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業界最高年齢社長Halのゲーム日記 その241 音楽の思い出編

2010-09-22 09:30:00 | 本と音楽
モーツァルトは天才だと言われる。 確かにその通りだと思う。 しかし、彼の凄いところは、若年にしてもてはやされ、日光の猿軍団の猿のように曲撃カみた弾き方(鍵盤に布をかけて弾くとか)をしたからではない。

モーツァルトが作曲する際には、普通の作曲家のようにピアノを弾いて旋律を確かめ、それに和音を加え、構成を築き上げてゆくというのとは全く異なる。 彼の場合は最初に楽想が脳裏に浮かんだ時点で、全ての音譜、つまりスコアが頭の中に確立されていたそうだ。

後は頭の中のスコアを紙に引き写してゆくだけである。 だからモーツァルトの作曲の速度は異常に速かった。 作曲を始めた時点で、既に通常の作曲家の仕事の大半が終わってしまっているのだから、速いのも当然だろう。 勿論ベートーベンでもワグナーでも、こんな兼魔ヘできはしない。

いったいどうすれば、完全な形のスコアが頭に浮かぶのか、誰にもわからない。 恐らくはモーツァルト自身でもわからなかっただろう。 だって、自分には特に努力せずとも簡単にできてしまうのだから、何故自分には可能であるかなど考える必要もない。 正に奇跡というべきである。 これが天才の天才たる所以だ。

しかもモーツァルトの曲の中で、とりわけ優れた楽曲は後半生、20代の半ば過ぎからのものばかりである。 彼はこの頃には既に人気作曲家の地位を滑り落ちていた。

人気作曲家であった前半生の曲は、ギャラントスタイルと言われる華麗なものではあっても、後期のような深みは全くなく、はっきり言って大したものではない。 クラリネット協奏曲や魔笛と、フルート協奏曲の違いは、比較して聞けば一目、いや一聴瞭然。 誰にでもすぐわかる程の違いがある。

天才ともてはやされた青少年時代の作品は軽く、人気を失った晩年(といっても30代の半ば前)の作品は至高の名作。 この矛盾・・・ しかも最後は袋詰めにされて露天の無縁墓地に投げ落とされるのだ。 明るくのどかにまぶしい魔笛との落差・・・

モーツァルトの後期の作品を偉大さを思えば、サリエリが嫉妬したのも当然だろう。 サリエリにとって不幸なのは、彼の才能は遠くモーツァルトに及ばないのに、モーツァルトの晩年の作品が古今に冠たる名作であることを理解できる程度の才能はあった、ということだろう。

もし、サリエリがその程度の才能さえなければ、彼は当時の大人気作家であったから、「俺の方が売れてるじゃん」で済ませることができた筈だ。 しかし、不幸にして彼はモーツァルトの偉大さを認識できる程度の才能はあった。 これもやはり悲劇である。