自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

モンゴル5

2022年02月28日 | モンゴル
この子たちはいとこ同士で仲良く遊んでいます。大きい子はお母さんになっておんぶし、小さこは赤ちゃんになったつもりなのでしょうか、なんでも遊びにな流ようです。
大きい子が小さい子の面倒を見るというのも、私たちが子供の時はもっとあったような気がして、懐かしさを感じます。

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モンゴル4

2022年02月27日 | モンゴル
大きい方の子は小学4年生くらいだと思います。しっかりしていておおらかな感じでした。この時は、子ウシを別の場所に移動させていました。子供とはいえ、ウシは大きく、力もあります。でもこの子は飴玉をしゃぶりながら、力も使って動かしています。実にたくましい。


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モンゴル3

2022年02月26日 | モンゴル
そのゲルにはいくつかの家族がいました。娘たちはウランバートルに住んでいるのですが、夏は家畜のことが忙しいので帰省してみんなで協力して働きます。
 いとこ弟同士の子供たちは仲良く遊びます。この3人はよく遊び、よく喧嘩もしていました。
 それにしてもこういう広い草原で伸び伸びと遊ぶのだから、日本の子供とは大袈裟に言えば世界観が違うと思います。

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モンゴル2

2022年02月25日 | モンゴル
その子の名はアミナといいます。別の日に
「一緒に写真を撮るからね」と言ったらストンと膝に乗ってくれたので、撮れました。


後でその写真をお母さんに見せたら驚いていいました。
「え、この子は恥ずかしやだから、知らない人になつくことはないんですよ。まして外国のおじさんの膝に乗るなんて」
と。
 私の前ではそうは思えず自然に振る舞っていたので不思議な感じでした。もう7年も前のことだから、今頃はいい娘さんになっていることでしょう。
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モンゴル1

2022年02月24日 | モンゴル
このところ行けなくなりましたが、夏は毎年モンゴルに行くのが恒例になっていました。最近になって、棚に上げていたデータをひっくり返して論文を書き始めています。それで写真を見ていたら、懐かしいものがあったので少し紹介します。

この年は一人で調査をしていました。仲間もいたのですが、別の作業をしていたので、群落調査は一人でした。モンゴルの仲間の一人は女性で、一人の女の子がいましたが、調査を終えてゲルに帰ったら、お母さんたちはまだだったのか、私のゲルにきました。その日はデールという民族服を着ていました。日本の子供が浴衣を着ているのもそうですが、民族服を着た子供はほんとにかわいい。
 そして背景のこの広い草原です。これは写真に撮ろうと思いました。その少し前から私とその子は「会話」をしていました。私はモンゴル語が話せませんし、その子もまだモンゴル語を話し始めたくらいです。なので私は日本語で勝手に話していました。この時は
「あのね、写真を撮るからここに立っててね」と言ってその場所に立ってもらって、私はそこから離れてカメラを構えました。不思議なことにそれが通じて何か言っていましたが、そこに立ってくれました。



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カワセミ

2022年02月23日 | 標本
16日に近所の黒目川のことを書きましたが(こちら)、清流があるからでしょう、カワセミを見ました。見ても素早いので写真には撮れませんでしたが、2月2日に散歩した時は石の上に座っている(鳥は座ると言わないのかも、でもとまるというのも違う気がする)のを見つけ、写真に撮れました。
 最初に撮れたのは巣の近くのようで、岩に糞が白くついていました。それから5メートルほど移動して別の岩に行きました。



プロポーション的に言えば随分頭が大きいです。そしてなんといっても嘴が長い。そのために全体に可愛いさと鋭さが共存しているような独特の印象があります。嘴が赤いのはメスだそうですから、これはメスです。
 形もさることながら、なんといってもこの鮮やかな色彩。翡翠色の羽はメタリックに輝きます。その色は頭まで続きますが、頭には白い点々があっておしゃれです。胸はオレンジ色でこれも輝きがあるので明るい部分と暗い部分がコントラストをなします。目の下もこの色で、さらに白い帯が続きます。そして足は赤。実に色鮮やかで、それでいて全体に不思議な調和があります。
 近所でカワセミが見られるなんてちょっと贅沢な気がします。
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「発達障害」6

2022年02月22日 | がんこおやじ
 人を時代で色分けするのは好まないが、昭和と平成・令和を比べたら、明らかに昭和の方がデコボコの人を許容した。どうかするとデコボコをそそのかす大人さえいた。私はそういうふうに大目に見てもらったおかげで、人とは違う子だと言われることをよくないこと、ましてや矯正するようなこととはつゆとも思わないで育つことができた。
 男女差別も好まないが、男女区別は必要だと思う者として言えば、元気が良くて乱暴なところのある男の子を女性がとがめると、「男の子はそれぐらいでちょうどいいんだ」という男性がいた。
 私が小学校1年生の時、学校から帰りに道草をしながら錆びた釘とかきれいな石ころとかを持ち帰ると、母は「あら、ええもんを見つけたなあ」と言ってお菓子の入っていたきれいな箱を出して「これに入れといたら」と言った。何かの付録で塗り絵があった。私は絵を描くのが好きだったのでそれに色を塗っていたら、普段穏やかな父が色をなして母を叱った。「絵は子供が自由に描くからええんだ。こんな型にはまった絵に色を塗るなどまちがっとるんだ」と。その迫力に私はドキドキした。
 そんな忘れていたことを思い出した。そして、今にしてそういう両親に育てられたことを幸いに思う。

 同時に思うのは、もし今の日本社会が、多角形グラフのデコボコをよくないこととして、みんなが滑らかな多角形になるべきだとしているとすると、それはやはり問題だと思う。学生が議論しなくなったし、意見を主張するのは我が強いとかわがままとか捉えられるから、黙ってニコニコしている方がいいので主張はしないのが「いい人」だとされるような風潮は確かにある。子供の頃から他の子と違うのはよくないとして「そんなことはしてはいけない」と言われ続ければ、「滑らかな多角形」になるに違いない。それは個性的な子供をなくすことになる。私はそれはとてもよくないと思うし、そういう「無難さ」や「気配り」は嫌いだ。

  * * * *

 リトさんは個性が活かせてよかった。あの葉っぱの切り絵の本をぜひ手に入れよう。

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「発達障害」5

2022年02月21日 | がんこおやじ
 この多角形表現によれば、全てが8点くらいだと「いい形」なのだろう(下のグラフの青線))。でもそういう人は「毒にも薬にもならない」、おもしろくもなんともない人ではないか。あることは全くダメだが、別のことは人並外れて際立ってよくできる場合はギザギザの多角形になるだろう(グラフの赤線)。10点満点では溢れてしまうほどかも知れない。

多角形グラフ。10点満点で、無難な人が青線、「外れた人」が赤線

それは普通の人から外れるから「まともではない」のだろう。そんな無難なサッカーボールのような多角形だけの人間が作る社会は確かに揉め事は少ないだろう。だが、それでおもしろいか?本当にその方が良いと言えるか?


 トットちゃんは紛れもなく「外れた子」だったはずだ。

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「発達障害」4

2022年02月20日 | がんこおやじ
 しかし私はそういう自分の性癖をあまりマイナスに考えたことはなく、むしろ集中力は長所だと思っている。というより、私はそうでなければ研究者になれなかったに違いない。

 それにしても「発達障害」というネーミングは良くないのではないか。多角形のグラフがあって、それぞれが10点満点になっていて、一部の項目が劣っていると多角形の形がいびつになるというものだ。これは発達が障害(うまくできていない)なのか?その部分が「でき過ぎている」と言えるのではないか。そもそも集中に「過度」ということがあるのか?他の人の集中が足りないだけではないのか?

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「発達障害」3

2022年02月19日 | がんこおやじ
私に言わせれば物忘れと集中力は一つのものの裏表だと思う。こんな感じだ。
 頭を容器とし、その中にビー玉のような玉が赤と白、混じっているとしよう。普段は混じり合って遠目にはピンクのように見えるが、何かに集中すると赤い玉が磁石に引かれるように1箇所に集中して、そこが真っ赤になる。その結果他の場所が白くなる。
 私が忘れ物をするときは大抵物事に集中している時で、考え事をしたり、観察をしたり、何かを作ったりしている時だ。ふと何かを置いて、後で回収しようと思うのだが、集中していると、置いたことはすっかり頭から消えている。脳の中の忘れ物をしないようにと考える部位が真っ白になっているからに違いない。だから置いたものをそのまま気づかないで立ち去ってしまう。
 そういう者からすると、忘れ物をしない人というのは、あまり集中しない、あるいは、できないのではないか。頭が赤や白にならないで、いつでもピンク、何かするときも、濃い目のピンクと薄めのピンクにしかならないのではないか。世間にはこういう人が多数を占めるから、これを「普通」とか「まとも」とかいう。
 忘れ物をするのを「ボーッとしているから」というが − そしてそれはあまり否定できなくもあるのだが − それは集中もできないで忘れる人に限定してもらいたい、と健忘症は負けず嫌いをいう。

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