音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■エキエル校訂のショパン「別れの曲」は、原典といえるのか?■

2010-11-09 17:57:08 | ■私のアナリーゼ講座■

■ エキエル校訂のショパン「別れの曲」は、原典といえるのか?■
                        2010.11.9 中村洋子


★近く、ドイツで出版されます、

私の3冊目の楽譜 「 チェロ 四重奏曲集 」 の、

校訂作業中で、忙しくしております。


★ドイツの出版社から 「 あなたの自筆原稿で、2小節ごとに、

3回フォルテが記譜されており、 2回目と 3回目は必要ないのでは、

あるいは、2回目、3回目は、アクセントを意味するのでしょうか 」

という、問い合わせがありました。


★確かに、1回 forte と記譜した以上、

それを解除する記譜が無い限り、その後も、

forte が続く、というのが、楽典の常識です。

しかし、作曲中の私の気持ちとしては、

「 2回目のフォルテの際、緩めることなく、そのまま、

フォルテで弾く、3回目も、どうぞ、そのまま、

フォルテで弾いて欲しい」 という、

願いから、出てきた記譜です。


★しかし、常識に沿った出版社の疑問も、当然ですので、

1回目を、piu forte  ( その前が、mf でしたので、

結果として forte を意味する ) 、2回目を forte、

3回目の forte 記号は削除、ということにしました。

演奏上は、私の最初の記譜と同じように、

 forte が、続くことになります。


★この私の楽譜は、作曲家の ≪ 生前出版 ≫ となり、

出版楽譜の記譜は、≪ 作曲家自身の校閲を経ている ≫ ため、

≪ 自筆譜より、正しい記譜である ≫ ということに、

一般的には、なります。


★しかし、このように、作曲家が意図した音楽が、

最も、生々しく流れているのは、≪ 出版楽譜 ≫ より、

≪ 自筆譜 ≫ である、ということは、論を待ちません。


★このことは、ベートーヴェン、モーツァルト、シューマン、

ドビュッシーなどの、大作曲家の遺した自筆譜と、出版楽譜との

関係と、全く同じです。


★ショパンの「 Etude in E major Op.10 no.3 」

通称 「 別れの曲 」 についても、同様です。

この曲については、ショパンが、極めて丁寧に清書した

「 自筆譜 」 が、残されています。


★この自筆譜を見ますと、ショパンが、

バッハの 「 平均律クラヴィーア曲集 1巻 9番 ホ長調 」や、

モーツァルトの作品を、完全に自分の血肉としたうえで、

自らの 「 Etude 」 を、創作したということが、よく分かります。


★いま話題の 「 エキエル版 」 を、見ますと、

この版は、「 自筆譜を見比べつつ、

『 初版楽譜の第 2刷 』 を底本とし、さらに、

ショパンの弟子カミ―ユ・デュボアなど、

三人のお弟子さんの楽譜に、ショパンが残した書き込みも、

考慮した 」 とあります。


★結論から言いますと、これは、

ショパンの 「 原典 Urtext 」 ではなく、

エキエルが、さまざまなソースを自分の主観により、

取捨選択して作り上げた、「 エキエルの ショパン楽譜 」

ということが、できます。


★この楽譜の欠点は、次のような点です。

「 底本としている 『 初版楽譜の第 2刷 』

エキエルの判断で、自筆譜の表記を加えている

ところが見受けられるが、それについては、

全く、注釈していない。

つまり、どこが自筆譜のままなのか、

どこが 『 初版楽譜の第 2刷 』 の表記なのかは、

不明である 」

もう一点、 「 ショパンの自筆譜と、

 『 初版楽譜の第 2刷 』 とは、表記が顕著に、

異なっているところがありますが、

それが、どこであり、どのように異なっているか、

エキエル版には、その説明が、なされていない 」

という点です。

 

★具体的な例を、一つ挙げますと、

2小節目の  ≪ 1拍目 ソプラノ ≫  は、

16分音符 4つ ( Fis,  Gis,  Gis,  Fis ) から、出来ています。

自筆譜では、3番目、4番目の ( Fis,  Gis ) に、スラーが掛り、

この Gis の少し前から、 ≪ ディミヌエンド ≫ が、始まります。

ただし、この ≪ ディミヌエンド ≫ は、

≪ アクセント ≫ のようにも、

見えるように、書き込まれています。

この個所が、9小節目で反復されるときは、

明らかに ≪ アクセント ≫ のように、記譜されています。


★エキエル版は、ショパン初版楽譜をそのまま、踏襲して、

16分音符 4つ (  Fis,  Gis,  Gis,  Fis  ) の音を、

一つのスラーで括り、

1番目の Fis 、 2番目の Gis に、クレッシェンドを、

3番目の Gis、 4番目の Fis に、ディミヌエンドを、

付しています。


★さらに、理解しにくいことは、

2拍目の ≪ ソプラノ 4分音符 Gis ≫に、

意味不明の、 ≪ ディミヌエンド記号のようなもの ≫ が、

記されています。

この不明の記号を、「 アクセント 」 ととることは、

非音楽的ですし、4分音符の長い音 1音を、

一体どうやって、ディミヌエンド できるのでしょうか。


★この個所での、記譜の違いは一見、

些細で、 “ つまらないことに目くじらを立てている ” 、

と、受け取られるかもしれません。

しかし、ここにこそ、ショパン音楽の本質が、現れ出ている、

といってもいいほど、極めて、重要な箇所です


★ショパンが、自らの手で、この場所を書いたその瞬間、

彼の頭の中で、バッハを源とするハイドン、モーツァルト、

ベートーヴェンなどの音楽が、滔々と流れていたことが、

逆に、見事に証明できるのです。

そこを、11月 16日の 「 第 9回平均律・アナリーゼ講座 」 で、

「 バッハの平均律  1巻  9番 ホ長調 」 と、比較しながら、

詳しく、ご説明いたします。


★「 別れの曲 」 初版楽譜や、エキエル版に見られる、

上記の記譜法は、「甘く、ロマンティック 」 に、

聴こえるかもしれません。

しかし、ショパンの、元々の発想を知ることにより、

たとえ、エキエル版のままで弾くにしても、

そのクレッシェンド、ディミヌエンドを、

どのように弾いたらよいかが、分かってきます。

それにより、本物のショパンに迫ることができるのです。


★エキエル版は、数多く存在する 「 ショパン校訂楽譜 」 の、

One of Them です。

「 別れの曲 」 の自筆譜ファクシミリを、見ることは、

現在、難しくはありません。

まず、それをご覧になり、ご自身の目で、

ショパンの作曲時の発想を、確認することが、

大切であるように、思います。


★自筆譜も、実は 2種類あり、

最初のものは、「 Vivace = 生き生きと速く、アレグロより速く 」 、

その後に書かれた、 2回目の自筆譜は、

「 Vivace ma non troppo = Vivace よりは遅く 」、

そして、パリの 「 Schlesinger 」 により、出版された

「 初版楽譜 」 には、「 Lento ma non troppo =

 ゆっくりと、しかし、それほど遅くはなく 」 と記され、

それぞれ、テンポが変更されています。


★なぜ、ショパンが段々と、遅くしていったか、

これについても、 16日のアナリーゼ講座で、解説いたします。

  

                                    (  名古屋・亀末広、茶三昧、寒具  )
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

 

コメント (2)
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