自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

うらやましい

2013年08月31日 | その他 others
心からうらやましいと思った。ふたつのことである。
 ドイツ政府がごくあたりまえの決定をした。フクシマの事故を教訓に原発依存をやめて脱原発にし、与野党ともそれを確認したという。その、当たり前のことが通る国がうらやましい。そして、日本があれだけの悲惨な経験をしながら、なお再稼働しようとすることは理解できないと言ったという。まことに正論であり、自分がその国の国民であることが恥ずかしく、悲しい。
 イギリスがシリア攻撃をやめたと報じられた。その決定自体もうらやましいが、会議のようすをみてうらやましいと思った。キャメロン首相は参戦の必要性を説いていたが、その説得のしかたも論理的に情熱的であった。しかし、それに反論するたぶん40歳前後の議員が異議を唱えると、「フーン」といった賛意が漏れる。それは汚いヤジではなく、論理的に正しいことにうなずくという感じだ。イラク攻撃のとき、情報が不十分で、誤ってさえいた、あれと同じ失敗をしてはいけないという意見が推進派を抑えたという。判断ミスはあるが、失敗を教訓に改めるということである。そして僅差で攻撃をしないことに決まった。キャメロン首相は自分の考えとは違う決定になったが、民主的な手続きによって決まったことだから、それはそれで受け入れ、国として自分たちの意志を発信した。これが伝統ある英国議会のすばらしさというものだろう。
 ひるがえって我が国は、東日本大震災によって原発が危険なものであることと、あれほど高くつくエネルギー源はないことを体験しながら、教訓を活かすことなく、あろうことか再稼働をするばかりでなく、原発技術を海外に売り込むという。
 シリア攻撃についても「状況を慎重にみきわめる」という無意味なセリフしかいわない―それは要するに何も考えがなく、周囲の顔色を眺めて無難な大勢につくということでいかない―日本のスポークスマンが恥ずかしく、こういう政治家しないないことが悲しい。
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7月の金華山7 昆虫

2013年08月31日 | 金華山
シカの糞にオオセンチコガネが来ていました。



死体にはヒラタシデムシが来ていました。ヨツボシヒラタシデムシもいたのですが、写真がうまくとれませんでした。


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7月の金華山6 キノコ

2013年08月30日 | 自然 nature
モミ林を歩いていたら、かわいらしい赤いキノコがありました。タマゴダケというようです。



大きくなるとこうなって、このキノコにはダンゴムシがつていました。


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がんこおやじ5 スマイル

2013年08月29日 | がんこおやじ
私は昭和24年に生まれた。西暦でいえば1949年であるから20世紀も「前半」ということになる。それは戦争が終わってすぐであり、たしかに自分の幼年時代には戦争の香りが残っていた記憶がある。進駐軍がいたというようなこともあるが、大人は明治、大正の人であり、要するに古い日本が残っていた。そのことは私の育った土地が山陰であったことにも関係してそうである。西日本は全体に「男は男らしく」という空気があった。私の父は九州出身であったから、「九州男児」であれねばならないと思っているようであった。当時はおじさんやおじいさんはだいたい頑固だった。子供にとっては基本的に大人の男というのは怖い存在であった。そのことのよい面はたくさんあって、たとえば弱い者いじめをするなとか、食べ物にうまいまずいはいうなとかよく言われたものだ。孝の考えも強かった。子供がけがをするのは、その子にとって痛いからよくないのではなく、親からもらった大事な体を傷つけることは親不孝だからよくないのだという説明をしていた。
 ただ、困ることもあった。たとえば、よそにいってお菓子を出されて「どっちがいい?」と聞かれると、私はたいてい「どっちでもいい」と答えるのだったが、それは本当にそれぞれによさがあり、こちらはだめということではなかったから「どちらでもいい」のであったが、父はその場で「どっちがいいか考えをはっきり言え」とたしなめるのであった。私は前にも言われたこともあって悲しくなって涙ぐむことがあった。そうすると父は「そんなことで泣くな」と言うのでよけいに悲しくなった。
 「男はわけもなく笑うな」ということもあった。わけもなく笑うわけではなく、なんらかのおかしいことがあって笑うのだが、父にとってはわけもないことだったらしい。ラジオで関西弁のふざけた番組があると「くだらん」といって切るのだった。そういうことが繰り返されたので、私はおかしくてもあまり笑わないほうがよいのだと思い、そうつとめているうちに、習い性となったように思う。男は細かなことは気にするな、大事なことだけを考えて、無骨なくらいでいろという空気である。

 大学の若い事務の人で笑顔のよい人がいる。今の若者風で、髪を染め、なんだか固めて盛り上がったような頭をして。細めのズボンに先の尖った革靴を履いているが、すれ違うときなどに、ニコッと白い歯を見せて笑顔をみせる。私は会釈を返すが、きっとニコリともしないと思う。ほとんど意識にはないが、腹の底のほうで「俺にあんなことができるか」という思いがある。それで損をしていることもずいぶんあるように思う。
 この年になって今更ニコニコなどできないが、苦虫をつぶしたような老人はやはり感じがよくないというのはわかる。幼児体験とはおそろしいものだ。
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7月の金華山5 低木

2013年08月29日 | 金華山
キイチゴの黄色い果実とニガイチゴの赤い果実がなっていました。


キイチゴ


ニガイチゴ

金華山にはサンショウ、メギ、ノイバラなど鋭いトゲの低木が多く、歩いていてもトゲが刺さって痛いです。とくにサンショウはほかの場所にものに比べてトゲが長く、鋭いのが目立ちます。


サンショウ


ノイバラ
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7月の金華山4 ブナ

2013年08月27日 | 金華山
金華山ではシカがいるために、高木の若木が食べられてしまいます。ブナも例外でなく、若木はけっこうあるのですが、ことごとくシカに食べられて盆栽状になっています。

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7月の金華山3 木

2013年08月27日 | 金華山
木の花が咲き、実もなっていました。


クマノミズキの花 ヒョウモンチョウが来ていました。


イヌシデの果実


カヤの果実


ブナの果実


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7月の金華山2 草本

2013年08月26日 | 金華山
アズマネザサの花が咲いていました。あまり見かけないものです。



シバ群落を注意してみると、ヒメヤブランの花が咲いています。小さいので気づきにくいものです。配色の好みがいいものです。



これはキンカアザミといって金華山にちなんだものです。私はこれはシカ対策としてトゲを鋭くしたものだと思っています。

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7月の金華山1 シカの影響

2013年08月25日 | 金華山
モンゴルでの話はまたそのうちとして、またいつものブログに戻ります。7月には金華山に行きました。目的は20年ほど前に作った柵の内外を比較することで、植物の違いはこれまでにも調べていたのですが、それをやり直すこと、それから、植物が変化すればそこを生活の場とする昆虫類も変化するだろうということで、これを確認する調査を計画しました。
 その柵はシバとススキ、低木類がある場所に1990年に作られたのですが、今や柵の外は芝生に、中はちょっとした森林に変化しました。



柵の外は文字通り芝生になり、ゴルフコースのようです。



柵の中に入るとシバはまったくなくなり、目立つのはアズマネザサです。また若木が育ってうっそうというところまでは行かないまでも、かなり暗くなって、いろいろな木が入り込んでいます。



これだけ違えば昆虫も違うだろうというわけです。そのためにいくつか「しかけ」をしました。ひとつは地面を歩き回る昆虫をつかまえるもので、もうひとつは糞虫を集めるために小さなバケツをおき、上に糞を入れた袋をぶらさげました。






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イノシシ

2013年08月25日 | 研究など research
8月24日の朝日新聞朝刊の「プロメテウスの罠』シリーズに私の取材記事が載りました。東日本の方は読まれたかもしれません。私のいいたいことは次のようなことでした。
 東日本大震災以来、福島の農産品は放射能汚染されているから危険だということになりました。これは悲しい事実です。そのことがおもに関東圏の消費者にとって「被害」であるというトーンで報じられて来ました。そうかもしれません。
 しかしイノシシやクマなどの外部被曝についても同列に論じられ、福島の野生動物の肉は危険だと、同じ調子でした。私はこれに強い違和感をもっていました。
 考えてみましょう。確かに東北地方は関東地方に物資、とくに食物を供給する地方であり続けました。労働力もそうだったでしょう。そうであるから、社会全体がそういう体質を当たり前のことのように感じるようになっていて、放射能汚染の問題も「関東の消費者にとって」マイナスだから「被害」だということになってしまっています。たしかにハンターも獲物を商品として売るために狩猟をし、それが売れなくなるというマイナスを被害のひとつと感じるかもしれない。しかし、この問題は、そういう個人的なプラス、マイナスだけで考えてはいけないと思います。私はこのことは、日本社会が経済発展を至上命題のように思い込んで、そのためにエネルギーを産み出さなければいけなくなり、最初のころはためらっていた原発をたくさん作ってしまったこと、その結果、私たちが事故を起こし、福島の自然を汚染してしまったと捉えなければならないと思うのです。その意味ではイノシシやクマは被害者であり、私たちが加害者であるはずです。しかるに、関東の消費者が被害者というのはあまりに身勝手な解釈です。少し過激かもしれないけど、関東の消費者こそが加害者であるのに、それを被害者とし、そのことに何の疑問を感じないほど発想がおかしくなっていると思うのです。
 そういうことが言いたかったのですが、やや伝わりにくくなっているように感じました。
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