■■ 規範フーガについて、その2 ■■
08.10.3 中村洋子
★9月30日の第3回「バッハ・インヴェンションアナリーゼ講座」は、
熱心な皆さまがたくさんご出席され、おおいに盛り上がりました。
感謝申し上げます。
★インヴェンションとシンフォニアの「各3番」には、
中間部で、共通のモティーフによるカノンが登場してきます。
面白いことに、インヴェンション(1720~23ころ作曲)の
数年前に完成された「ブランデンブルグ協奏曲」(1718年ころ作曲)に、
そのカノンに、極めて類似したモティーフが、登場し、
同じ様に展開されています。
★このことから、シンフォニアの3番は、室内オーケストラを
イメージして、演奏すると、色彩豊かないきいきした音楽になります。
★また、「規範フーガ」という形式を、念頭におきながら、
この「シンフォニア3番」の形式を、検討してみますと、
第一提示部、第一嬉遊部、第二提示部、第二嬉遊部、は、
そのまま、規範フーガの様式に、当て嵌めることができます。
しかし、第三提示部は、規範フーガのような順番ではなく、
曲の後半に、極めて効果的、かつ、独創的に挿入されています。
★「規範フーガ」が、フランスで歴史的にどのように
学ばれきたか、少し、その歴史を見てみます。
私の所有しますテオドール・デュボア(Theodore Dubois)の
「Traite de Contrepoint et de Fugue」の巻末によりますと、
パリ・コンセルバトワールの試験(コンクール)に、
出題された規範フーガ(Fugue d'ecole)の一番古いものは、
1818年のケルビーニ(Cherubini)のものです。
★その後コンクールに出された、興味深いテーマ(主題)としては、
トマ(Thomas)が1872年に出題したものや、
1896年のサンサーンス(Saint-Saens)のものが、見受けられます。
★別のページには、ローマ大賞(le Grand Prix de Rome)で、
出題された主題集も、掲載されています。
(ちなみに、ドビュッシーはローマ大賞を受賞して、ローマに留学、
しかし、ラヴェルは、受賞できなかった、という歴史があります)。
その一番古いものは、1804年です。
1843年のオンスロー(Onslow)、1879年のマスネー(Massenet)、
1882年のグノー(Gounod)などが見られます。
★この著者のデュボア(1837-1924)は、
フォーレの前任のパリ・コンセルバトワール院長です。
この「Traite de Contrepoint et de Fugue」が、書かれた後も、
ラヴェルの先生であるジェダルジュ(Gedalge)や、フォーレ(Foure)が、
規範フーガの主題を、コンクールで出題しています。
★お分かりのように、当時のフランスの主要な作曲家が、
ほとんど全員、顔を出しています。
ショパンとシューマンが生まれましたのが1810年ですから、
ロマン派前後から、プロフェッショナルの作曲家は、
最低限の条件として、この規範フーガの修練を積んでいる、
ということが、言えそうです。
さらに、優秀な演奏家も、ほぼ同じ訓練を、
受けていると、見ていいでしょう。
★ヨーロッパのクラシック音楽は、
このような基礎的修練の厚みの上に、成り立っていることを
知ることも、重要であると思います。
★次回の第4回「インヴェンション講座」は、各4番です。
バルトークの「ミクロコスモス2巻」との関連についても
お話いたします。
10月29日(水)午前10時~午後12時半です。
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
08.10.3 中村洋子
★9月30日の第3回「バッハ・インヴェンションアナリーゼ講座」は、
熱心な皆さまがたくさんご出席され、おおいに盛り上がりました。
感謝申し上げます。
★インヴェンションとシンフォニアの「各3番」には、
中間部で、共通のモティーフによるカノンが登場してきます。
面白いことに、インヴェンション(1720~23ころ作曲)の
数年前に完成された「ブランデンブルグ協奏曲」(1718年ころ作曲)に、
そのカノンに、極めて類似したモティーフが、登場し、
同じ様に展開されています。
★このことから、シンフォニアの3番は、室内オーケストラを
イメージして、演奏すると、色彩豊かないきいきした音楽になります。
★また、「規範フーガ」という形式を、念頭におきながら、
この「シンフォニア3番」の形式を、検討してみますと、
第一提示部、第一嬉遊部、第二提示部、第二嬉遊部、は、
そのまま、規範フーガの様式に、当て嵌めることができます。
しかし、第三提示部は、規範フーガのような順番ではなく、
曲の後半に、極めて効果的、かつ、独創的に挿入されています。
★「規範フーガ」が、フランスで歴史的にどのように
学ばれきたか、少し、その歴史を見てみます。
私の所有しますテオドール・デュボア(Theodore Dubois)の
「Traite de Contrepoint et de Fugue」の巻末によりますと、
パリ・コンセルバトワールの試験(コンクール)に、
出題された規範フーガ(Fugue d'ecole)の一番古いものは、
1818年のケルビーニ(Cherubini)のものです。
★その後コンクールに出された、興味深いテーマ(主題)としては、
トマ(Thomas)が1872年に出題したものや、
1896年のサンサーンス(Saint-Saens)のものが、見受けられます。
★別のページには、ローマ大賞(le Grand Prix de Rome)で、
出題された主題集も、掲載されています。
(ちなみに、ドビュッシーはローマ大賞を受賞して、ローマに留学、
しかし、ラヴェルは、受賞できなかった、という歴史があります)。
その一番古いものは、1804年です。
1843年のオンスロー(Onslow)、1879年のマスネー(Massenet)、
1882年のグノー(Gounod)などが見られます。
★この著者のデュボア(1837-1924)は、
フォーレの前任のパリ・コンセルバトワール院長です。
この「Traite de Contrepoint et de Fugue」が、書かれた後も、
ラヴェルの先生であるジェダルジュ(Gedalge)や、フォーレ(Foure)が、
規範フーガの主題を、コンクールで出題しています。
★お分かりのように、当時のフランスの主要な作曲家が、
ほとんど全員、顔を出しています。
ショパンとシューマンが生まれましたのが1810年ですから、
ロマン派前後から、プロフェッショナルの作曲家は、
最低限の条件として、この規範フーガの修練を積んでいる、
ということが、言えそうです。
さらに、優秀な演奏家も、ほぼ同じ訓練を、
受けていると、見ていいでしょう。
★ヨーロッパのクラシック音楽は、
このような基礎的修練の厚みの上に、成り立っていることを
知ることも、重要であると思います。
★次回の第4回「インヴェンション講座」は、各4番です。
バルトークの「ミクロコスモス2巻」との関連についても
お話いたします。
10月29日(水)午前10時~午後12時半です。
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲