「がんこおやじ」について書きたいことがいろいろありそうなので、「カテゴリー」に「がんこおやじ」というのを作りました。このシリーズのことを読みたい人(あまりいないと思うけど)はブログの右側にある欄の「カテゴリー」をクリックすると読めます。
さて、頑固に自分の考えを貫くという意味での頑固親父は嫌われてもかっこよいものだと思いますが、そういうことばかりではなく、ただ歳をとって、ものごとがすんなりいかないで苦々しい顔をしているというのも頑固親父の一面です。
「ビニール袋」と一口でいいますが、ビニールというのは、たぶんちゃんと化学組成が決まったもので、それを薄く加工したもののはずですが、日常生活では薄くて透明な紙みたいなものを「ビニール」といいます。いや、これ自体がもう古くて、今はポリ袋というのかもしれませんが、ここは「ビニール」でいきます。これが世の中に出て来たとき大衆は歓迎したに違いありません。それまでは不透明な紙袋しかなかったのだから、中が見えてしかも水が漏らないのだから、こんなありがたいものはないという感じだったはずです。とくに食べ物関係には理想的な素材です。
ところが、素材研究が進んで「ビニール」にもいろいろなものが出て来たみたいで、薄いのに妙に丈夫なやつがある。おいしそうなお菓子が入っているからあけようとするのに、全然切れない。切れる方向があってたてにはだめだけど、横だと切れるといったものがある。「あれ?」と思いながらあれこれやって「ああ、こうするのか」とほっとしたような気分になる。でもなんだかそれでもうまくいかないことがあったりする。こういうとき、けっこうイライラしたりする。昔はそういう丈夫なものはなく、ビニールはビニール、紙とは違うが同じようにひっぱれば裂けるものだった。だから「自分の力で切れないということはない」と思いこんでいるから、切れないと「そんなはずはない」と思い、もっと力を入れるが、びくともしなかったりすると「なんだこのやろう!」みたいな気分になる。
ちょっと違うことだが、コンビニのおむすびがややこしい。あれには「作法」があって番号順に開いていかないとうまくゆかない。のりがパリッとした状態で食べられるための工夫らしい。私はどうもあれが苦手である。たいていうまくいかなくてのりが破れたり、ときにはおむすびが割れてしまいそうになったりする。「作法」にもいろいろ流儀があるようで、しかもそれがまた変化してゆく。「いいかげんにしろ」といいたくなる。竹の皮にとはいわないが、ただふつうにラップにつつんであって、のりはほしい人がもっていきなさいくらいでいいんでないの?