■平均律 1巻 5番の講座と、鳥が羽ばたくようなシューマンの自筆譜■
2010.6・8 中村洋子
★200年前の本日、「 ロベルト・シューマン 」( 1810~1856 ) が、
ドイツ東部のザクセン王国、ツヴィッカウで、生まれました。
「 ショパン 」と同じ年です。
日本では、ショパンのほうが、圧倒的に人気があります。
ショパンの人気は、彼の真価を理解したうえでのそれではなく、
耳に馴染みやすく、心地よいメロディーを、ムード音楽のように
聴くことができるため、という要素が強いようです。
★ショパンについて、彼の真価を理解したうえで、
それを楽しむ、という聴き方でしたら、
日本では、それほど人気は高くなく、
シューマンと同程度の人気しかないであろう、と思われます。
★二人の天才の作品は、とても深い内容で、
それ弾いたり、聴いたりして、真髄に迫るには、
彼らの作品の源泉とした「 バッハ 」の勉強が、
不可欠です。
★特に、本日の講座で取り上げました、シューマン「 予言の鳥 」は、
平均律クラヴィーア曲集 1巻 5番の「 プレリュード&フーガ 」を、
「 土壌 」として、作曲されています。
★ 5番のフーガの「 付点 」の処理の仕方が、正しくできますと、
曇天が、快晴になるように、
シューマンがとても、弾きやすくなります。
★≪ 付点のリズム ≫を、ただ単に、「 慣習だから 」として、
「 フランス風序曲 」の様式で、弾くようにと、
お習いになった方が、多いようですが、
これこれの方法でしか、弾いてはならない、
ということは、決してありません。
★名ピアニストたちが、それぞれの解釈で、どのように、
リズムを選択しているか、ご説明いたしました。
例えば、アンドラーシュ・シフは、
平均律クラヴィーア曲集 1巻 5番のフーガの演奏で、
付点を、鋭いリズムで刻んでいるところと、
楽譜の音価通りのところと、二種類に弾き分けています。
なぜ、彼がそのように弾いているのか、ご説明しました。
★平均律クラヴィーア曲集「 ヘンレ版 Henle版 」の
新版 ( 楽譜番号14 ) は、
このシフが、フィンガリングを、書き入れています。
彼が楽譜に書いた「 演奏ノート 」の日付は、
2007年春と、記されています。
ご興味のある方は、この新版を見ながら、
シフのCDをお聴きになりますと、
そのフィンガリング一つからでも、彼の解釈が読みとれます。
★余談ですが、私がこのブログ ( 2010.1.24 ) で、
指摘しました http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/d/20100124 、
1巻 1番プレリュードの、「 34小節目 」のバス「 C 」のタイについて、
この新版では、「 括弧 」で、くくっています。
( タイを削除せずに、括弧にしているのは、
完全には非を認めたくない、ということでしょう)
旧版は、堂々と「タイ」を付けていました。
バッハの自筆譜には、「タイ」は、記入されていません。
★しかし、残念なことに、2番のフーガ、29小節目バス「 C 」の、
「 タイ 」は、旧版どおり、そのまま残っています。
バッハ自筆譜には、ここにも「 タイ 」はありません。
★ここに「 タイ 」を付けなかったことこそが、
バッハが「 天才 」であることを、証明しているのです。
★トン・コープマンが、著書「 トン・コープマンのバロック音楽講義 」
で、以下のような趣旨のことを、書いています。
「 原典版 」で、校訂者が、バッハの自筆譜に修正を加えているのは、
( 質の低い教師が )、宿題(=バッハという天才の作品の真価を理解せずに)に、
( ある部分が、常識や規則通りではないという理由で ) 赤ペンで、
書き直しているような、印象を受ける。
間違っているように見えるものが、間違いでないことも多い。
★この「 5番のフーガ 」が、弾けてこそ、
シューマンの「 予言の鳥 」を、真に解釈できると思いますが、
バッハの「 土台 」の上に、シューマンが、
どのような幻想を、羽ばたかせたか・・・
一例として、自筆譜から分かった点をご紹介します。
★第 1部の頂点である「 13小節目 」の1拍目 右手部分 ( H C Es A ) は、
通常の楽譜であれば、符尾を下向きに書かれますが、シューマンは、
不自然に、全部上向きにしています。
その結果、この4音にかかるスラーが、符頭より下に記されます。
一方、2拍目のスラーは、常識的に、符頭の上に記載されています。
同様に、3拍目は符頭より下。
4拍目は、符頭より上、続く14小節の 1拍目が上、2拍目が下、
と交互に、続きます。
★この部分は、楽譜の中央に位置し、シューマンの美しい自筆譜で、
見ますと、あたかも、スラーが羽ばたいている鳥の羽根のように見えます。
★シューマンの楽譜は、右手と左手の部分が、並行して進行するように、
几帳面に、書かれています。
しかし、「11小節目」だけは、それが大きく乱れています。
右手部分が、大きく左側に寄り過ぎており、
左手の下声の流れと、一致しません。
この乱れは一見、奇妙ですが、それは、
頂点である「13小節目」に向けて、駈けあがって行く前の、
シューマンのはやる心が、期せずして、譜面に現れた、と言えそうです。
★この「 11小節目 」の部分については、大ピアニスト、
アルトゥール・ルービンシュタインの、
アッチェレランドが掛った演奏が、飛び切り素晴らしい、と思います。
それは、シューマンの意図を、ルービンシュタインが、
正しく汲み取っているからでしょう。
★次回のアナリーゼ講座は、平均律クラヴィーア曲集1巻6番、
7月14日 ( 水 )です。
( ユキノシタ )
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
2010.6・8 中村洋子
★200年前の本日、「 ロベルト・シューマン 」( 1810~1856 ) が、
ドイツ東部のザクセン王国、ツヴィッカウで、生まれました。
「 ショパン 」と同じ年です。
日本では、ショパンのほうが、圧倒的に人気があります。
ショパンの人気は、彼の真価を理解したうえでのそれではなく、
耳に馴染みやすく、心地よいメロディーを、ムード音楽のように
聴くことができるため、という要素が強いようです。
★ショパンについて、彼の真価を理解したうえで、
それを楽しむ、という聴き方でしたら、
日本では、それほど人気は高くなく、
シューマンと同程度の人気しかないであろう、と思われます。
★二人の天才の作品は、とても深い内容で、
それ弾いたり、聴いたりして、真髄に迫るには、
彼らの作品の源泉とした「 バッハ 」の勉強が、
不可欠です。
★特に、本日の講座で取り上げました、シューマン「 予言の鳥 」は、
平均律クラヴィーア曲集 1巻 5番の「 プレリュード&フーガ 」を、
「 土壌 」として、作曲されています。
★ 5番のフーガの「 付点 」の処理の仕方が、正しくできますと、
曇天が、快晴になるように、
シューマンがとても、弾きやすくなります。
★≪ 付点のリズム ≫を、ただ単に、「 慣習だから 」として、
「 フランス風序曲 」の様式で、弾くようにと、
お習いになった方が、多いようですが、
これこれの方法でしか、弾いてはならない、
ということは、決してありません。
★名ピアニストたちが、それぞれの解釈で、どのように、
リズムを選択しているか、ご説明いたしました。
例えば、アンドラーシュ・シフは、
平均律クラヴィーア曲集 1巻 5番のフーガの演奏で、
付点を、鋭いリズムで刻んでいるところと、
楽譜の音価通りのところと、二種類に弾き分けています。
なぜ、彼がそのように弾いているのか、ご説明しました。
★平均律クラヴィーア曲集「 ヘンレ版 Henle版 」の
新版 ( 楽譜番号14 ) は、
このシフが、フィンガリングを、書き入れています。
彼が楽譜に書いた「 演奏ノート 」の日付は、
2007年春と、記されています。
ご興味のある方は、この新版を見ながら、
シフのCDをお聴きになりますと、
そのフィンガリング一つからでも、彼の解釈が読みとれます。
★余談ですが、私がこのブログ ( 2010.1.24 ) で、
指摘しました http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/d/20100124 、
1巻 1番プレリュードの、「 34小節目 」のバス「 C 」のタイについて、
この新版では、「 括弧 」で、くくっています。
( タイを削除せずに、括弧にしているのは、
完全には非を認めたくない、ということでしょう)
旧版は、堂々と「タイ」を付けていました。
バッハの自筆譜には、「タイ」は、記入されていません。
★しかし、残念なことに、2番のフーガ、29小節目バス「 C 」の、
「 タイ 」は、旧版どおり、そのまま残っています。
バッハ自筆譜には、ここにも「 タイ 」はありません。
★ここに「 タイ 」を付けなかったことこそが、
バッハが「 天才 」であることを、証明しているのです。
★トン・コープマンが、著書「 トン・コープマンのバロック音楽講義 」
で、以下のような趣旨のことを、書いています。
「 原典版 」で、校訂者が、バッハの自筆譜に修正を加えているのは、
( 質の低い教師が )、宿題(=バッハという天才の作品の真価を理解せずに)に、
( ある部分が、常識や規則通りではないという理由で ) 赤ペンで、
書き直しているような、印象を受ける。
間違っているように見えるものが、間違いでないことも多い。
★この「 5番のフーガ 」が、弾けてこそ、
シューマンの「 予言の鳥 」を、真に解釈できると思いますが、
バッハの「 土台 」の上に、シューマンが、
どのような幻想を、羽ばたかせたか・・・
一例として、自筆譜から分かった点をご紹介します。
★第 1部の頂点である「 13小節目 」の1拍目 右手部分 ( H C Es A ) は、
通常の楽譜であれば、符尾を下向きに書かれますが、シューマンは、
不自然に、全部上向きにしています。
その結果、この4音にかかるスラーが、符頭より下に記されます。
一方、2拍目のスラーは、常識的に、符頭の上に記載されています。
同様に、3拍目は符頭より下。
4拍目は、符頭より上、続く14小節の 1拍目が上、2拍目が下、
と交互に、続きます。
★この部分は、楽譜の中央に位置し、シューマンの美しい自筆譜で、
見ますと、あたかも、スラーが羽ばたいている鳥の羽根のように見えます。
★シューマンの楽譜は、右手と左手の部分が、並行して進行するように、
几帳面に、書かれています。
しかし、「11小節目」だけは、それが大きく乱れています。
右手部分が、大きく左側に寄り過ぎており、
左手の下声の流れと、一致しません。
この乱れは一見、奇妙ですが、それは、
頂点である「13小節目」に向けて、駈けあがって行く前の、
シューマンのはやる心が、期せずして、譜面に現れた、と言えそうです。
★この「 11小節目 」の部分については、大ピアニスト、
アルトゥール・ルービンシュタインの、
アッチェレランドが掛った演奏が、飛び切り素晴らしい、と思います。
それは、シューマンの意図を、ルービンシュタインが、
正しく汲み取っているからでしょう。
★次回のアナリーゼ講座は、平均律クラヴィーア曲集1巻6番、
7月14日 ( 水 )です。
( ユキノシタ )
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲