音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ ロジェ先生のお話の続き ■

2007-12-24 15:32:37 | ★旧・私のアナリーゼ講座

2006/10/24(火)

★≪ある「完全な音楽家」の肖像≫マダム・ピュイグ=ロジェが日本に遺したもの 音楽之友社 を

読んでいます。

今回はその中から、興味深いいくつかのお話です。

作曲家オリヴィエ・メシアン(1908~1992)について、「私(ロジェ)が、パリ音楽院の学生だったとき、

彼も学生でした。

オルガンのクラスでは、同級生で、『前奏曲集』の初演をはじめ、彼の多くの作品を演奏しました。

『前奏曲集』は、私に捧げられています」

「メシアンは、ポール・デュカ(「魔法使いの弟子」で知られている作曲家、日本ではデュカスともいう)の

クラスでした」

「デュカは、音楽様式に関して、妥協を許さない人で、作品を書いても、その多くを破り捨てていました。

自己への批判精神が大変に強く、生徒にも様式に関して、厳しいものを求めていました」

「本音を言えば、個人的には私(ロジェ)は、デュカの生徒になりたかった。彼は素晴らしい教師でしたからね。

しかし、私はビュセールのクラスに入りました。なぜなら、私はポール・ヴィダルの生徒だったからです。

ヴィダルが退官することになり、ビュセール(1872~1973)がその後任となったためです」

(ちなみに、ビュセールは、池内友次郎先生の師でもあります)。


★デュカについては、大ピアニスト・アルトゥール・ルービンシュタインの伝記に、つぎのような逸話が

出ています。

ルービンシュタインは、少し有名になりつつあった若い頃、周囲からちやほやされ、ピアノの練習もせず、

パリで放蕩三昧の毎日を過ごしておりました。

ある日、デュカは、カフェで酔っ払っているルービンシュタインの首根っこを捕まえ、デュカの家まで

連れ帰ったそうです。

そこで、ルービンシュタインはデュカから懇々と説教されました。

それ以来、心を入れ替え、練習に打ち込むようになりました。

“この説教があったからこそ、大ピアニストへの道が開けた”と、いつまでも感謝していたそうです。


★デュカには、『ラモーの主題による変奏曲と間奏曲、および終曲』(1903)という、素晴らしい

ピアノ独奏曲があります。

ブラームスの『ヘンデルの主題による変奏曲』に比肩しうる曲です。

日本のピアニストがあまり弾かないのはなぜなのでしょうか。


★ロジェ先生「メシアンは、ローマ賞は絶対に取れないだろう、と決めてかかっていました」

「彼は独創的過ぎたのです。彼は、あまりに傑出しすぎた個性で、他のコンセルバトワールの面々とは

違いました。

その彼がいま、コンセルヴァトワールで教えているのです」

「メシアンは、若い作曲家と、向き合うときに画一的な態度で接することはしません。

彼は、和声と音楽分析を教えていますが、音楽分析のクラスは、彼を念頭において創設されたのです」

ちなみに、ドビュッシーはローマ賞をとりましたが、ラベルは受賞できず、そのことが“事件”に

なったそうです。


★また、ロジェ先生は、ピアニストのマルグリット・ロン女史についても、一言おっしゃっています。

「ロンについては、鮮明な思い出がありますが、それは良いものではないので、話さないほうがいいでしょう」

ラベルも、ロン女史について『ピアノの下手なあの人』と言っています。

また、ロン女史は、ガブリエル・フォーレとも不仲だったと、伝えられています。

ロン女史の残した書物は、大変貴重で、私も参考にしておりますが、一応、上記のことを念頭に

入れておくほうがいいでしょう。


★≪ある「完全な音楽家」の肖像≫には、先生と同じころ滞日していた、マサビュオという

フランス人地理学者が友人のロジェ先生との交友を綴った想い出もあります。

“日本人は細部にこだわりすぎる”という感想から、

ロジェ先生は「私の生徒たちは、ひとつの楽譜(ソナタであったり、コンチェルトの一楽章であったり)を

全体として考えること、その全体構造を把握することができないの。

彼らはいつも小さいことにのめりこみ、作品全体の仕組みに無知なのね。・・・

そこで、作品の意味を本当には理解しないままで演奏する、という結果になってしまう」

「ある人の演奏が音楽的でないと言いたいとき、彼女は『ああ、彼(彼女)は全部の音を弾いている』と

いうのが常だった。

それは、バラバラとまではいわないが、その演奏が感受性に欠けており、機械的なだけだということを

意味していた」


★「ある日、ある名の通ったピアニストが弾く、著名な日本人作曲家のピアノ協奏曲を聴きに行ったとき、

帰りの道すがらに彼女曰く

『うちのトイレの水を流す音かと思った!』」


★私は、この曲と演奏家について、なんとなく想像がつきます。



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■ 作曲家リゲティについて ■

2007-12-24 13:32:08 | ★旧・私のアナリーゼ講座
■ 作曲家リゲティについて ■

2006/7/11(火)

★作曲家のジェルジ・リゲティが2006年6月12日、ヴィーンで亡くなりました。


83歳でした。


ハンガリー人の両親の下にルーマニアで、1923年5月28日生まれました。


コロジェヴァール(現ルーマニア領)とブダペストで、音楽を学びました。


1950年より、ブダペスト音楽院で音楽理論を担当しました。


ユダヤ人として、ナチスドイツの強制労働キャンプに収容された経験もあります。


1956年のハンガリー動乱の後、ヴィーンに亡命し、以後西側で作曲活動をしました。


経歴からも明らかなように、バルトーク(1881~1945)の様式で書くことから出発しました。


以後、西側の作曲家と交流し、トーン・クラスター(音を塊としてとらえる)の大オーケストラ作品

などが有名です。


詳細に作品を検討しますと、彼の作品は一生涯、対位法から離れることがありませんでした。


音の塊のようにみえるオーケストラの響きも、個々の楽器については、彼独特の対位法で動いて

おります。


そのオーケストラ的「音響」だけを取り出し、真似をしたその後の世代の作曲家の作品とは、

大いに異なります。


リゲティの作品は、古典として定着する可能性をもっています。


チェンバロ独奏曲の「ハンガリアンロック」「ハンガリアンパッサカリア」「コンティニウム」は、

優れた作品です。


チェンバリストから愛好されています。


特に、「ハンガリアンパッサカリア」は、ミーントーン調律を指定しております。


平均率の調律とはまた、異なった味わいがあります。


私が昨年、作曲いたしましたチェンバロ独奏曲「ウルフ・イン・ザ・スカイ」や、

能管とチェンバロのための「水辺の西王母」も、ミーントーン調律を採用しております。


古典調律は、バロック時代だけの占有物ではなく、現代作品においても、よい楽器、よい調律師に

恵まれれば、素晴らしい効果を発揮します。


リゲティの出発点であるバルトークは、もし、彼がいなかったら20世紀の音楽は、

全く違う形をとっていたであろうと思われるほど重要な作曲家です。


9月24日(日)の午後、日本ベーゼンドルファー・東京ショールームで、バルトーク

「ミクロコスモス」とバッハ「インヴェンション」を対比しながら、分りやすくアナリーゼ致します。


バルトークもリゲティも作曲の根幹は、バッハに拠っています。


バッハの対位法がどのようにバルトークに影響をあたえたのでしょうか。


私はこの夏休み、楽しみにそれを探索してみたいと思います。


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■ シューマンのアナリーゼ ■ バッハからの影響、フォーレへの影響

2007-12-24 13:29:30 | ★旧・私のアナリーゼ講座
■ シューマンのアナリーゼ ■ バッハからの影響、フォーレへの影響
2006/6/13(火)

★一昨日(6月11日)、日本ベーゼンドルファーで「シューマンのアナリーゼ講座」が無事終了いたしました。

シューマンの個々の作品分析とともに、シューマンが影響を受けた作曲家、さらに彼が後の作曲家に

どう影響を及ぼしたか、についてもお話いたしました。

シューマン(1810~1856)が、終生、学び、勉強し続けた作曲はバッハ(1685~1750)です。

精神の病に侵され、作曲の筆を折る直前の43歳(1853年)。

ほとんど絶筆に近いこの作品は、バッハの「無伴奏バイオリンソナタ」と「無伴奏チェロ組曲」に

ピアノ伴奏を付けることでした。

この曲は、一般にはほとんど知られていません。(この楽譜はドイツ・ペータース版で入手可能です)。

病で作曲が困難になったシューマンが、バッハをもう一度勉強し、立ち直り、新たな創作に向かいたい、

という激しい渇望がひしひしと感じられてくる作品です。

「バッハ」に立ち戻ったのです。

心を打つ作品です。

歴史に「もしや」、という言葉は禁句ですが、彼がもし、病から立ち直り、作曲の筆をもう一度

とったとき、どんな作品が生まれていたのでしょうか。

1848~49年にかけて作曲された「森の情景」は、彼としては後期の作品です。

バッハの「フランス風序曲」の影響が、第4曲目「呪われた場所」の複付点のリズムにみられます。

このことは、よく知られています。

しかし、第7曲目の「予言の鳥」の特徴的なリズム(付点8分音符と、その後に続く、32分音符の

3連音から成る“ター、タタタ”)が、同じく「フランス風序曲」からきているように思われてなり

ません。

これはあまり気付かれていないことですが、私の作曲家としての勘です。

シューマン自身がもし気付いていなくても、バッハ勉強から自然ににじみ出て来たものではないで

しょうか。

第2曲目「待ち伏せる狩人」は、明らかにシューベルト「冬の旅」の18曲「嵐の朝」と似たモチーフを

使用しております。

これは、一目瞭然です。

しかし、シューマンは、バッハやシューベルトの影響を受け、さらにそこから、全く新しい曲を創り

上げています。

バックハウスがベーゼンドルファーピアノで弾いた「森の情景」の名演奏を、皆さんと一緒にCDで

聴きました。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


シューマンは、自分より35年後に生まれたガブリエル・フォーレに大きな影響を与えました。

アルフレッド・コルトーは、「フォーレの歌曲『夢の後に』の伴奏形は、シューマンのピアノソナタ

第2番2楽章の冒頭、左手の八分音符の音の刻みに類似している」と、指摘しています。

この2楽章はもともと、「秋に」という題名の歌曲をピアノ用に書き換えたものです。

コルトー(1877~1962)は、20世紀の大ピアニストです。

パリの「エコール・ノルマル音楽院」は、コルトーが創立しましたが、彼の晩年1954~1960年にかけて

の、マスタークラスでのレッスンがCD化されています。

そこで、彼はこの2楽章をレッスンしています。このCDも皆さんと聴きました。

フォーレは、シューマンの「子供の情景」を校訂し、出版しています。

「子供の情景」には、有名なトロイメライも含まれています。

この楽譜は、フランスのデュラン社から出ています。

大変に素晴らしい版で、シューマンをさらに深く知ることが出来ます。

それと同時に、フォーレの作品を理解し、演奏するうえでも参考になります。

「子供の情景」は、各曲に魅力的な題名が付いています。

各曲が有機的に関連付けられ、構成されているため、もし、題名がないとしても、独立した芸術作品

として同等に聴くことが出来ます。

これは、フォーレのピアノ連弾曲「ドリー」も同じではないでしょうか。

「ドリー」は、フォーレの“子供の情景”だったといえるかもしれません。

ちなみに、シューマンは「子供の情景」を1838年、28歳の時に作曲しております。

結婚の2年前、子供はいない独身時代の作品です。

バッハ(1685~1750)、シューベルト(1797~1828)、シューマン(1810~1856)、

フォーレ(1845~1924)という大作曲家の流れは、フォーレから弟子のラベル(1875~1937)に

受け継がれ、フランス音楽の大きな源流となっていったのです。

シューマンとシューベルトとの関係をもっとお話したいのですが、今回はここまでといたします。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


今日(6月12日)は、伝通院コンサート「東北(とうぼく)への路」のリハーサルで、

八木千暁さんにお会いいたしました。

「東北への路」で最後に演奏される≪「白秋」~波の間に≫で、八木さんは龍笛と楽琵琶を

演奏されます。

また、歌も楽琵琶に合わせて歌われます。

昨日のシューマンから一転、日本の雅楽の奥深さと、その楽器によって新しい21世紀の音楽を

創造する喜びを味わいました。

雅楽の合奏では、楽琵琶はそれほど目立った楽器ではありませんが、表現力の深さに驚きました。

八木さんの歌の素晴らしさにも感動したました。

陶酔してしまいました。

このお話は近く、ブログでまた、ご報告いたします。


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■シューマンの没後150年、古典の学習とは?■

2007-12-24 13:26:24 | ★旧・私のアナリーゼ講座
■シューマンの没後150年、古典の学習とは?■
2006/6/2(金)

モーツァルト生誕250周年のお祭り騒ぎに隠れがちですが、ことしは、シューマンの没後150年です。

1810年生まれのシューマンは、1856年に46歳の若さで亡くなっております。

モーツァルト、シューベルト、シューマンの3人の大作曲家は、ともに短命でした。

シューマンは、後に妻となったピアニストのクララ・ヴィークの父に、ピアノと作曲を学んだ以外は、

独学のようにとられています。

独学とはなんでしょうか。

それは、自ら古典にあたり、まずはその古典を模倣し、古典を自分のものとし、その上で、自分独自の

ものを創りあげていくことです。

シューマンは、世間では、何もないところから、いきなり傑作を書き上げた、理解しがたいような天才、

とうけとられています。

しかし、彼の作品は、実はバッハ、シューベルトに負うところが非常に大きい、ということがいえます。

シューマンは、若死にしたシューベルト(1797~1828年、31歳で没)の楽譜を発掘し、出版に尽力しました。

そのなかで、シューベルトの技法、つまり、シューベルトが古典から学び、模倣し、蓄積したものを、

シューマンも自分のものとして血肉化していきました。

朋友・メンデルスゾーンが、バッハを再発見していった過程と同じことです。

ちなにみ、ブラームスは、シューマンの没後、クララ夫人と一緒に、シューマンの未出版作品を世に

出しましたが、その過程で、同じようにシューマンを学んでいきました。

これこそが、古典の学び方と継承です。

その具体的な一例として挙げますと、シューマンが終始一貫して愛した和声進行があります。

「Ⅰ」→「Ⅵに行くための属和音」→「Ⅵ」の和声進行です。

ピアノソナタ第2番の第1楽章・第2テーマで使われています。

この和音はシューマンが、憧れに満ちた優しい場面でよくつかい、有名な「謝肉祭」や、独奏作品としては

最後の作品「森の情景」でも見られます。

この独特な和音進行は、どこから来たのでしょうか。実はシューベルトの「冬の旅」にありました。

こうした発見は、作曲家としての視点で、曲を分析していきますと見えてきます。

音楽学の文献に基づいた書物や、通常のピアノレッスンでは、大変少ないと思います。

そんなお話を、6月11日午後1時半から4時半まで、日本ベーゼンドルファー・東京ショールーム

(地下鉄・中野坂上駅徒歩1分)で、「やさしい楽曲分析(アナリーゼ)講座」としていたします。

このほか、「子供の情景」から「トロイメライ」、「知らない国々」。「幻想小曲集」から「夕べに」

「なぜに」。「森の情景」から「森の入り口」「予言の鳥」なども分析いたします。

詳細は、http://www.bosendorfer-jp.com/の Event Calendar→Lesson/Seminar→

「やさしい楽曲分析講座」をご覧ください。


▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲



■ブラームスの「4つのピアノ小品」
2006/4/7(金) 午後 4:07アナリーゼ(楽曲分析)

日本ベーゼンドルファー・東京ショールームで、数ヶ月ごとに「アナリーゼ講座」を開いております。

これは、バッハやドビュッシー、ラベルなど特定の作曲家を一人に絞り、その作曲家の代表的な曲を数曲アナリーゼします。

その作曲技法を分析することで全体像に迫るのが狙いです。約3時間の講座です。

これとは別に毎月2回、第1、3水曜日(午前11時半~午後1時)、カワイ青山店で「アナリーゼ講座」をしております。

1時間半の中で、1曲をじっくり分析いたします。

場合によっては1曲に数週間かけることもあります。

4月5日の講座は、ブラームスの最後のピアノ作品「4つのピアノ小曲:Opus119」の第1曲インテルメッツォでした。

ブラームスは肝臓ガンにより63歳で亡くなりましたが、この作品は60歳。

1893年の作です。

わずか67小節の曲。一見単純に見えますが、対位法と不協和音の網が、精緻に張り巡らされています。

それを一つ一つ解きほぐしていきますと、1時間半で冒頭の16小節までしか、たどり着きませんでした。

それでも、ブラームスと向き合う至福の時間を、受講者の方と分かち合いました。

シューマンの未亡人クララはこの曲を「灰色の真珠」と評したそうです。

私はこの主要音形となる下行分散和音が、頬を滴る涙のように思えてなりません。

講座からの帰り途、ハッと思いつきました。

あの音形は、バッハの「インヴェンション」の中で、ブラームスがとりわけ愛していた「ト短調シンフォニア」だ---と。

ともに「短調の3拍子」。曲頭に現れる分散和音が、主和音の第5音から始まり第3音を経て、主音にたどり着く下行形です。

バッハと全く同じ形で、バッハは♭2つのト短調、ブラームスは♯2つのロ短調です。

ブラームスは一生涯、バッハに寄り添うようにして作曲してきました。

(クララの夫「ロベルト・シューマン」でも全く同じことが言えます)。

それが、晩年、巧まずしてブラームスの珠玉の作品に滲み出てきたのです。


▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲


アナリーゼ講座第6回は「シューマン」です 傑作(0)
2006/3/20(月)

バッハ、モーツァルト、ドビュッシー、ラヴェル、と続いてきました「アナリーゼ講座」の第6回目は、「シューマン」を取り上げます。
シューマンは、ことしが没後150年。
この講座で「ロマン派」は初めてですが、文学的側面が強調されることの多い「ロマン派」を、
アナリーゼ講座らしく、言葉に囚われることなく、音楽の構造そのものを深く分析したい、と思います。

 例えば、「アベッグ(ABEGG)変奏曲」では、“人名のアルファベットABEGGをドイツ音名に移し変えて
作曲した”など、本質とはあまり関係のない表層的な次元のことで、作曲ができているかのように解説
されがちです。
そして、それが誇張され、そのことだけが強調されています。
しかし、この曲を理解するためには、それほど重要な要素ではありません。
作曲に取り掛かる際の単なるヒントとしてABEGGをつかったに過ぎません。
作曲という営みはそれ以降のことです。

 講座では、「トロイメライ」を初めとする名曲を取り上げます。
ご自分で演奏される場合でも、アナリーゼから得られるいろいろなヒントが、新しい発見へと導き、
弾く喜びをきっと増すことでしょう。
堅苦しくなく、楽しみながら理解が深まれば、と思っております。

 シューマンについては「夢想の中に生きた常人には測り知れない天才作曲家」、「いまひとつ捉えようの
ない模糊とした曲の構造」などの印象をお持ちの方が多い、と思われます。
この講座で、シューマンの本当の世界に一緒に分け入ることが出来れば幸せです。


日時は6月11日(日曜日)、会場は、日本ベーゼンドルファー・東京ショールームです。
詳しい時間などが決まりましたらまた、お知らせいたします。


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