■平均律第1巻6番「フーガ」、バッハが自筆譜に記したスラーに秘めた大きな意味■
2010.7.6 中村洋子
★平均律クラヴィーア曲集第1巻6番「フーガ」の、
2 小節目と 3 小節目に、
バッハ自身が、「 スラー 」 を、書き込んでいます。
★この 「 スラー 」 の解釈により、
この 「 フーガ 」 を、どのように演奏するか、
それが決定されるほど、重要な 「 スラー 」 です。
★バッハが、「 スラー 」を記入したということは、
「 必要であるから、記入した 」ということです。
「 必要であるから 」とは、
「 誤解されないため 」という意味です。
★ 2 小節目の「 スラー 」は、自筆譜では、
1拍目 16分音符 4つに、掛っています。
楽譜によっては、
自筆譜のように、4つを一つのスラーで、
大きく括っているものと、
最初の F ( ファ )から、スラーを始めずに、
2番目の D ( レ )から、始めている楽譜もあります。
★前者の、 4つを 一括りにしたスラーを採用しているのは、
ベーレンライター版 ( アルフレート・デュール校訂 )、
ヘンレ版 ( 新版 エルンスト・ギュンター・ハイネマン校訂 )
などです。
★また、後者の、3音にスラーを掛けているのは、
ヴィーン原典版 ( デーンハルト校訂 音楽之友社 )と、
ヘンレ版 ( 旧版 オットー・フォン・イルマー校訂 )など。
★どうして、このように、2種類のスラーになってしまったか?
それは、バッハの手書譜のスラーが、
符頭から、下に大きく離れた場所に書かれ、しかも、
スラーの始まる場所が、若干、2番目の音符に寄っているからです。
★しかし、つぶさにこの手書きスラーを見ますと、
最初の音符から、スラーが始まり、4音に掛っていると、
見るのが妥当と、思われます。
★では、なぜ、3音にスラーが掛けられている、
と解釈する楽譜が、あるのでしょうか。
それは、 1 小節目から始まる「 フーガのテーマ 」 の前半を、
2 小節目の F ( ファ )まで、と見ると、
テーマ全体が、すっきりと見渡せ、理解しやすくなるからでしょう。
★しかし、そのような解釈であるならば、
バッハは、そこに 「 スラー 」 を、書き込むことはしなかった、
と、私は思います。
★その解釈、つまり、テーマの前半が、
2 小節目冒頭の F ( ファ ) まで、続く場合、
F は前半を閉じる音となります。
そのため、 F に重み は、掛りません。
重みが掛りませんと、流れのあるテーマと、なります。
★一方、スラーが 4 つの音全部に掛る場合、
テーマの解釈が、全く、異なってきます。
つまり、 F から、テーマの第 2部分が始まり、
非常に、緊迫感があり、畳みかけるような曲想に、
がらりと、変化します。
★さらに、 2小節目の冒頭の F ( ファ )と、2番目の D ( レ )が、
分断されないことにより、 F と D とによって作られる
「 短 3度 」 が、 1 小節目の主題冒頭の、 8 分音符
D ( レ )ー E ( ミ )ーF ( ファ ) によって作られる
「 短3度 」 と、見事に、呼応することになるのです。
★そして、この 「 短 3度 」 音程が、 2 小節目 2 拍目、
スタッカートの 4 分音符 B ( シ♭ )と、
3 拍目の、トリルの付いた 4 分音符 G ( ソ )
によって作られる、 「 短 3度 」 にも、
さらに、呼応しています。
この B 、 G による 「 短 3度 」 が、テーマの頂点になる、
ということが、分かります。
★つまり、「 短 3度 」 が、 3 回現れ、クラシック音楽の原則、
「 3 回目が頂点 」 に、則っています。
バッハは、この 2 つの 4 分音符に、スタッカートとトリルを
自ら、書き込むことにより、その頂点であることを、
演奏者に、指示している、と思います。
★日本でよく読まれ、権威とされている平均律の解説書には、
このスタッカートについて、
『原典版には、2小節目のところに、非常に短いスタッカートが
ついています。これは気をつけなければいけない。この場合の
スタッカートは、バッハは自分で書いているわけですけれども、
これはむしろここのところで、フレーズが切れるというくらいの
解釈でいいと思うんですよ』と、書かれています。
≪非常に短いスタッカート≫と、書かれています。
しかし、自筆譜を見ますと、
短いどころか、ごく普通のスタッカートです。
ヘンレ旧版のみ、スタッカーティシモに記譜していますので、
ヘンレ旧版だけを見て、≪非常に短いスタッカート≫と、
書かれたのでしょう。
★自筆譜や、他の通常の版は、すべて「通常のスタッカート」です。
上記の≪非常に短いスタッカート≫は、明確に誤りです。
そのように演奏しますと、次の G ソ の音に行こうとする、
音の流れが、断ち切られてしまいます。
★さらに、≪フレーズが切れるというくらいの解釈でいい≫で、
演奏しますと、すでにご説明いたしましたように、
「 短 3度 」の関係が、損なわれてしまいます。
バッハが 3 回積み上げて構築し、頂点とした 「 短 3度 」が、
無残に、空中分解してしまいます。
★ 3 小節目の、 2 拍目のスラーの書き方も、同様に、
版によって、さまざまです。
★ヘンレ旧版は、スラーを削除して、全く記載していません。
ヘンレ新版とヴィーン原典版は、バッハの自筆譜を、
完全に無視し、 3 小節目の( タイによって繋がれた )
2 拍目冒頭の A ( ラ )から、 2 拍目終わりの E ( ミ )まで、
スラーで、全部括っています。
★ベーレンライター版は、
2 拍目の 16 分音符 2 つ目の音 G ( ソ )から、
2 拍目終わりの E ( ミ )まで、スラーで括っています。
★虚心に、バッハの自筆譜を眺めますと、
スラーは、 2 拍目 2 番目の 16 分音符 G( ソ )から、
次の16分音符 F( ファ )の、2つの音を、スラーで繋いでいる、
と、見ることができます。
★バッハの、ソ と ファの 2 音のみに、
スラーを掛けた技法は、常識的なものではありません。
ヘンレ新版、ヴィーン原典版、ベーレンライター版の、
スラーの掛け方は、大変に、常識的です。
★バッハが、なぜ、2 音のみにスラーを掛けたか?
その意図を、分析していきますと、
豊かなバッハの音楽の、根幹に触れる、思いがします。
この点につきましては、
7月14日、カワイ表参道「 パウゼ 」での
「 第 6 回平均律アナリーゼ講座第 1 巻 6番・ニ短調」で、
詳しく、お話いたします。
( 沙羅:夏椿の花 と 蜜蜂 )
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
2010.7.6 中村洋子
★平均律クラヴィーア曲集第1巻6番「フーガ」の、
2 小節目と 3 小節目に、
バッハ自身が、「 スラー 」 を、書き込んでいます。
★この 「 スラー 」 の解釈により、
この 「 フーガ 」 を、どのように演奏するか、
それが決定されるほど、重要な 「 スラー 」 です。
★バッハが、「 スラー 」を記入したということは、
「 必要であるから、記入した 」ということです。
「 必要であるから 」とは、
「 誤解されないため 」という意味です。
★ 2 小節目の「 スラー 」は、自筆譜では、
1拍目 16分音符 4つに、掛っています。
楽譜によっては、
自筆譜のように、4つを一つのスラーで、
大きく括っているものと、
最初の F ( ファ )から、スラーを始めずに、
2番目の D ( レ )から、始めている楽譜もあります。
★前者の、 4つを 一括りにしたスラーを採用しているのは、
ベーレンライター版 ( アルフレート・デュール校訂 )、
ヘンレ版 ( 新版 エルンスト・ギュンター・ハイネマン校訂 )
などです。
★また、後者の、3音にスラーを掛けているのは、
ヴィーン原典版 ( デーンハルト校訂 音楽之友社 )と、
ヘンレ版 ( 旧版 オットー・フォン・イルマー校訂 )など。
★どうして、このように、2種類のスラーになってしまったか?
それは、バッハの手書譜のスラーが、
符頭から、下に大きく離れた場所に書かれ、しかも、
スラーの始まる場所が、若干、2番目の音符に寄っているからです。
★しかし、つぶさにこの手書きスラーを見ますと、
最初の音符から、スラーが始まり、4音に掛っていると、
見るのが妥当と、思われます。
★では、なぜ、3音にスラーが掛けられている、
と解釈する楽譜が、あるのでしょうか。
それは、 1 小節目から始まる「 フーガのテーマ 」 の前半を、
2 小節目の F ( ファ )まで、と見ると、
テーマ全体が、すっきりと見渡せ、理解しやすくなるからでしょう。
★しかし、そのような解釈であるならば、
バッハは、そこに 「 スラー 」 を、書き込むことはしなかった、
と、私は思います。
★その解釈、つまり、テーマの前半が、
2 小節目冒頭の F ( ファ ) まで、続く場合、
F は前半を閉じる音となります。
そのため、 F に重み は、掛りません。
重みが掛りませんと、流れのあるテーマと、なります。
★一方、スラーが 4 つの音全部に掛る場合、
テーマの解釈が、全く、異なってきます。
つまり、 F から、テーマの第 2部分が始まり、
非常に、緊迫感があり、畳みかけるような曲想に、
がらりと、変化します。
★さらに、 2小節目の冒頭の F ( ファ )と、2番目の D ( レ )が、
分断されないことにより、 F と D とによって作られる
「 短 3度 」 が、 1 小節目の主題冒頭の、 8 分音符
D ( レ )ー E ( ミ )ーF ( ファ ) によって作られる
「 短3度 」 と、見事に、呼応することになるのです。
★そして、この 「 短 3度 」 音程が、 2 小節目 2 拍目、
スタッカートの 4 分音符 B ( シ♭ )と、
3 拍目の、トリルの付いた 4 分音符 G ( ソ )
によって作られる、 「 短 3度 」 にも、
さらに、呼応しています。
この B 、 G による 「 短 3度 」 が、テーマの頂点になる、
ということが、分かります。
★つまり、「 短 3度 」 が、 3 回現れ、クラシック音楽の原則、
「 3 回目が頂点 」 に、則っています。
バッハは、この 2 つの 4 分音符に、スタッカートとトリルを
自ら、書き込むことにより、その頂点であることを、
演奏者に、指示している、と思います。
★日本でよく読まれ、権威とされている平均律の解説書には、
このスタッカートについて、
『原典版には、2小節目のところに、非常に短いスタッカートが
ついています。これは気をつけなければいけない。この場合の
スタッカートは、バッハは自分で書いているわけですけれども、
これはむしろここのところで、フレーズが切れるというくらいの
解釈でいいと思うんですよ』と、書かれています。
≪非常に短いスタッカート≫と、書かれています。
しかし、自筆譜を見ますと、
短いどころか、ごく普通のスタッカートです。
ヘンレ旧版のみ、スタッカーティシモに記譜していますので、
ヘンレ旧版だけを見て、≪非常に短いスタッカート≫と、
書かれたのでしょう。
★自筆譜や、他の通常の版は、すべて「通常のスタッカート」です。
上記の≪非常に短いスタッカート≫は、明確に誤りです。
そのように演奏しますと、次の G ソ の音に行こうとする、
音の流れが、断ち切られてしまいます。
★さらに、≪フレーズが切れるというくらいの解釈でいい≫で、
演奏しますと、すでにご説明いたしましたように、
「 短 3度 」の関係が、損なわれてしまいます。
バッハが 3 回積み上げて構築し、頂点とした 「 短 3度 」が、
無残に、空中分解してしまいます。
★ 3 小節目の、 2 拍目のスラーの書き方も、同様に、
版によって、さまざまです。
★ヘンレ旧版は、スラーを削除して、全く記載していません。
ヘンレ新版とヴィーン原典版は、バッハの自筆譜を、
完全に無視し、 3 小節目の( タイによって繋がれた )
2 拍目冒頭の A ( ラ )から、 2 拍目終わりの E ( ミ )まで、
スラーで、全部括っています。
★ベーレンライター版は、
2 拍目の 16 分音符 2 つ目の音 G ( ソ )から、
2 拍目終わりの E ( ミ )まで、スラーで括っています。
★虚心に、バッハの自筆譜を眺めますと、
スラーは、 2 拍目 2 番目の 16 分音符 G( ソ )から、
次の16分音符 F( ファ )の、2つの音を、スラーで繋いでいる、
と、見ることができます。
★バッハの、ソ と ファの 2 音のみに、
スラーを掛けた技法は、常識的なものではありません。
ヘンレ新版、ヴィーン原典版、ベーレンライター版の、
スラーの掛け方は、大変に、常識的です。
★バッハが、なぜ、2 音のみにスラーを掛けたか?
その意図を、分析していきますと、
豊かなバッハの音楽の、根幹に触れる、思いがします。
この点につきましては、
7月14日、カワイ表参道「 パウゼ 」での
「 第 6 回平均律アナリーゼ講座第 1 巻 6番・ニ短調」で、
詳しく、お話いたします。
( 沙羅:夏椿の花 と 蜜蜂 )
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲