自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

学生

2009年08月31日 | 研究など research
調査は東北大時代の後輩である帯広畜産大学の佐藤さんと麻布大学の3年生4人をつれていっておこないました。学生諸君ははじめての海外での調査に緊張しながらも、楽しんでいました。植物や昆虫の名前もいっしょうけんめい覚えて、ある学生は「日本の植物よりたくさん名前を覚えた」と自慢だかなんだかわからないようなことを言っていました。


ブルガンでの調査
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調査

2009年08月30日 | 研究など research
雲をテーマにモンゴルから八ヶ岳に寄り道しましたが、またモンゴルにもどります。
 モンゴルの光景はほんとうにすばらしく、私はそれを楽しみますが、私たちはそのためにモンゴルに行っているのではなく、調査に行っています。ひとつのテーマは放牧がモンゴル草原の生物多様性におよぼす影響で、その例として植物と花を訪れる昆虫を調べました。その調査地のひとつはフウロソウなどの花が咲き乱れていました。


2009.8.5 モンゴル、ブルガン
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牧場の雲

2009年08月29日 | その他の調査地
八ヶ岳での翌日は曇りで、雲のほうが優勢でした。その一部に割れ目のようにすきまができて、青空がかすかに見えました。


2009.8.25 八ヶ岳
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夏の雲2

2009年08月28日 | その他の調査地
その日の夕方、太陽が少し傾きました。山にかかった雲に少し赤みがかった光があたり、一部は陰になりました。思わず比較してしまいますが、やはり雨の多い日本の空は雲が多く、そらにぽっかり浮かぶという感じではなく、雲のあいだに空が覗くという具合です。日本らしい空といえると思います。



2009.8.24 八ヶ岳にかかる雲
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夏の雲

2009年08月27日 | その他の調査地
少しお休みをいただきましたが、八ヶ岳に行っていました。モンゴルの報告が空にかたよっていましたが、それはなんといってもモンゴルの空が広いからです。その意味では八ヶ岳も負けてはいません。なかなか広い空があります。同じカメラで同じような気持ちで撮影してみてわかるのですが、やはり日本は鮮やかさに欠ける。この写真の雲など、日本ではとても鮮やかなものに属するように思いますが、空気の湿りけのために、マイルドになります。山並みの上の雲の群れはなかなか見応えがありました。


2009.8.24 八ヶ岳から東を臨む
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斜光

2009年08月23日 | モンゴル自然
思えば太陽はひとつしかなく、そこから発せられた光は地球に偏りなく注がれているのですが、光を受ける側の事情はさまざまです。モンゴルで感じるのはその光をさえぎるものがないということです。この写真では西に傾いた陽光が斜面になめらかな陰影を与え、ウシの陰が長く伸びています。太陽の光が直接あたり、その陰も中断されることなく地面に投影されています。そうした光景を私は美しいと感じますが、そこには「普段は見られない」という価値観が働いています。でも、地球レベルでいえば、そうでないほうが特殊で、日本の都市生活というのは光も陰も中断につぐ中断をする異様な環境なのだということを知らされます。

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光と影

2009年08月22日 | モンゴル自然
モンゴルの昼間は「隠れるところがない」に尽きます。空に太陽があり、平原の中には木の一本もなし。写真撮影という意味では平板でおもしろくないのです。でもあるとき、少し太陽が傾き、ちょうど山の角度でそこが影になり、背後の雲には日が当たっていたので、立体感のある景色になりました。

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夕方の景色

2009年08月21日 | モンゴル自然
私たちが訪問したのはモンゴルの北のほうで、地形に比較的起伏があります。その意味では「モンゴル的」ではないといえるかもしれません。なにせこの国には360°地平線というところもありますから。山といっても日本の山のようにそそり立つのではなく、なだらかな丘のような地形ですが、それが連なって幾重にも見えます。そこに夕日があたると長い影が伸びます。私はどうもこういう景色に弱くて、うまくことばにできないのですが、山並みの重なりにどういうわけか時間が加わります。中世くらいのモンゴルの生活が連想され、こうした空間の中に人々の営みがあり、そうした時間の流れの延長にいま、この時間があるのだといえばいいか。そうした歴史が眼前の景色の中に見えるような気がするのです。
 また、別の思いもあります。今は東京を出れば翌日には来ることができますが、わずか50年前であれば、ここまで来るのにどれだけたいへんであったか。私の中には若い頃に繰り返し読んだヘディンの探検記や今西錦司の記録などがあって、そういう時代の探検に対するあこがれが強くあります。モンゴルのこうした景色を見ると、そうしたたいへんな時代の、しかしそうでなければ体験しえない異国情緒への憧憬が胸中に湧き上がります。
 こういう景色を眺めているとき、私のなかには確かに音楽が響いています。夕焼け雲をみているときもそうです。それは楽譜に表現できないものですが、音楽家はそれができるのだな、などと想像します。そのことがうらやましいとは思いませんが。

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陰陽

2009年08月20日 | モンゴル自然
17日に雲のことを書きました。全体として見ていた雲ですが、ズームのレンズで覗いているとアップにもなります。そうすると自分がその雲の近くにいるようで、不思議な気持ちになります。そこは白い空間でまぶしいほどに明るい。なにかゴーッというような音がしていそうです。同じ日に写した別の写真は白いはずの雲がむしろ暗くて、雲のないところ(といっても別の雲があるのですが)は明るく、暗い雲に微妙な陰影がついています。こちらはドーッという音がしそうです。何を根拠にですって?直感です、直感。雲が白であればこそ、どんな色もすなおに映すことができる。光のあたり具体でたちどころに攻守を、つまり陰陽を変化させるダイナミズム。

 
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夕焼け2

2009年08月19日 | モンゴル自然
昨日の写真の2,3分あとに写した写真ですが、こうしてみると微妙に赤の色が違います。とろっとしたような紅色、黄味が弱くなっています。それにしても空の広いこと。山も結構高いのですが、この景色の中では添え物のようです。


2009.8.2 ブルガン
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