自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

アファンの森5 小さな白い花

2012年06月19日 | アファンの森
5月20日、23日のアファンです。

調査のあいまにキョロキョロと春の花を探しました。初めに白くて小さな草本類から。


ニリンソウ

タニギキョウ

クルマムグラ

サワハコベ

ミヤマハコベ

チゴユリ

ツボスミレ

エゾノタチツボスミレ

ヒトリシズカ

ずいぶんあるものです。こういう花が一番すきかなぁ。ついつい毎年写してしまいます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アファンの森4 マムシグサ

2012年06月18日 | アファンの森
5月20日、23日のアファンです。

 3年生の笹尾さんはマムシグサを調べることにしました。虫媒花といわれるのですが、誰が送粉するのかを調べようとしています。またほんとうに虫がいないと受精できないかを調べるため、被いをつくりました。


マムシグサの花


マムシグサの雄花。花の筒の部分を開いて中を見ている。


昆虫が来ないおうに被いをしたマムシグサ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アファンの森3 死体トラップ

2012年06月17日 | アファンの森
5月20日、23日のアファンです。

 糞虫をつかまえるのには糞を使いましたが、死体に集まる昆虫には糞の代わりに死体です、となるとえらいことです。糞はもちろん臭いので、アファンのスタッフには「先生のとこの学生さん、いやな仕事でも楽しげによくやってますよねえ」と言われますが(たしかに)、死体のほうはそれをはるかに上回る不快な作業になります。ただ、うまい方法があって、昆虫の専門家にきいたら、寿司を作るのに使う粉末を使うと、死体に集まる昆虫がまちがえて集まってくるらしいのです。これなら不潔さや臭さを避けることができます。去年はこれで成果がありました。


地面に埋めたコップ。この底に寿司粉末を入れるとオサムシなどが入る。動物に持ち去られないようにネットを張る。

 ただ、今年はやはり実際に動物の死体がどう分解するかをしっかり見ようということにしました。それで大学の別の研究室から実験用マウスの死体をもらって、森に置くことにしました。タヌキなどが死体を持って行く可能性があるので、タッパーを加工して、網をはり、木に固定してもち去られないよにしました。網のすきまから昆虫は入れます。
 
 糞虫と死体分解昆虫を調べることで、「鼻つまみ者」が実は分解という偉大な仕事をしていることを示そうとしています。この、ふつうならやりたくないはずの仕事を引き受けてくれているのが4年生の池田さんです。


マウスの死体の入ったトラップ


トラップの木の下におき、針金で固定する。


トラップを準備する池田さん
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アファンの森2 糞虫

2012年06月16日 | アファンの森
5月20日のアファンです。

5月は山が春から初夏に様変わりする月なので、野外調査の準備に忙しい月です。アファンには2回行きました。アファンではいくつかのテーマで調査をしていますが、共通しているのは森林管理がそこにすむ動植物にどういう影響を及ぼすかという興味と、雑木林にすむ「ふつうの」生きものの生きているすばらしさを記述しようということです。4年生の池田さんは「鼻つまみもの」への偏見を除きたいと考えてある昆虫群を調べています。そう考えたのは私なのですが、いまは彼女も同じ思いで熱意をもって調査をしてくれています。鼻つまみものというのは、調べているのが糞に集まる虫と死体に集まる虫だからです。こういう昆虫に対して、普通の人は眉をひそめます。でも私たちは考えます。動物が生きている以上、必ずウンチはするし、いつかは死ぬ。それらがそのまま残っていたらたいへんなことになりますが、分解してくれる生き物がいるおかげで、物質循環が順調に進むわけです。そうした役割を担ってくれる昆虫の存在とその働きを示したいということです。そこで少し工夫をしました。糞虫には、糞トラップ(わな)を作りました。麻布大学は獣医系の大学ですから家畜を飼っています。その糞をもらってきてアファンの森に置いたのです。小さなバケツを地面にうめ、上に割り箸を横に渡します。割り箸の中央に糞を入れたティーバッグをぶらさげておくと、匂いにつられて糞虫がきてバケツの底にポトンと落ちるというしかけです。


糞トラップ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アファンの森1 ネズミ

2012年06月15日 | アファンの森
5月20日と23日に続けてアファンの森に行きました。東京よりは1カ月近くも遅れるので、まだ新緑でした。4年生の二人はネズミと昆虫を調べています。
 ことのおこりは、フクロウの巣に残された骨の7割がハタネズミという草地などにすむネズミで、森にすむアカネズミが少なかったことにあります。ではアファンの代表的な群落にはどのネズミがすんでいるのだろう。そういう関心から調査を始めました。ネズミはシャーマントラップというわなで生け捕りにします。細長い筒のようなもので、中に餌をおいて、ネズミが入って底板を踏むと入り口がパタンとしまる仕掛けになっています。この調査は4年生の佐野さんが取り組んでいます。


シャーマントラップ


佐野さん
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新生

2012年06月14日 | 動物 animals
近所に大きな病院があります。その庭に池があってカルガモがすんでいるのですが、5月の中旬に雛が生まれたようです。21日に近くにすむ次女が1歳の孫を連れてきたので、見に行きました。孫はトコトコ歩きながら眼にするものになんでも関心を示しています。見るもののほとんどが初めて見るのですから無理もありません。
 池に着くと、いましたいました。お母さんにつれられて6羽もの雛がピヨピヨとにぎやかです。お母さんが低木のあいだを右に行けば右に、左に行けば左にと忙しそうです。そうかもしれないし、雛がかってにあちこち行くからお母さんが心配で右往左往していたのかもしれません。鳥の雛には羽毛が出てくる前は哺乳類のような産毛みたいなのが生えています。首の細いあたりが孫と似ているななんて思っていました。すると、そのうち一羽がピョンと池に飛び込みました。

「かわいいわね」
「そうねえ、かわいいねえ」

入院している人やお見舞いの人が立ち止まって思わず声に出し、会話がはずみます。駅のホームを行くのと同じ社会にすむ人たちとは思えません。

「みんなこういうやさしい気持ちで過ごせばいいのに」

池を泳ぐ雛をみると、生まれて1週間かそこらしか経っていないのに、一丁前に右左と足をうごかして進んで行くのがわかります。なんだか幼い命のもつエネルギーに感心してながめていました。

家に帰って娘に「雛って元気だねえ」と言ったら
「わたし母親目線でみちゃった。一人でもたいへんなのに、よく6羽もめんどう見てるなって」

同じ物を見ていたのに、違うことを感じていたようです。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

乙女高原6 違いがわかる?男

2012年06月12日 | その他の調査地
5月19日の乙女高原です。

乙女高原には「ブナじいさん」と呼ばれる大きなブナの木がありますが、少し下のところには「トチノキばあさん」がありました。この木の脇には「名水」があり、初めて来たときに植原先生が各人のためにペットボトルをもってきてくださいました。もっとも、せっかくペットボトルを渡してもらったのに、私はあれだこれだと植物を見つけて騒いでいたようで、先生の記録にはそのことが書いてありました。
 大きな木というのは、自然にありがたいような気持ちを抱かせるものですが、その感じは写真では表現できないといつも思います。
 ところで、この日、持参の魔法瓶にこの名水を入れて帰りました。家族は「おいしー!」と歓声を上げていましたが、私はどうも「水音痴」らしく、あまり違いがわかりませんでした。


トリノキばあさんを見上げる

時間が先取りになりますが、6月10日に訪問したら、トチノキが花盛りでした。トチノキばあさんも咲いていました。この写真を見ると音楽が聞こえてきます。木の下から半透明な葉を見るのもいいものです。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

乙女高原5 スミレ

2012年06月11日 | 植物 plants
5月19日の乙女高原です。

もちろん「スミレはないか」ときょろきょろしたのですが、あまり見つかりませんでした。


タチツボスミレ


ミヤマスミレ

植原先生が「タチツボスミレはどこにでもあるスミレだけど、花の色にしてもとてもきれいで好きなスミレです」という意味のことを書いておられました。同感です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

乙女高原4 早春の森の花

2012年06月10日 | 植物 plants
5月19日の乙女高原です。

4月に来たときは「ウサギ」みたいだったムシカリが花を開いていました。


ムシカリ


サナギイチゴ


サンリンソウ

以下の2つはハコベの仲間で、私の気に入りのグループです。


ミヤマハコベ


ワチガイソウ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

胸に染みる空の輝き

2012年06月09日 | その他 others
この国のリーダーとされる男が「国民の安全のために原発を再稼働する」と言い放った。この文章は本人が考えたものではないだろう。官僚が悪知恵をしぼって作りあげた作文に違いない。そのことは「安全」のすりかえと、耳当たりのよいことばによるカモフラージュからあきらかだ。「安全」とはエネルギー浪費生活を安全に維持するということにすりかえられている。いま国民投票をしたら、こんな浪費的な生活を続けながら、メルトダウンの危険と同居したいなどという人が多数はとはとても思えない。そのことの間違いを2万人の尊い犠牲者と、15万人の難民が証明したのではなかったのか。官僚はずるいから、そのままでは馬脚が露骨に見えるからと、「地方への感謝」表明を忘れない。こう言うことによって「都会人は勝手にエネルギーを浪費して、危険を地方におしつけていいとは思っていない」と善玉を装う。「あれ?なんだかいいことを言っているみたいだ」と思わせて丸め込もうとしている。では感謝しているということは実際どうすることなのか。難民を一年以上放置しておいて、地方に感謝するとはどういうことか。首相がそういう文章を誠実なふりをして読めば感謝したということになるのか。
 このことの本質は「日本はこれからもエネルギー浪費社会を維持する」と表明したことにほかならない。暗黒の国であるかの印象をもっていたソ連でさえ、チェルノブイリ事故を冷静に分析し、地味ながら再発防止の努力を続けている。世界は被災者の誠実さや強さに賞賛を送って来た。そして、「日本はとりかえしのできない失敗をしたが、これで変わってくれるだろう」と注視してきた。「原爆を乗り越えた国だもの」と。だが、その原爆を遥かに上回る放射能を出した事故の分析をしていないどころか、現在進行形の4号機のリスクを棚に上げたまま、「原発なしにこの国の社会はありえない」と表明した。首相はみるからに傀儡であるから、無視してもよかろうが、こうした文章を作文した官僚の意図はどこにあるのか。大東亜戦争の大本営でもこれほどひどくはなかったのではないか。そこにはまちがいであったとしても明確な「正義」があった。だがこの国のリーダーたちには、半年前に連呼していた、原発の危険性を容易に翻意する無節操さしかない。
 去年の3月、自分の人生で最大の事故が起きたことを知った。私の人生どころではない、人類史においてそうであろう。そのことに対するこの国の判断がこれであるのか。私はかつてこの国についてこれほど重苦しい思いをしたことはない。自分の人生はもう残り少ないのだからどうでもよい。思うのは、子供たちの将来と、もの言わぬ生き物たちの将来である。なにが「豊かな生活の維持」であるか。己の目の前の享楽的な生活だけしか考えないのだろうか。国土に対して、自然に対して、思いやるものはこれっぽっちもないのだろうか。

かつて「哀しくてやりきれない」という歌があり、十代の私はくりかえし口ずさんだものだ。

胸にしみる 空のかがやき
今日も遠くながめ 涙をながす
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このやるせない モヤモヤを
だれかに 告げようか



白い雲は 流れ流れて
今日も夢はもつれ わびしくゆれる
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
この限りない むなしさの
救いは ないだろうか



深い森の みどりにだかれ
今日も風の唄に しみじみ嘆く
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このもえたぎる 苦しさは
明日も 続くのか


あのころ、私はなんだか漠然とした不安を抱えながら、この歌が自分の心を表現してくれているように感じていた。だが、そのときは社会に対する不満はなく、その社会に自分がどうかかわるかに不安をもっていたのだった。しかし、今この歌詞を読み返すと、自分のいる社会が絶望的にまちがった選択をしたことにやりきれなさを感じることが違う。もうひとつの違いは、あの頃のように涙は流れないことだ。哀しみは何倍も深い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする