■平均律・第 1巻 6番「 フーガ 」に現れる、ストレッタの魅力■
2010・7・12 中村洋子
★私の「 平均律・アナリーゼ講座 」に、出席された研究熱心な方で、
さらに「 勉強したい 」と、市販されている平均律の解説書を、
購入される方が、かなりいらしゃいます。
★正直申しあげまして、それは、非常に危険です。
日本で市販されている解説書は、ぼぼ、問題がある内容と、
言わざるを得ません。
★14日( 水 )に開催します「 平均律講座 」は、第 1巻 6番です。
「フーガ」 6番について、対談形式の権威あるとされる解説書を、
見まして、つくづく、悲しくなりました。
★その部分を要約しますと、以下のようです。
≪ このフーガは書かれ方が、かなり不規則。
三部形式とみなすこともでき、フーガというよりも、
インヴェンションに近いのです。
いわゆる対位法的楽曲ですね ≫
≪ ストレッタみたいなものがあったり・・・ ≫
★これを読んで、「 なにを主張しているのか、理解できない 」と、
お思いになる方は、ご自分の判断が正常である証拠、とお思いください。
★このお二人は、≪ 規範フーガに則ったもの以外は、
フーガでない ≫という、誤った偏見に,
とらわれています。
「 規範フーガ 」 という考え方と、形式は、
そもそも、バッハの時代には存在していません。
★「 規範フーガ 」 は、フランス語で「 フューグ・デコル
=学習フーガ 」と言われ、学習用のフーガの雛型 (ひながた ) を指し、
それ自体、芸術作品ではありません。
「 規範フーガ 」に習熟し、そのうえで、
バッハの本物のフーガを、見ますと、どこが違うか、
即ち、どこがそのフーガの個性であるか、
瞬時に見分けることができ、大変に便利です。
★また、モーリス・ラヴェルは、
曲集「 クープランの墓 」の「 フーガ 」を、
「 規範フーガ 」の形式で作曲していますが、これは、
彼一流のユーモアで、学習用の形式でも、このように、
素晴らしい芸術作品ができる、という実証です。
★上記の対談本は、「 規範フーガ 」 に則っていない
バッハのフーガを、≪ フーガというより、
インヴェンションに近い、いわゆる対位法的楽曲 ≫と、
意味不明の、説明もどきがなされています。
★ここで使われている ≪ インヴェンション ≫ の意味も、
さっぱりわからないうえに、≪ 対位法的楽曲 ≫ という漠然とした、
これも意味不明の用語がつかわれています。
★多分、「 インヴェンション 」 を、自由な形式で書かれたもの、
という捉え方で、そのように説明されたのでしょうが、
インヴェンションこそが、実に、これ以上ないほど、
厳格な形式で書かれていることは、既に、
「 インヴェンション全 15回講座 」で、お話いたしました通りです。
★ 14日の講座で、詳しく説明しますが、少年バッハが、
手で書き写し、研究したフィッシャーの鍵盤楽器の作品集は、
規模の大きいものは、 4作品が知られています。
そのうち、 2作品集は、前奏曲とフーガを、
あたかも、平均律クラヴィーア曲集のように、
並べているものです。
★その中のフーガは、概して、短く魅力的なものが多いのですが、
上記の先生たちの基準に、照らし合わせますと、
≪ フィッシャーは、フーガと言える曲は書いていない ≫
という結論に、達します。
★彼らが、この 6番フーガを、“ 本物のフーガ ” と、
認めない理由は、「 規範フーガ 」のストレッタは、
曲の 3分の 2以降のところで、展開すべきもの、
という考えに、囚われているからです。
★「 ストレッタ 」とは、フーガの主題や対主題を、
奏し終えないうちに、次の主題や対主題が、
重なって始まる、という技法です。
「 カノン 」 という、大きな枠組みの中の一種、といえます。
★これを、 3分の 2以降で使うということは、
曲が緊迫したものになるという、極めて学習的な理由からです。
そのように覚え、作曲しますと、
自然に、クライマックスを作ることが、習得できるのです。
★バッハの、全 44小節から成る 6番のフーガは、
13小節目で既に、第 1ストレッタが始まり、その後、
嬉遊部 (英語= エピソード、仏語=ディヴェルティスマン )と、
交互に、ストレッタが、 34小節まで、現れます。
このストレッタと嬉遊部が、交互に出現することこそが、
この 6番フーガの真骨頂なのです。
★溜息の出るような、美しい傑作フーガです。
★第 1番のフーガも、すぐにストレッタが出てくるため、
上記の先生方は、≪ 不出来なフーガ ≫ とおっしゃっています。
このような説が、まかり通るのは、日本だけですので、
くれぐれも、ご注意ください。
★バッハをもう一度、勉強しようと思われた場合、
講座で、ひとつでも、心に届いたものを、その後、
ご自身で追及していくべきである、と思います。
自分が納得して育て上げたバッハは、「 本物のバッハ 」です。
バッハ自身、数多くの弟子や息子たちに、
それぞれの個性に見合った演奏法、表現法を、
薦めているからです。
★意味不明の解説本を読んで、再度、バッハ嫌いになり、
バッハから、離れてしまわれないよう、
心より、願っております。
( 檜扇水仙 )
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
2010・7・12 中村洋子
★私の「 平均律・アナリーゼ講座 」に、出席された研究熱心な方で、
さらに「 勉強したい 」と、市販されている平均律の解説書を、
購入される方が、かなりいらしゃいます。
★正直申しあげまして、それは、非常に危険です。
日本で市販されている解説書は、ぼぼ、問題がある内容と、
言わざるを得ません。
★14日( 水 )に開催します「 平均律講座 」は、第 1巻 6番です。
「フーガ」 6番について、対談形式の権威あるとされる解説書を、
見まして、つくづく、悲しくなりました。
★その部分を要約しますと、以下のようです。
≪ このフーガは書かれ方が、かなり不規則。
三部形式とみなすこともでき、フーガというよりも、
インヴェンションに近いのです。
いわゆる対位法的楽曲ですね ≫
≪ ストレッタみたいなものがあったり・・・ ≫
★これを読んで、「 なにを主張しているのか、理解できない 」と、
お思いになる方は、ご自分の判断が正常である証拠、とお思いください。
★このお二人は、≪ 規範フーガに則ったもの以外は、
フーガでない ≫という、誤った偏見に,
とらわれています。
「 規範フーガ 」 という考え方と、形式は、
そもそも、バッハの時代には存在していません。
★「 規範フーガ 」 は、フランス語で「 フューグ・デコル
=学習フーガ 」と言われ、学習用のフーガの雛型 (ひながた ) を指し、
それ自体、芸術作品ではありません。
「 規範フーガ 」に習熟し、そのうえで、
バッハの本物のフーガを、見ますと、どこが違うか、
即ち、どこがそのフーガの個性であるか、
瞬時に見分けることができ、大変に便利です。
★また、モーリス・ラヴェルは、
曲集「 クープランの墓 」の「 フーガ 」を、
「 規範フーガ 」の形式で作曲していますが、これは、
彼一流のユーモアで、学習用の形式でも、このように、
素晴らしい芸術作品ができる、という実証です。
★上記の対談本は、「 規範フーガ 」 に則っていない
バッハのフーガを、≪ フーガというより、
インヴェンションに近い、いわゆる対位法的楽曲 ≫と、
意味不明の、説明もどきがなされています。
★ここで使われている ≪ インヴェンション ≫ の意味も、
さっぱりわからないうえに、≪ 対位法的楽曲 ≫ という漠然とした、
これも意味不明の用語がつかわれています。
★多分、「 インヴェンション 」 を、自由な形式で書かれたもの、
という捉え方で、そのように説明されたのでしょうが、
インヴェンションこそが、実に、これ以上ないほど、
厳格な形式で書かれていることは、既に、
「 インヴェンション全 15回講座 」で、お話いたしました通りです。
★ 14日の講座で、詳しく説明しますが、少年バッハが、
手で書き写し、研究したフィッシャーの鍵盤楽器の作品集は、
規模の大きいものは、 4作品が知られています。
そのうち、 2作品集は、前奏曲とフーガを、
あたかも、平均律クラヴィーア曲集のように、
並べているものです。
★その中のフーガは、概して、短く魅力的なものが多いのですが、
上記の先生たちの基準に、照らし合わせますと、
≪ フィッシャーは、フーガと言える曲は書いていない ≫
という結論に、達します。
★彼らが、この 6番フーガを、“ 本物のフーガ ” と、
認めない理由は、「 規範フーガ 」のストレッタは、
曲の 3分の 2以降のところで、展開すべきもの、
という考えに、囚われているからです。
★「 ストレッタ 」とは、フーガの主題や対主題を、
奏し終えないうちに、次の主題や対主題が、
重なって始まる、という技法です。
「 カノン 」 という、大きな枠組みの中の一種、といえます。
★これを、 3分の 2以降で使うということは、
曲が緊迫したものになるという、極めて学習的な理由からです。
そのように覚え、作曲しますと、
自然に、クライマックスを作ることが、習得できるのです。
★バッハの、全 44小節から成る 6番のフーガは、
13小節目で既に、第 1ストレッタが始まり、その後、
嬉遊部 (英語= エピソード、仏語=ディヴェルティスマン )と、
交互に、ストレッタが、 34小節まで、現れます。
このストレッタと嬉遊部が、交互に出現することこそが、
この 6番フーガの真骨頂なのです。
★溜息の出るような、美しい傑作フーガです。
★第 1番のフーガも、すぐにストレッタが出てくるため、
上記の先生方は、≪ 不出来なフーガ ≫ とおっしゃっています。
このような説が、まかり通るのは、日本だけですので、
くれぐれも、ご注意ください。
★バッハをもう一度、勉強しようと思われた場合、
講座で、ひとつでも、心に届いたものを、その後、
ご自身で追及していくべきである、と思います。
自分が納得して育て上げたバッハは、「 本物のバッハ 」です。
バッハ自身、数多くの弟子や息子たちに、
それぞれの個性に見合った演奏法、表現法を、
薦めているからです。
★意味不明の解説本を読んで、再度、バッハ嫌いになり、
バッハから、離れてしまわれないよう、
心より、願っております。
( 檜扇水仙 )
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