モンゴルから帰ってきたばかりだったので、当然のようにモンゴルの話題に集中しました。実は16日からまたモンゴルに行きます。なんだか「一時日本にもいた」ような具合です。片付けと次の調査の準備に忙殺されましたが、12,13日はお盆休みで奥多摩にある御嶽山(みたけさん)に行ってきました。ここはレンゲショウマの群落があるというので知られています。実際なかなかの名花だと思いました。ここ以外ではみたことがありません。つぼみがまんまるでかわいかったです。白と紫のコンビネーションが大胆で、上品です。
レンゲショウマ 2008.8.12 東京御嶽山(みたけさん)
16日から30日までモンゴルに行くので、ブログはその間お休みします。
レンゲショウマ 2008.8.12 東京御嶽山(みたけさん)
16日から30日までモンゴルに行くので、ブログはその間お休みします。
モンゴルで撮影した写真の「きれいどころ」を紹介する傾向がありますが、実際に私が毎日していることといえば、地面にしゃがみこんで、ときにはいつくばって、植物の名前を確認して、その量を記録することです。なかなかの集中力を擁する作業なので、しばらく続けていると疲労感があります。
そうした作業をひとりで黙々と続けます。あたりは静寂そのもので、ときどき風がとおりすぎてゆきます。花のあるところではハチの羽音が聞こえたり、鳥のさえずりが聞こえたりしますが、静謐な時間が流れます。
日本では聞くことのない音に、馬の蹄の音があります。植物の記録をとっているときに、遠くから馬蹄の音が聞こえ、それが近づいてきました。たいていは大人の男性ですが、このとき馬上にあったのは7,8歳と思われる少女でした。私が作業を止めて見上げると、どんどん近づいてきました。でも50mほど離れたところを通り過ぎていきました。私に近づいたとき、ギャロップに近い走りに加速しました。見事な馬のさばきです。
少女は伝統的な緑色のモンゴル服にオレンジ色の帯をし、お下げを結っていました。それが風にゆれていました。健康そうな、しっかりした表情で、笑みはありません。モンゴル人であることが誇らしげでした。私のほうを見ないようにして直進していましたが、私が視界から消えそうになる瞬間に、チラリとこちらを見て、そのまま走り去りました。
西のほうに向かって走って行きましたから、その先にある小山は陰になり、その陰の中に入りましたが、馬上の少女には夕日があたっていました。
必要ないことですが、私のなかに妙な心理が去来しました。ほんの少し前まで、日本人には日本人に似合う着物があり、ふさわしい髪を結い、下駄を履いていました。それを古いしきたりはよくないとして、洋服に替え、髪を切り、靴に履き替えました。そうすることが「近代的」であるという理由にならない理由で。この少女のなんと違うことか、と。
一人の少女が馬で走り去ったことに、現代日本を投影する必要などまるでないことですが、でも私の心にまちがいなく、うらやましさと恥ずかしさがあったことを、憶えておこうと思いました。
そうした作業をひとりで黙々と続けます。あたりは静寂そのもので、ときどき風がとおりすぎてゆきます。花のあるところではハチの羽音が聞こえたり、鳥のさえずりが聞こえたりしますが、静謐な時間が流れます。
日本では聞くことのない音に、馬の蹄の音があります。植物の記録をとっているときに、遠くから馬蹄の音が聞こえ、それが近づいてきました。たいていは大人の男性ですが、このとき馬上にあったのは7,8歳と思われる少女でした。私が作業を止めて見上げると、どんどん近づいてきました。でも50mほど離れたところを通り過ぎていきました。私に近づいたとき、ギャロップに近い走りに加速しました。見事な馬のさばきです。
少女は伝統的な緑色のモンゴル服にオレンジ色の帯をし、お下げを結っていました。それが風にゆれていました。健康そうな、しっかりした表情で、笑みはありません。モンゴル人であることが誇らしげでした。私のほうを見ないようにして直進していましたが、私が視界から消えそうになる瞬間に、チラリとこちらを見て、そのまま走り去りました。
西のほうに向かって走って行きましたから、その先にある小山は陰になり、その陰の中に入りましたが、馬上の少女には夕日があたっていました。
必要ないことですが、私のなかに妙な心理が去来しました。ほんの少し前まで、日本人には日本人に似合う着物があり、ふさわしい髪を結い、下駄を履いていました。それを古いしきたりはよくないとして、洋服に替え、髪を切り、靴に履き替えました。そうすることが「近代的」であるという理由にならない理由で。この少女のなんと違うことか、と。
一人の少女が馬で走り去ったことに、現代日本を投影する必要などまるでないことですが、でも私の心にまちがいなく、うらやましさと恥ずかしさがあったことを、憶えておこうと思いました。
私はモンゴルの自然のなかで植物の調査をします。精神を集中して、植物の名前を確認し、わからないものがあれば採集し、あとで調べます。作業を続けていると、いろいろな思いが湧いては消え、また別の思いが湧いてきます。日本によく似た植物があると、長い時間にそれぞれの環境で種が形成されたのだということを実感し、不思議な感動にとらわれます。近縁な植物がモンゴルの乾燥環境で大きく形を変えているのも生物の不思議さを感じさせます。自分の周りにある植物が深い知的刺激を与えてくれることを感じます。
そんな作業をしているときに、ふとみあげるとウシの子が、同じ植物の中で口をムシャムシャと動かしてよだれを垂らしていました。
「そうか、君はこの植物を食べ物として見ているんだ」
なんだか自分で勝手に感動していたことがおかしく思えました。私は生業としては動植物で「食って」いますが、ウシ君は文字通り日夜そのことを実行しているわけです。
そんな作業をしているときに、ふとみあげるとウシの子が、同じ植物の中で口をムシャムシャと動かしてよだれを垂らしていました。
「そうか、君はこの植物を食べ物として見ているんだ」
なんだか自分で勝手に感動していたことがおかしく思えました。私は生業としては動植物で「食って」いますが、ウシ君は文字通り日夜そのことを実行しているわけです。
モンゴルの広さ、大群落の印象が強かったので、そういう写真が多くなりましたが、その大スケールな自然の下にはもちろんミクロな世界が展開されています。生態学にはどちらの視点も大切です。今年のテーマは放牧によって生物多様性がどういう影響を受けるかというもので、具体的には植物群落の変化とそれにともなう動物の変化を調べることにしました。そのひとつが訪花昆虫です。花を訪れて受粉を手伝う昆虫です。ハチがその代表ですが、写真に示すようなハナアブやハナムグリという甲虫もいます。「昆虫少年」だった私は、花に囲まれて、そこに来る昆虫を眺め、じつに至福の時間をすごしました。
■クガイソウとマルハナバチ、セリの1種とハナムグリ、キンロバイとヒメハナアブ
■クガイソウとマルハナバチ、セリの1種とハナムグリ、キンロバイとヒメハナアブ