自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

望郷1

2012年06月29日 | うた
きのう、内モンゴル出身の知人のことを書きました。その文末にクルマユリのことで少女時代の記憶が呼び覚まされて、なつかしさのあまり母国のお母様に電話をしたということだったということを書きました。
 子供の頃をなつかしく思い出すというのは「よい気持ち」のことです。多くの人はよい想い出をもっているから、「あの頃に帰りたい」ような気持ちをもつと思います。私自身もそうで、両親とも人一倍子供好きでしたし、昭和20年代の山陰ですから、周囲も仲良く、社会全体が子供を見守るという雰囲気があったので、自分が愛されて育ったと思える雰囲気があったと思います。ただ、父の仕事の関係でひっこしをしたし、父は九州出身の次男で、戦争中は満州にいた、いわゆる「引揚者」ですから、核家族で借家住まいでした。そのため、「埴生の宿」のような家につながる懐かしさはありません。幼時の記憶は時間的には戻せませんが、私の場合は空間的にも再訪不能です。もっとも日本の町はどこでも昭和20年代のようすを保持しているところはありませんが。
 そういうことはありますが、私たちは「この場所で子供時代をすごした」という感覚をもつことはできますし、かりに群馬なり、静岡から東京に来て暮らしていても、つながる土地にいる気持ちがあります。北海道や九州の出身であっても、同じ国土にいるという感覚があります。
 ところが、海外で暮らすようになった人にとっては、自分が遠くは慣れた土地にいる ー それは空間的に離れているだけでなく、気候や地形だけでなく、言葉も習慣も歴史も違う ー という感覚があるはずです。そういう状況にいる人の、故郷を思う気持ちとはいなかるものでしょうか。

 私たちになじみの「庭の千草」という歌があります。日本の秋に、清らかに掃かれた庭に咲く白いキクの花が浮かびます。

あゝ白菊。あゝ白菊。
ひとりおくれて。咲きにけり。


ところが、これはアイルランドの歌で、野バラを歌ったものです。アイルランドの研究者に知人がいますが、非常に愛郷心の強い人で、たまたま私が先輩からもらったネクタイの柄がクローバ模様だったのを見つけて「なんでアイルランドの模様のネクタイをしているんだ」といいました。ナショナルカラーが緑で、植物好きの人が多いです。土地が痩せているために、岩のようなところに家畜の糞をまいてジャガイモを作ったというような話が司馬遼太郎にありました。イングランドの迫害や差別を受けた哀しい歴史があるようです。妖精がいるらしく、大英帝国の中にあっては魑魅魍魎がいそうな、縄文世界に通じるようなものを感じる国のようです。私はこの国のリバーダンスをみると血が騒ぎますが、そこにも抑圧された民族の哀しさを感じます。

(つづく)
コメント
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