出を、

問わず語りに、話してくださいました。


★その Dietrich Fischer-Dieskau が 5月 18日、86歳で亡くなりました。

87歳のお誕生日まで、あと 10日でした。

Dieskau につきましては、2009年 3月 21日の当ブログでも、書きました。

どうぞ、ご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/d/20090321

 


★Boettcher先生は、1947年 Dieskau の Berlin ベルリンでの

Lied Debut Recital デビューリサイタルを、お聴きになったそうです。

Dieskau は 22歳、先生は Dieskau より 10歳年下のまだ 12歳でした。

終戦から 2年たらず、ベルリンは廃墟からの復興の時期でした。

しかし、人々は本物の音楽、芸術に飢えていました。

「 コンサートは、ホールでなく映画館でした、巨大な映画館でした。

私は、感動して涙を流しながら、家まで歩いて帰ったよ 」 と、

昨日のことのように、話されました。


★ Dieskau とのご縁は深いそうで、Dieskau の息子さんは、

Boettcher  ベッチャー先生について、チェロを学び、

現在、チェリストとして活躍中だそうです。

 


Dieskau は後年、指揮者としても活躍しましたが、

1973年の Conductor Debut Concert デビューコンサートは、

Haydn Cello Concerto No.1 C major で、 

オーケストラは、 Camerata Academica Salzburg 、 

Cello は、Wolfgang . Boettcher ベッチャー先生でした。

この live recording が、CDで発売されています
                   = 「 Orfeo-C221901B 」


★これは、私の愛聴盤で、何度も何度も聴いています。

Haydn の音楽のもつ、悠揚迫らない、

抜ける青空のような世界を、朗々と歌い上げています。

Haydn という作曲家の本質が、自然に理解できる、

素晴らしい演奏です。


★先生は、 マスタークラスのために来日された際、

Haydn Cello Concerto No.1 C major を

日本でも、録音されていますが、

「 この録音は、気に入っていませんので、是非、

Dieskau 指揮の録音を聴いて欲しい 」 とのことです。

 


★私が師として慕う、もう一人の芸術家、 Bariton バリトンの、

 late Teiichi Nakayama 故 中山悌一先生も、

第二次大戦後、ドイツで勉強中に、

Dieskau の若い時代のオペラを、お聴きになったことがあります。

「 彼は、ある音域での声がザラザラする。

そのため、オペラより リートを選んだのではないか 」 と、

話されていました。


★中山先生は、Gerhard Hüsch ゲルハルト・ヒュッシュ から

「 Lied 」 を、学ばれた方です。

「 Dieskau の Lied 」 の、怜悧といもいえる個性とは、

少し、肌合いが異なっていました。

芸術家の真の評価は、死後に段々と定まっていくことでしょう。

 


                                    ※copyright © Yoko Nakamura
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