人を時代で色分けするのは好まないが、昭和と平成・令和を比べたら、明らかに昭和の方がデコボコの人を許容した。どうかするとデコボコをそそのかす大人さえいた。私はそういうふうに大目に見てもらったおかげで、人とは違う子だと言われることをよくないこと、ましてや矯正するようなこととはつゆとも思わないで育つことができた。
男女差別も好まないが、男女区別は必要だと思う者として言えば、元気が良くて乱暴なところのある男の子を女性がとがめると、「男の子はそれぐらいでちょうどいいんだ」という男性がいた。
私が小学校1年生の時、学校から帰りに道草をしながら錆びた釘とかきれいな石ころとかを持ち帰ると、母は「あら、ええもんを見つけたなあ」と言ってお菓子の入っていたきれいな箱を出して「これに入れといたら」と言った。何かの付録で塗り絵があった。私は絵を描くのが好きだったのでそれに色を塗っていたら、普段穏やかな父が色をなして母を叱った。「絵は子供が自由に描くからええんだ。こんな型にはまった絵に色を塗るなどまちがっとるんだ」と。その迫力に私はドキドキした。
そんな忘れていたことを思い出した。そして、今にしてそういう両親に育てられたことを幸いに思う。
同時に思うのは、もし今の日本社会が、多角形グラフのデコボコをよくないこととして、みんなが滑らかな多角形になるべきだとしているとすると、それはやはり問題だと思う。学生が議論しなくなったし、意見を主張するのは我が強いとかわがままとか捉えられるから、黙ってニコニコしている方がいいので主張はしないのが「いい人」だとされるような風潮は確かにある。子供の頃から他の子と違うのはよくないとして「そんなことはしてはいけない」と言われ続ければ、「滑らかな多角形」になるに違いない。それは個性的な子供をなくすことになる。私はそれはとてもよくないと思うし、そういう「無難さ」や「気配り」は嫌いだ。
* * * *
リトさんは個性が活かせてよかった。あの葉っぱの切り絵の本をぜひ手に入れよう。