2014年1月21日に発行された雑誌「ビブリオテカ・プレドラガエト」の「本棚の上の記念日」特集号に新美南吉生誕100年を紹介する記事が掲載されました。
翻訳作品そのものが掲載されなかったのは少々残念ですが、この雑誌はベラルーシだけではなくロシアでも読まれている雑誌なので、ロシアでも新美南吉のことが紹介されるきっかけになり、とてもうれしいです。
新美南吉は少し遅れてしまいましたが、今年生誕450年を迎えるシェークスピアや、160年のオスカー・ワイルドや90年のワシーリイ・ブイコフ(ベラルーシの作家です。)等といっしょに新美南吉の紹介記事が載っています。
記事には新美南吉の生涯について詳しい記述があり、また昨年7月30日に生誕100年記念朗読会が弊館内で行われたことが紹介されています。記事のタイトルは「日本のアンデルセンがベラルーシで記念日」です。
去年からずっと待っていたので掲載されてほっとしました。日本の児童文学作家についてこんなに詳しい記事が載ったのはこの雑誌が始まって以来だそうです。
一部省略したところもありますが、日本語に翻訳しましたので、ここでご紹介します。
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日本のアンデルセンがベラルーシで記念日
リュドミーラ・ネスチェロヴィチ
子どもの本が異なる人種を一つにすることは昔からよく知られています。人種は違っていても共通点も持っていることを本は読者の目の前に見せてくれます。また文化が異なることに価値があることも証明してくれます。ベラルーシの子どもは喜んでお話を読みます。北の国で作られたものも、南の国で作られたものも、西の国で作られたものも、東の国で作られたものもです。これらの作品は成長していく子どもたちに、世界の人々を一つにする共通するものについて教えてくれます。
2013年ベラルーシで日本の児童文学作家、新美南吉の生誕100年を記念するさまざまな催し物が行われました。子どもだけではなく、子どものために働く教育関係者、図書館司書など大人も招かれました。
この日本の作家のことを司会者が紹介したときに、ハンス・アンデルセンのお話の世界を思い起こしました。新美南吉はまだ少年だったとき。遠いデンマークの作家のようにすばらしい作品を書いて有名になりたいと思っていたのです。そのとき彼は自分の生涯が本当に短いことを知るよしもありませんでした。
30年―それは長い人生ではありません。しかしそれでも作家が自国民の文化に重要な足跡を残すことができた、という例はあります。新美南吉(1913-1943)がまさにそうだと思います。彼の作品はすでに何十年も日本の小学校の教科書に載っているのです。
(ここから「新美南吉は愛知県生まれ・・・」と生涯が紹介される文章が続きますが、翻訳は省略します。また美智子皇后陛下の講演についても紹介がありますが、ここのブログ上では翻訳を省略します。
新美南吉の生涯が知りたい人はこちらをクリックしてください。)
新美南吉の作品はベラルーシの子どもにも理解でき、おもしろいものだと思います。日本の作家の作品には全て異国情緒を感じさせますが、それでも誰にでも通じる教育的な一面を内包しています。
つまり小さい子どもの読者に、悲しみがあっても落胆しないこと、真実が存在することを毎回感じるとは限らないこと、他人の苦しみに同感すること、感謝の心を持つことが大切であることなどを教えてくれます。
日本の児童作家はこういったことを直接、教えるわけではありません。よい児童文学ではこういうことを形式の中で、そしてあらすじの中で芸術的に教えるものなのです。
多くのベラルーシ人にとって、新美南吉の作品は強い共感を覚えさせるものだと思います。彼の悲しい人生はベラルーシの純文学者、マクシム・ボグダノビッチの運命と似ていると言ってよいでしょう。両者とも子ども時代に精神的なトラウマを抱えていました。母親の夭折、結核患者であったこと、早すぎる才能の開花、それに対する家族の無理解なども二人の人生を複雑なものにしていました。
南吉もマクシムも孤独がどんなものかよく分かっていたし、二人とも若くして亡くなりました。そして文学者としての評価は死後訪れました。
個人的な人生が多くの部分で重なっています。ベラルーシでマクシム・ボグダノビッチが愛されているように、新美南吉もベラルーシ人から支持されると思います。
2013年7月30日は新美南吉生誕100年の日に当たりました。これを記念してその作品が日本文化情報センターの企画として、ロシア語とベラルーシ語に翻訳されました。センター代表、辰巳雅子さんによって記念朗読会ではプレゼンテーションが行われ、翻訳された作品が掲載されたベラルーシの新聞や雑誌が展示されました。こうしてこの日付がベラルーシでも知られるようになりました。
日本文化情報センターはミンスク市立第5児童図書館内にあり、日本の児童文学作家の誕生日を祝うのには最適な場所です。ここでベラルーシの子どもが新美南吉の作品に出会うことができました。もしかすると作家自身にとってうれしかったのは、自分の作品が日本から何千キロも離れた国へ行ったことかもしれません。きっと新美南吉自身もベラルーシ人が寄せた感想や子どもたちが描いた絵を見て幸せだったと思います。
生誕記念日によって児童文学作家、新美南吉の若かった頃の夢が少し叶ったかもしれません。日本のアンデルセンのお話が今、遠いベラルーシで読まれるようになったのですから。
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紹介してくださったリュドミーラさんには感謝の気持ちでいっぱいです。
翻訳作品そのものが掲載されなかったのは少々残念ですが、この雑誌はベラルーシだけではなくロシアでも読まれている雑誌なので、ロシアでも新美南吉のことが紹介されるきっかけになり、とてもうれしいです。
新美南吉は少し遅れてしまいましたが、今年生誕450年を迎えるシェークスピアや、160年のオスカー・ワイルドや90年のワシーリイ・ブイコフ(ベラルーシの作家です。)等といっしょに新美南吉の紹介記事が載っています。
記事には新美南吉の生涯について詳しい記述があり、また昨年7月30日に生誕100年記念朗読会が弊館内で行われたことが紹介されています。記事のタイトルは「日本のアンデルセンがベラルーシで記念日」です。
去年からずっと待っていたので掲載されてほっとしました。日本の児童文学作家についてこんなに詳しい記事が載ったのはこの雑誌が始まって以来だそうです。
一部省略したところもありますが、日本語に翻訳しましたので、ここでご紹介します。
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日本のアンデルセンがベラルーシで記念日
リュドミーラ・ネスチェロヴィチ
子どもの本が異なる人種を一つにすることは昔からよく知られています。人種は違っていても共通点も持っていることを本は読者の目の前に見せてくれます。また文化が異なることに価値があることも証明してくれます。ベラルーシの子どもは喜んでお話を読みます。北の国で作られたものも、南の国で作られたものも、西の国で作られたものも、東の国で作られたものもです。これらの作品は成長していく子どもたちに、世界の人々を一つにする共通するものについて教えてくれます。
2013年ベラルーシで日本の児童文学作家、新美南吉の生誕100年を記念するさまざまな催し物が行われました。子どもだけではなく、子どものために働く教育関係者、図書館司書など大人も招かれました。
この日本の作家のことを司会者が紹介したときに、ハンス・アンデルセンのお話の世界を思い起こしました。新美南吉はまだ少年だったとき。遠いデンマークの作家のようにすばらしい作品を書いて有名になりたいと思っていたのです。そのとき彼は自分の生涯が本当に短いことを知るよしもありませんでした。
30年―それは長い人生ではありません。しかしそれでも作家が自国民の文化に重要な足跡を残すことができた、という例はあります。新美南吉(1913-1943)がまさにそうだと思います。彼の作品はすでに何十年も日本の小学校の教科書に載っているのです。
(ここから「新美南吉は愛知県生まれ・・・」と生涯が紹介される文章が続きますが、翻訳は省略します。また美智子皇后陛下の講演についても紹介がありますが、ここのブログ上では翻訳を省略します。
新美南吉の生涯が知りたい人はこちらをクリックしてください。)
新美南吉の作品はベラルーシの子どもにも理解でき、おもしろいものだと思います。日本の作家の作品には全て異国情緒を感じさせますが、それでも誰にでも通じる教育的な一面を内包しています。
つまり小さい子どもの読者に、悲しみがあっても落胆しないこと、真実が存在することを毎回感じるとは限らないこと、他人の苦しみに同感すること、感謝の心を持つことが大切であることなどを教えてくれます。
日本の児童作家はこういったことを直接、教えるわけではありません。よい児童文学ではこういうことを形式の中で、そしてあらすじの中で芸術的に教えるものなのです。
多くのベラルーシ人にとって、新美南吉の作品は強い共感を覚えさせるものだと思います。彼の悲しい人生はベラルーシの純文学者、マクシム・ボグダノビッチの運命と似ていると言ってよいでしょう。両者とも子ども時代に精神的なトラウマを抱えていました。母親の夭折、結核患者であったこと、早すぎる才能の開花、それに対する家族の無理解なども二人の人生を複雑なものにしていました。
南吉もマクシムも孤独がどんなものかよく分かっていたし、二人とも若くして亡くなりました。そして文学者としての評価は死後訪れました。
個人的な人生が多くの部分で重なっています。ベラルーシでマクシム・ボグダノビッチが愛されているように、新美南吉もベラルーシ人から支持されると思います。
2013年7月30日は新美南吉生誕100年の日に当たりました。これを記念してその作品が日本文化情報センターの企画として、ロシア語とベラルーシ語に翻訳されました。センター代表、辰巳雅子さんによって記念朗読会ではプレゼンテーションが行われ、翻訳された作品が掲載されたベラルーシの新聞や雑誌が展示されました。こうしてこの日付がベラルーシでも知られるようになりました。
日本文化情報センターはミンスク市立第5児童図書館内にあり、日本の児童文学作家の誕生日を祝うのには最適な場所です。ここでベラルーシの子どもが新美南吉の作品に出会うことができました。もしかすると作家自身にとってうれしかったのは、自分の作品が日本から何千キロも離れた国へ行ったことかもしれません。きっと新美南吉自身もベラルーシ人が寄せた感想や子どもたちが描いた絵を見て幸せだったと思います。
生誕記念日によって児童文学作家、新美南吉の若かった頃の夢が少し叶ったかもしれません。日本のアンデルセンのお話が今、遠いベラルーシで読まれるようになったのですから。
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紹介してくださったリュドミーラさんには感謝の気持ちでいっぱいです。