2010・7・13 中村洋子
★明日の 「 平均律アナリーゼ講座 」 1巻 6番に備え、
たくさんの、CD 演奏を聴いています。
いずれも、納得する演奏が多いのですが、
エドウィン・フィッシャーと、ウィルヘルム・ケンプの演奏には、
頭を垂れました。
★バッハは、自筆譜で、前奏曲の 3小節目 1拍目までを、
第 1段目に書き、 3小節の 2拍目からを、2段目に書いています。
ケンプは、1段目の左手の 8分音符を、
すべて、長めのスタッカートで、演奏し、
2段目以降は、左手の 8分音符を、
突然、レガートに変えています。
★バッハが自筆譜で、言いたかったことを、
見事に演奏に反映している、という、
一つの、美しい実例です。
これがアナリーゼ、まさに、深い読み、です。
★ケンプは、フーガの 11小節目から始まる 「 嬉遊部 」 や、
30 小節目から始まる 「 嬉遊部 」 なども、
突然、ドルチェ ( 柔らかく ) にし、
テンポも、若干、抑え気味にして、
聴く人に、強烈な印象を与えています。
★現在の演奏で、よくみられるように、
フォルテで咆えるような演奏が、強烈、というのではなく、
“ ひそやかに語りかける ” ほうが、
より、深く強い印象を与えるのです。
こうすることにより、前回のブログで書きましたように、
バッハが、交互に、 「 嬉遊部 」 と 「 ストレッタ 」 を
配置した意図を、見事に読みとり、
ケンプのバッハを、創造しています。
★エドウィン・フィッシャーは、神秘的な湖から湧き上がるように、
この前奏曲を、始めています。
言葉を失う美しさですが、 22小節目 3、 4拍の左手、
テノール部分の 8分音符 F、E、F ( ファ、ミ、ファ )を、
力強く、際立たせて弾いています。
これが、実は、フーガへと続いていく 「 モティーフ 」 、
構成の要となる 「 モティーフ 」 です。
フィッシャーの 前奏曲とフーガを、通して聴きますと、
演奏表現の極致である、と感銘を受けました。
★このお二人の演奏を、理解するには、
実は、聴き手のほうも、勉強が必要といえます。
お二人の CDのジャケットに、したり顔の “ 評論家 ? ライター ” が、
書いている 「 テクニックが劣る 」 とか、
「 忘れ去られている 」 などという、
愚かし過ぎる言葉には、顔が赤らみます。
★同じように、日本で最も読まれていると推測されます、
日本人による、分厚い 「 解説書 」 の内容にも、
あきれ果てる点が多く、この “ 解説 ” により、
音楽愛好家や、若い方々が、
バッハを誤解されないことを、願うばかりです。
★例えば、 6番の前奏曲については、
≪ このプレリュードも、先の c moll, Cis dur, D dur
プレリュードと同じく、16分音符運動による
指の練習曲としての価値を有している ≫ と書かれています。
★この著者にとって、この曲は、 ≪ 指の練習曲 ≫
なのかもしれませんが、
バッハは、この作品を、作曲の道標 ( みちしるべ ) 、あるいは、
音楽愛好家のための楽しみの曲、として書いています。
当時、バッハの息子たちは、もう既に、指は十分に回っており、
指の練習をわざわざ、これでする必要は、全くなかったでしょう。
お弟子さんについても、同様でしょう。
★バッハには、これにより、作曲方法を、
息子や弟子に伝えたい、という意図が、ありました。
この作品は、≪ 機械的な指の練習からは、最も遠い曲 ≫
であると、断言できます。
★さらに、バッハがこのような、分散和音を、
上記の 3曲で使ったのは、
明日お話いたします、バッハの先輩作曲家の
カスパル・フィッシャーをはじめとする、当時の作曲家による、
「 前奏曲様式 」 に則ったためです。
指の練習では、ありません。
★さらに、この解説書では、フーガについても
≪ 主題前半の滑らかな音階的進行が、突然の B音への
6度 跳躍で破られ、不機嫌な様相を示している ≫
と、記されています。
★バッハは、さまざまな感情を、音楽で表現しましたが、
平均律クラヴィーア曲集のなかに、「不機嫌な」感情を、
表現したということは、理解できません。
★ この 6度跳躍は、 3回目の 「短 3度音程 モティーフ 」
( ここがテーマの頂点 ) に、到達するための、
ホップ、ステップ、ジャンプの
「 ジャンプ 」に当たる部分なのです。
★また、フーガのテーマについて、この著者は、
和声を付けていますが、それが、間違っています。
フーガの主題に、 ≪ その和声基盤として ≫ と記したうえで、
和声が書き込まれていますが、
1小節目 8分音符の D E F G E ( レミファソミ )の、
1拍目 レの音には和声を付けず、2拍目、3拍目の ミファソミに、
Ⅱ7 ( この7は小文字 )の和音を、当てています。
( 正しい和音の付け方は、講座で解説いたします。)
★1拍目になぜ、和声がついていないのか、理由が全く分かりません。
2拍目、3拍目を 1つの和音ととらえますと、
1 ( 1拍目 ) 対 2 ( 2拍目、3拍目 ) の和声の流れとなり、
この 3拍子のテーマで、 2 対 1 の和声の流れは、十分に可能ですが、
一番大切な、曲頭の、テーマの開始部分を、1対2としますと、
前のめりに転ぶような、奇妙な進行になってしまいます。
バッハは、それを意図していません。
どんな、名演奏家の演奏でも、そのような演奏はありません。
★この和声をどう分析すべきか、についても、
明日の講座で、詳しくお話いたします。
★とにかく、この解説書は、間違いだらけですから、
決して、盲信しないでください。
解説を読んでも、サッパリ分からないのは当然です。
分からないから、
“ 自分の理解がまだ足りない。バッハは難しい ” などと、
ご自分を責めることは、決してなさらないでくださいね。
★私は、講座のたびに、
この解説書を、お読みになった方々から、
以上のような感想や嘆きを、
たくさん、聴きます。
それを聴きますと、私は悲しくなり、
あえて、このように書きました。
★バッハの音楽は、決して、難しくないばかりか、
この世で、最も美しく、楽しく、心慰められる音楽、
宝石のような音楽です。
それを、ご一緒に学び、弾き、楽しみましょう。
( 紫式部の花 )
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
★明日の 「 平均律アナリーゼ講座 」 1巻 6番に備え、
たくさんの、CD 演奏を聴いています。
いずれも、納得する演奏が多いのですが、
エドウィン・フィッシャーと、ウィルヘルム・ケンプの演奏には、
頭を垂れました。
★バッハは、自筆譜で、前奏曲の 3小節目 1拍目までを、
第 1段目に書き、 3小節の 2拍目からを、2段目に書いています。
ケンプは、1段目の左手の 8分音符を、
すべて、長めのスタッカートで、演奏し、
2段目以降は、左手の 8分音符を、
突然、レガートに変えています。
★バッハが自筆譜で、言いたかったことを、
見事に演奏に反映している、という、
一つの、美しい実例です。
これがアナリーゼ、まさに、深い読み、です。
★ケンプは、フーガの 11小節目から始まる 「 嬉遊部 」 や、
30 小節目から始まる 「 嬉遊部 」 なども、
突然、ドルチェ ( 柔らかく ) にし、
テンポも、若干、抑え気味にして、
聴く人に、強烈な印象を与えています。
★現在の演奏で、よくみられるように、
フォルテで咆えるような演奏が、強烈、というのではなく、
“ ひそやかに語りかける ” ほうが、
より、深く強い印象を与えるのです。
こうすることにより、前回のブログで書きましたように、
バッハが、交互に、 「 嬉遊部 」 と 「 ストレッタ 」 を
配置した意図を、見事に読みとり、
ケンプのバッハを、創造しています。
★エドウィン・フィッシャーは、神秘的な湖から湧き上がるように、
この前奏曲を、始めています。
言葉を失う美しさですが、 22小節目 3、 4拍の左手、
テノール部分の 8分音符 F、E、F ( ファ、ミ、ファ )を、
力強く、際立たせて弾いています。
これが、実は、フーガへと続いていく 「 モティーフ 」 、
構成の要となる 「 モティーフ 」 です。
フィッシャーの 前奏曲とフーガを、通して聴きますと、
演奏表現の極致である、と感銘を受けました。
★このお二人の演奏を、理解するには、
実は、聴き手のほうも、勉強が必要といえます。
お二人の CDのジャケットに、したり顔の “ 評論家 ? ライター ” が、
書いている 「 テクニックが劣る 」 とか、
「 忘れ去られている 」 などという、
愚かし過ぎる言葉には、顔が赤らみます。
★同じように、日本で最も読まれていると推測されます、
日本人による、分厚い 「 解説書 」 の内容にも、
あきれ果てる点が多く、この “ 解説 ” により、
音楽愛好家や、若い方々が、
バッハを誤解されないことを、願うばかりです。
★例えば、 6番の前奏曲については、
≪ このプレリュードも、先の c moll, Cis dur, D dur
プレリュードと同じく、16分音符運動による
指の練習曲としての価値を有している ≫ と書かれています。
★この著者にとって、この曲は、 ≪ 指の練習曲 ≫
なのかもしれませんが、
バッハは、この作品を、作曲の道標 ( みちしるべ ) 、あるいは、
音楽愛好家のための楽しみの曲、として書いています。
当時、バッハの息子たちは、もう既に、指は十分に回っており、
指の練習をわざわざ、これでする必要は、全くなかったでしょう。
お弟子さんについても、同様でしょう。
★バッハには、これにより、作曲方法を、
息子や弟子に伝えたい、という意図が、ありました。
この作品は、≪ 機械的な指の練習からは、最も遠い曲 ≫
であると、断言できます。
★さらに、バッハがこのような、分散和音を、
上記の 3曲で使ったのは、
明日お話いたします、バッハの先輩作曲家の
カスパル・フィッシャーをはじめとする、当時の作曲家による、
「 前奏曲様式 」 に則ったためです。
指の練習では、ありません。
★さらに、この解説書では、フーガについても
≪ 主題前半の滑らかな音階的進行が、突然の B音への
6度 跳躍で破られ、不機嫌な様相を示している ≫
と、記されています。
★バッハは、さまざまな感情を、音楽で表現しましたが、
平均律クラヴィーア曲集のなかに、「不機嫌な」感情を、
表現したということは、理解できません。
★ この 6度跳躍は、 3回目の 「短 3度音程 モティーフ 」
( ここがテーマの頂点 ) に、到達するための、
ホップ、ステップ、ジャンプの
「 ジャンプ 」に当たる部分なのです。
★また、フーガのテーマについて、この著者は、
和声を付けていますが、それが、間違っています。
フーガの主題に、 ≪ その和声基盤として ≫ と記したうえで、
和声が書き込まれていますが、
1小節目 8分音符の D E F G E ( レミファソミ )の、
1拍目 レの音には和声を付けず、2拍目、3拍目の ミファソミに、
Ⅱ7 ( この7は小文字 )の和音を、当てています。
( 正しい和音の付け方は、講座で解説いたします。)
★1拍目になぜ、和声がついていないのか、理由が全く分かりません。
2拍目、3拍目を 1つの和音ととらえますと、
1 ( 1拍目 ) 対 2 ( 2拍目、3拍目 ) の和声の流れとなり、
この 3拍子のテーマで、 2 対 1 の和声の流れは、十分に可能ですが、
一番大切な、曲頭の、テーマの開始部分を、1対2としますと、
前のめりに転ぶような、奇妙な進行になってしまいます。
バッハは、それを意図していません。
どんな、名演奏家の演奏でも、そのような演奏はありません。
★この和声をどう分析すべきか、についても、
明日の講座で、詳しくお話いたします。
★とにかく、この解説書は、間違いだらけですから、
決して、盲信しないでください。
解説を読んでも、サッパリ分からないのは当然です。
分からないから、
“ 自分の理解がまだ足りない。バッハは難しい ” などと、
ご自分を責めることは、決してなさらないでくださいね。
★私は、講座のたびに、
この解説書を、お読みになった方々から、
以上のような感想や嘆きを、
たくさん、聴きます。
それを聴きますと、私は悲しくなり、
あえて、このように書きました。
★バッハの音楽は、決して、難しくないばかりか、
この世で、最も美しく、楽しく、心慰められる音楽、
宝石のような音楽です。
それを、ご一緒に学び、弾き、楽しみましょう。
( 紫式部の花 )
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲