こういう花も咲いていた。ナンテンハギというが、ぴったりの名前であろう。葉はナンテンの葉のように菱形をしている。ハギはこのようなマメ科の総称だ。少し赤みを帯びた紫色が強い印象を与える。どことなく洋風な感じがある。
昨日の答です。
はじめのブナの果実ですが、ここはだいたい標高150mのところ、ふつうブナは標高800mくらいから上ですから金華山では異様に低いところにあることになります(これにはちゃんとした理由があります)。そして昨年の秋は豊作だったこともわかります。これはサルやシカの死亡率を下げます。
シカのフンはもちろんすぐわかるし、シカの多い金華山ならではということですが、しかし適当にカメラを向けてもその視野に入るということは、いたるところにフンがあるということです。
ブナの枝というのは、少し説明がいります。ちゃんと調べたわけではないですが、ふつうのブナ林でぱっと下をみても、こういう頻度で枝が落ちていることはありません。これは金華山のブナが高齢化していること、林に若木や低木がなくて、大きな木にとって直接風があたったりして枝が折れやすいことを示しています。つまり、林は森林構造が変形されるまでシカの影響を受けると、文字通りボロボロになるということです。
はじめのブナの果実ですが、ここはだいたい標高150mのところ、ふつうブナは標高800mくらいから上ですから金華山では異様に低いところにあることになります(これにはちゃんとした理由があります)。そして昨年の秋は豊作だったこともわかります。これはサルやシカの死亡率を下げます。
シカのフンはもちろんすぐわかるし、シカの多い金華山ならではということですが、しかし適当にカメラを向けてもその視野に入るということは、いたるところにフンがあるということです。
ブナの枝というのは、少し説明がいります。ちゃんと調べたわけではないですが、ふつうのブナ林でぱっと下をみても、こういう頻度で枝が落ちていることはありません。これは金華山のブナが高齢化していること、林に若木や低木がなくて、大きな木にとって直接風があたったりして枝が折れやすいことを示しています。つまり、林は森林構造が変形されるまでシカの影響を受けると、文字通りボロボロになるということです。
金華山である日、調査を終えました。島の一番北に行ったので、泊まっている神社に戻るのにちょっと距離がありました。戻るまでに登りがあり、採集品が重くて大変でした。若い頃は脚力があったのでばんばん登ったものですが、さすがによる齢には勝てません。上や前を見ては登れず、足下ばかりながめながらの登りになりました。何も考えずに歩いているつもりでも、「習い性になる」で、自然観察はくせになっているようです。足下の視野を見て読み取ることがありました。ヒントとして丸をつけておきましたので、私が何を読み取ったかを考えてみてください。答は明日。
先日テレビをみていたら、エゾシカが線路を走っている動画でした。解説では関西の人が北海道に来てシカをみつけ、多くのシカが線路の脇に逃げたが、一頭だけ「のんびりと」先に進んだ、さすがに北海道は人と野生動物が身近にくらしているというものでした。でもそのシカは明らかに緊張し、こわいけど左右には逃げられなくてしかたなくまっすぐ走っていたのです。なぜ緊張していたといえるかというと、お尻の毛が開いていたからです。シカは緊張したり、恐怖を感じると普段は下向きの毛の束がパッと開くのです。コメントした人に悪気はないのは確かですが、動物の行動を知らないなと思いました。
この子鹿もお母さんから離れて緊張したところです。
この子鹿もお母さんから離れて緊張したところです。
このシカは2歳と思われます。シカは毎年角を落とします。1歳の夏から1本の角が伸びて来ます。本土のものは長さが20cmから30cmもありますが、金華山では5mくらいのものや、もっと短くて少しコブのようにふくらんだだけものももいます。それだけ栄養状態が悪いということです。このシカも体は小さいですが、でも首の当たりにたてがみが伸びてきているし、おでこが赤褐色になっていて「男らしさ」がでてきています。
この林を見てなんか変だと思うはずです。金華山にはよくある景色ですが、巨木があって、若い木がありません。シカが食べてしまうからです。写真ではわかりにくいですが、この2本のケヤキはいずれも直径が1mを越えています。
金華山にもどります。
コケは見ようと思えば林のように見えます。林をコケサイズに縮小するとすれば、自分は1cmもない昆虫くらいになるでしょう。盆栽とか箱庭をチマチマした自然観だとか、植物を虐待している悪趣味だなどという人は何もわかっていません。自分をミニにする空想力をもてない不幸な人です。
コケは見ようと思えば林のように見えます。林をコケサイズに縮小するとすれば、自分は1cmもない昆虫くらいになるでしょう。盆栽とか箱庭をチマチマした自然観だとか、植物を虐待している悪趣味だなどという人は何もわかっていません。自分をミニにする空想力をもてない不幸な人です。
枯れススキに雪がつもっていました。これをみて手塚治虫を連想した人はいたでしょうか。手塚の表現力には驚くべきものがあり、また線のシャープさも水際だっています。イネ科の植物は細長くて1本ずつ描くのは面倒くさいことです。それでも丁寧に描けば描けるはずです。そのイネ科の葉が2本重なっていればxのようになり、それが8本くらいあればxが複雑に交錯します。その交錯したものを手塚は葉のある部分とない部分にわけて表現することをします。そのようすと雪がのって1本1本のススキの葉が区別がつかなくなっているのが手塚の描法を思い出させました。ほとんどの人には「そうなの?」な話題でした。
雪はすべてのものに平等に降り積もりますから、上から見れば真っ白なはずですが、雪を受ける側が一様ではないので変化が生じます。シバに降り積もったものは、モザイク状になっていて、松島の島のようにもみえます。
本数は多くありませんが、ときどきえらく太いクリの木があります。写真ではわかりにくいですが、直径が1m近くあります。このくらい太いクリの木なら、すばらしい家具ができそうです。たしか昔の鉄道の枕木はクリの木だったはずです。クリといえば食べる実のほうを考えてしまいますが、材もなかなかです。