頑固親父の想像はこうである。
大阪の芸人集団は暴力団と親交がある。金を出すものにはしっぽを振るのが芸人である。綺麗事ではない。そのことがバレて、ほとぼりが冷めるまで知らんふりをしておこうと思ったら、予想外の騒ぎになった。そこで考えた、まず芸人が泣き真似をしよう。そのあとで社長が同じように泣き真似をしよう。そこは難波の芸人だ。迫真の演技はお手の物。泣けば「やったことは悪いけど、正直にあそこまで言ったんだから、信じていいんじゃない」と思ってくれるはずだ。そのあとで社長が泣いて詫びる、そうすればこの人も本当はいい人なんだ、社長たる人が泣いて詫びたんだから、もういいということにしてくれるはずだ。これはよくできたシナリオだ。芸人が会社を悪者にしておく。そのあとで、会社が芸人に詫びる。そうすれば世間はどちらも善人と思ってくれるはずだ。
そんなバカなことがあるはずはなかろう。おこなった不正が泣き真似でチャラになるはずがないだろう。芸人を強い態度でクビにすれば会社は生き延びれるというのが本音だろう。ところがどうもそうでないとわかったら、今度は泣いて「クビを撤回させていただけるものならそうしていただきたい」と泣けばチャラになるはずだないだろう。
犯罪は犯罪だ。罪のない老人から暴力を使ってまで金を奪い、善良な人の人生を破壊する悪質な犯罪者とつながりを持ったものが、泣いて謝ればチャラになるはずがないだろう。正直は大事だが、悪いことを正直に語ったら悪いことが良いことになるはずはない。
こういう感情に訴える狡猾さ、そしてついつい涙にほだされそうになる「やさしさ」は甚だ危険だ。
頑固親父はそう憤る。