自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

9月を振り返る

2019年09月30日 | ごあいさつ Greetings
9月2日 オスジカ標本収納ラックの論文が「麻布大学雑誌」に受理
9月6日 モンゴルから帰国
9月8日 花マップシンポジウム
9月11日 小平第一中学校で講演
9月12日 丹沢のシカ食性論文が「保全生態学」に受理
9月14日 麻布大学いのちの博物館3D模型のセミナー
9月15日 麻布大学いのちの博物館企画展示入れ替え、久保麦野さん哺乳類学会奨励賞受賞のお祝い会
9月16日 乙女高原で調査
9月19日 最後の小平市教育委員会定例会
9月20日 シカの角の論文を投稿
9月22日 玉川上水観察会(浅間橋方面)
9月24日 PN理事会
9月26日 学報社と打ち合わせ
9月27日 アファンの森に行く
     「哺乳類科学」の裏高尾のタヌキの論文、原稿修正
9月28日 麻布大学卒業生の海老原君・落合さん結婚式
9月29日 ミュゼットの学生、解剖アドバイス
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月の観察会観察会 3

2019年09月29日 | 玉川上水
夏の花の終わりから秋のはなのはじめくらいのタイミングで案外色々な花がありました。シンポジウムに出てから参加したという人もあり、初対面の人もいましたが、歩いているうちに打ち解けて最後に記念写真を撮った緑地では楽しげに談笑をしていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月の観察会 2

2019年09月28日 | 玉川上水
上流に向かって歩いていると牟礼橋という橋があり、ここは放射5号線という道路がついて玉川上水が分断された場所です。そこに大きなケヤキの木があり、流石にこれは切れないということで道路の真ん中に残されました。



「孤立」

とはこのことです。これも玉川上水の歴史にとって意味のある場所だと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月の観察会

2019年09月27日 | 玉川上水
今月はモンゴルの報告が続きました。帰国後、すぐに花マップのシンポジウムがあり(こちら)、それから麻布大学いのちの博物館の展示の入れ替えがあり、バタバタしました。22日には玉川上水の観察会をしました(こちら)。一番下流の浅間橋(せんげんばし)から上流に向かって歩きました。玉川上水あたりとはかなり違いましたが、それでも意外に豊かに植物がありました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あたらしい企画展示

2019年09月26日 | 博物館
申し遅れました。麻布大学いのちの博物館で新しい企画展示をはじめました。こちら



こんなポスターにしました。ぐっと抑制気味の色合いで、色鉛筆というのもアナログで現代風でないところ狙いです。
時間がありましたら、足をお運びください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フェルト

2019年09月25日 | モンゴル
モンゴルで土産物を探してもこれはというものに出会わない。それでいつもフェルトものの店に行くことになってしまう。我が家の女性陣にはフェルトのスリッパとスカーフ、孫たちにはフェルトの動物の人形を選ぶことにした。



店は感じの良い並べ方がしてあって、楽しくなる。その一角に動物の人形のコーナーがある。



今年は少し種類が増えていて、恐竜があったので、恐竜好きの孫に選んだ。何と言っても家畜が多く、鳥などもあった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノモンハン事件

2019年09月24日 | モンゴル
私は中高生の頃、歴史が嫌いで勉強していないが、それにしてもノモンハン事件というのはほとんど何も記述がなかったのではないか。1939年に起きたのだから、盧溝橋事件から2年後のことだ。去年あたりのNHKの番組で知って少し知った程度だ。それによると雨が降らないので当時、日本兵が掘った地下壕がほぼそのまま残っており、短時間で重労働で掘ったことを伝えていた。また兵の死亡を増やさないために戦闘をやめた勇気ある軍人が帰国後責められて自害したとも伝えていた記憶がある。その後の日本軍の暴走のルーツの一つと位置付けていたように思う。
 今回、モゴドでの博物館の仕事が終わってウランバートルで1日あったので、土産物の買い物をしに街を歩いていたら、ケースのようなものに写真が貼っていあり、どうやらそれがノモンハン事件についてのもののようだった。実は私たちが滞在中にプーチンがモンゴルに来るということを聞いた。当時のソ連にとっては国境問題であり、戦闘に勝利した記念的出来事だったのであるから、ロシアとモンゴルの「友情」を確認する政治的意図があるのだろう。
 写真を見るとソ連兵とモンゴル兵が英雄として扱われているのがわかる。特にモンゴルの牧民が馬を巧みに扱って戦ったことが英雄的に表現されているようだった。日本兵と思われる兵士、調停をしているらしい日本軍人の写真もあった。


モンゴル騎兵


投降したと思われる日本兵


調停する日本軍人と思われる人


 同じ戦争の受け止め方がこれほど違うものかと違和感があった。私たちは「先の大戦」というと太平洋戦争をイメージしてしまうが、間違いなく1937年からの8年もの長い戦争だった。そのことを忘れがちがということを思い起こしたほうがいいと思う。それに、勝ったのは「戦争」というのに、負けたのは「事変」とか「事件」というのは歴史に対してフェアでない。そういえば敗戦を「終戦」というのも言葉のごまかしに違いない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイラグ 4 家族

2019年09月23日 | モンゴル
乳搾りの作業をしているときに、ふとゲルの裏側に回りました。すると、そこに小さな子供達がシートの上にいました。



丸々と太って、お姉ちゃんたちはなんだかペチャクチャと話をしており、小さい子はキョトンとしています。一人の子が振り向いておじいちゃんを見つけました。そして、裸足で「おじいちゃーん」と叫びながら駆け出しました。するともう一人の子も走って行きました。でも小さい子は追いつけずに、大きい子が抱かれたのをみて、泣き出しました。それを見ておじいちゃんが「よし、よし」と抱き上げました。



それから、ゆっくりと戻ってきました。



人が育つというのは、こういう世代の違う家族がいて、子供の世話をし、子供は大人が働くのを見ながらなされることなのだ、という当たり前のことを思いました。そして、もちろん思ったのはそれが果たせなくなっている国のことです。

++++++++++++++++++++++++
昨日(9/22) 玉川上水観察会を行いました。こちら

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっぱり

2019年09月22日 | がんこおやじ
9月21日の朝日新聞の夕刊に「学校スト 響かない日本」という記事があった。それを読んで「やっぱり」と思った。

今、世界の若者が地球温暖化防止のためのデモを世界規模で進めている。スウェーデンの学生の呼びかけから始まったものらしいが、若者の純粋さを感じ、「がんばれ」と声援したくなる。だが、この呼びかけに対して日本の学生は「何も思わない」と言ってでもに参加することもないのだそうだ。

私はある大学で非常勤講師として生態学を教えている。ある講義で、人間と自然の関係について話して「develop」と「envelop」との言葉の意味を考えさせようと思い、「envelop」という中学生でも知っている単語の意味を訊いた。だが誰も答えない。実際に意味を知らない学生が多いようでそれにも驚くが、知っていても反応しないという雰囲気だった。手を変え品を変えて自発的に声を上げるように導くが無反応。私は呆れて「話をしても面白くないね」とつぶやいた。

 そういうことは程度の差こそあれ、これまでにもあった。だが、驚いたのは、その日に書かせたレポートに次のようなメモがあったことだ。
「学生を見下すような態度は良くありません」

 日本の若者はついにここまで来たのかと思った。私は講義の時、いつでも質問や意見があれば言いなさいと言っている。にも関わらず何も発言せず、こういう形で意思を告げるという不健康な主張の仕方。それに何より、その内容だ。私は見下していない。ただ、あまりの無反応に感想を言ったにすぎない。もちろん、見下しても何の問題もない。envelopの単語を知らない「大学生」が知識のなさが批判される、あるいは嘆かわしく評価されるのは客観的に妥当なことであり、恥ずべきは自分である。それにも関わらず、それを「見下した」先生がよくないという。

 これは、今の若者は子供の頃から大人から叱られたことがないことの結果だと思う。あることができない子がいると、そのことには触れないで、「別のことはできるよねー」などと甘やかされる。「馬鹿野郎!」と怒鳴るのがよいとは思わないが、できないのならもっと頑張れと言えばよい。だが世間は「頑張れと言ってはいけません」という。
 人に迷惑をかけたらなぜいけないかを諭すことは必要だし、程度によっては叱ることもよい。だが、そういうことを日本の大人はしないで来た。要するに大人が、してもよいこと、してはいけないことをちゃんと教えなかったツケが今現実のものとなってきたのである。

 個人の自由は何よりも大切だそうだ。がんばらなくてもいいそうだ。その結果、「大学生」が勉学をしなくてもよく、中学生レベルの知識がないことを嘆かわしいと指摘されると「見下すな」と主張する権利があるということになるらしい。世界の若者が人類にとって、地球の生物にとって悪影響を及ぼしていることの原因が人間にあるのに大人は対策をとろうとしないことに立ち上がったという、若者ならではの純粋さを「何も思わない」としても、いいらしい。

 がんこおやじは、そのような若者を断固として見下す。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイラグ 3 飲む

2019年09月21日 | モンゴル
乳搾りの作業を見ていてあれこれ考えましたが、ここにきた目的は牧民がアイラグを飲むところを撮影することでした。そのリクエストに答えてアマラーさんが美味しそうにアイラグを飲んでくれました。



実はアマラーさんに会うのは3回目で、最初のうどんをいただいた年の次の年に、社会学的な調査をしている先生が結婚式の情報を聞きつけて、そこに行くことがありました。その酒宴にアマラーさんがいて祝いの歌を歌ったのですが、その声の大きさにびっくりしました。そのことを覚えていたので話したら、やおら大きな声で歌い始めました。歌詞の意味はわかりませんが、いい声でしたし、音程の確かさも大したものでした。後で聞くと、それは愛の歌で、私の愛はいつまでも変わることがないというものだったそうです。そのことは作業中の態度からもよくわかりましたし、奥さんのきれいさや優しさはそれを納得させるものでもありました。
 そうこうしていると、おじいさんが入ってきてアマラーさんがアイラグを奨めました。こうして何リットルも飲むのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする