自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

バッコヤナギ

2009年03月31日 | 植物 plants
牡鹿半島でバッコヤナギを見た。ふだんとくに注意もしない植物だが、時間があったので冬芽をたぐり寄せて見てみた。そうしたらそのビロード状の毛並みの美しいことに驚いた。白く輝くところと、そのすぐ脇で受ける光の角度が違うところは黒く見え、金属的な光沢感があり、「豪勢な」といっていい印象がある。ネコヤナギもこの類で、動物の毛を連想するのはよくわかる。ただ「バッコ」というのは東北弁でウンコのことだと聞いた。「ウンコヤナギ」、さてこのきれいなヤナギがなんでこう呼ばれるのか、見当もつかない。葉の幅がヤナギとしては広いが、もしかしてこれで「拭いた」のかもしれない。今回は話題がシモががった。



2009.3.20 バッコヤナギ 牡鹿半島
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梅林

2009年03月30日 | 自然 nature
3月の5日でしたが、ウメが咲いていました。このあたりは青梅とつながる場所で、ウメの木がよくあります。青梅はきっとそのことからついた名前だと思います。


2009.3.5 ウメ 八王子市恩方
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東京の里山

2009年03月27日 | 自然 nature
東京の西に八王子という市があります。山梨に続く山地はなかなか険しいのですが、そこから伸びてくる山が丘陵につながり、その丘と谷がくりかえす部分に里山があります。都心からもすぐに行けますが、このあたりになると景色が「昭和」になります。その意味では東京は狭いながら短距離のなかにタイムスリップのできる多様性がある土地ともいえます。これは八王子市の恩方(おんがた)というところです。

2009.3.5 八王子市恩方
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新芽

2009年03月26日 | 植物 plants
調査でしばらくお休みをしていました。

 気温や日照時間の変化はグラフに描くとサインカーブを描くように変化する。カーブのピークや底に近いところでは変化の度合いが小さいかもしれないが、基本的になめらかな変化をする。しかし3月、4月のころは文字通り「一気に」春が来ると感じられる。そこには多分に心理的なものもあるだろうが、それだけではない。植物にとって生長に意味をもつのは摂氏5度という温度であり、それ以上になると生理活動が活発になる。3,4月がその臨界的な温度の季節だから、5度以上の条件が急に満たされるようになり「セイの!」で植物が芽を開き、伸び始めるのだ。
 花の季節は認識するが、芽や葉のときは知らない植物がある。これはノカンゾウで8月頃に印象的な花を咲かせるが、新芽のときは振り返る人も少ない。だがそのみずみずしさは格別だ。食べてもおいしいらしい。


2009.3.15 ノカンゾウ 小平市
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樹皮

2009年03月19日 | 植物 plants
風についてあれこれ書きました。ずいぶん「ひっぱり」ましたが、だいたい書きたいことを書いたような気がします。思えば風の写真というのはなかなかむずかしく、いきおいモンゴルの景色を使うことになりました。どうも私の「自然」は「虫の目」でみたものが多く、その意味では大きな目でみた自然の写真を紹介できてよかったという気もします。
 さて、そんなことをしているあいだに忙しい年度末の毎日が続いています。どんどん暖かくなり、春の花が気になりながらもなかなか自然に親しむ余裕がとれません。先日、少し早めに出てケヤキ並木を歩いていたら、樹皮の模様がおもしろいデザインをみせていました。ケヤキは若いうちはなめらかな幹をもっていますが、大樹になると鱗のように樹皮がはげ落ちます。その形がいかにも自由でおもしろい形をしています。そしてはげ落ちたあとは新鮮な木の色をしています。少し前にはげた痕、ずっと前にはげた痕があり、それに加えて地衣(?)が生えていたりで、パッチワークのようにみえます。横から射す日差しも鱗痕に陰影を与えていました。
 また「虫の目」にもどりました。
 明日から数日調査にでかけるので、一休みすることになります。

  小平市
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なんとけなげな

2009年03月18日 | 動物 animals
年度末は会議が多くなります。今日は東京都の、昨日は環境省の会議で都心に行きました。都会嫌いの私にとって都心にいくのは憂鬱です。霞ヶ関のビルに入ろうとしていたところに、刈り込んだツツジの植え込みに小さなショカツサイが咲いていました。「もう咲いているんだ」と思ってなにげなく見ると、なんとヒラタアブがとまっていました。いったいどこで発生し、この花に来るまでどこを飛んでいたのか。周りをみてもビルとアスファルトと人と車ばかりです。「どこから来たの?」と、そのけなげさに感心しました。(こんなときカードサイズのデジカメは便利です。ちょっとアトピンになってしまいましたが)


2009.3.16 霞ヶ関
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庭の千草2

2009年03月16日 | その他 others
「庭の千草」をアイルランドのグループの歌で聞いた。前奏の縦笛が尺八のようだった。かすれたような音もそうだが、「こぶし」がアジア的だった。
 アイルランドのグループなのだから「正調」なのだろうが、メロディーがちょっと違っていた。日本の文部省唱歌では、ハ長調でいうと「庭の千草も、虫の音も」の「の音も」は「ソミレドド」なのだが、正調では「ファミレドド」である。ソがファになっただけなのだが、ずいぶん印象が違う。はじめて聞いたときは「おや?」と思った。要するに盛り上がりに欠けるのである。しかし、そこは正調のよさか、聞くたびにこっちのほうがよいと感じてきた。盛り上がらないほうが音の動きが少なく、水が低いほうに流れるように自然なのである。そうであればこそ、「ああ白菊よ」の部分での高揚感が高まる。
 もうひとつ「違うな」と思ったのは、盛り上がりの最後のところが、日本でうたうほど伸ばさないことだ。日本では最後のAにもどって「ひとりさみしく、咲きにけり」という直前で「しらぎーくーーー」とかなり伸ばすが、正調ではわりとあっさりしている。このテヌート感もアジア的湿り気なのだと思う(私の勝手な持論)。
 この歌が人気があるのは、もともとアジア人に受け入れやすいメロディーだったことが大きいのではないか。そしてうっとりしながら「しらぎーくーーー」と伸ばすあたり、やはり「庭の千草」は日本の歌といってよいほど日本的になり、なじんでいるようだ。


2006.11.11 モンゴル、フスタイ

追伸 このところ余談ばかりしているせいか、読んでくれる人の数がどんどん減っていて、反省しています。
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庭の千草1

2009年03月15日 | その他 others
風にまつわる話題を書きつづるうちに、どんどん脇にそれて忘年会の話までしてしまいました。自然をどこかに置き忘れてしまい恐縮です。ま、ブログとはもともと私的なもの、ご容赦ください。で、また歌が続きますが、これは自然がらみです。

 「庭の千草」という歌はどうかすると日本の歌ではないかと思うほど我々になじんでいる。いわゆる文部省唱歌はほかのすべての勉強とともに、「近代日本」の子供たちに教えられた。それまで都々逸や民謡やわらべ歌しか知らなかった、江戸の匂いの残っていた日本で、これらの歌がどう受け止められたのか、ちょっと想像もつかない。「庭の千草」は、音の動きはすなおだし、構造も起承転結、A A’ B A’で、短く、憶えやすい。こういう歌こそエバーグリーンである。
 あるきっかけで最近この歌を聴いた。アイルランド民謡だというのは知っていたが、そこに歌われている「千草」がバラだとはそれまで知らなかった。邦訳では「ああ、白菊よ」である。民家の庭先に白い菊が咲いていれば日本の情景だ。それに続けて「虫の音よ」とくる。これはどう考えても日本の秋だ。同じアイルランド民謡で人気もあるダニーボーイなら、日本の歌でないことはわかるから、歌における歌詞の影響は大きい。
 アイルランドの歌は春の喜びよりも、夏の終わりの哀しみを歌うものが多い。抑圧された民族の哀しみがそうさせたのではないかと思う。菊とバラはさまざまに対比的だが、花びらがパラリと散るという点ではバラにその印象が強い。それだけに北国の短い夏が去ったときに、バラの落花に心を動かされるのだと思う。それは大輪の深紅のバラではなく、野生種に違い小振りの白か薄紅のバラであろう。私がモンゴルでみたバラRosa acicularisはこのバラに近いように想う。デコレーションのない野バラは素朴で、たくましささえ感じさせる。太陽が低くなり、牧場の草に力を失った初秋の陽光が低く射すといった情景がふさわしいように思う。
 アメリカに渡ったアイルランド人はこの歌を歌い、故郷を想ったであろう。日本に渡り、まるで日本の歌であるかのように日本人に親しまれたことはすばらしいことだが、「千草」はまるで違うものになっていた。

Rosa acicularis 2005.6.16 モンゴル、フスタイ
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8g ある忘年会

2009年03月13日 | その他 others
 余談は余談を呼ぶ。その年の暮れ、学生から連絡があった。「忘年会で歌ってくれ」と、なんとお呼びがかかったのである。下手ながら歌の好きな私はふたつ返事で引き受けることにした。学生の前で昔のフォークなど歌うのも楽しいではないか。
 当日は教員の忘年会もあった。ま、形通りのなごやかな大人の宴会であった。そろそろ時間なのでと、私はそこを抜けて学生の会場へ行くことにしたのだが、まずいことに一部の先生も同じ会場へ向かうではないか。「まずいな」と思いながらも「あそこには行かない方がいいですよ」とも言えず、いっしょに行く。部屋はすでにもりあがっており、学生は私の顔を見ると「イェーイ!」と大歓迎。先生方はなんだかわからないものの、自分が歓迎されたと思って「どうも、どうも」とにこにこしている。
 いっしょに飲んでいたが、私に連絡してくれた津田君がめくばせをして、「皆さーん、いよいよ高槻先生が歌ってくれまーす!」とシャウトして、私が歌うことになった。いっしょに来た先生方は「なに!高槻が歌うって?」とびっくりしている。私は「学生の前ならいいが、先生たちがいるのではうまく盛り上がるかな」と心配だったが、ま、なるようにしかならんという気持ちで始めることにした。
 ノリがいいもので始めようと山下達郎の「クリスマスイブ」から始めた。手拍子のもりあがりになる歌だ。実際そうなった。そのあとクリスマス関連として「Silent Night」を黒板に歌詞を書いていっしょに歌うことにした。最初、私がギターをもって歌うのを目を丸くしていた先生方(その中には日本を代表する学者も何人かいた)が、どういう反応をするかと思ったが、意外にもいっしょに「サイレントナーイト」と歌ってくれたのだ。それは古い建物の一室で、窓をあけると、外には少し雪が降っており、歌声が夜空に吸い込まれるようだった。いい雰囲気になった。
 歌ったのはだいたい70年代の歌だったが、「島唄」などは高校時代に学校で教わったという学生がいたりして大合唱になった。最後は声をかけてくれた津田君といっしょに演ることになる。彼こそが金華山実習にギターをもってきた学生だった。彼はたいへん音楽的才能があって、自作自演のCDも出していて、音楽の道と学問の道のどちらをとるか、そのときでも迷っていたほど、ギターの腕はプロなみだった。トレーニングのためにいつもギターをもっているので、金華山にもそれでもっていたとのことだった。彼と打ち合わせて、チューリップの「サボテンの花」を歌うことにした。12月くらいに歌うのにぴったりの歌詞だ。津田君は間奏のとき、私の伴奏にのせてすばらしいアドリブでギターを演じた。ギターを弾いていて実にきもちがよかった。私が下手ながら人前で歌うのが気持ちのいいものだと初めて感じたときだった。それから毎年、学生の忘年会には声がかかるようになった。


08.7.29 モンゴル、ブルガン
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8f 余談の余談

2009年03月12日 | 自然 nature
 東大時代の歌の思い出はいくつかある。私は喫煙家がたばこをすい、コーヒー党がコーヒーをすするように、一仕事終えたときなどに歌を歌いたくなる習性がある。ギターを取り出して研究室でボロンボロン演っている。金華山で実習があったときに、ある学生がギターをもってきていた。「なんとふとどきな。実習をなんと心得る」と思い、最初のガイダンスのときに「歌うなとはいわない。しかし夜に周りに迷惑がかかるような高歌放吟はしないように」とピシッとけじめをつけたわけだ。実習はなかなか充実していた。かなりハードなこともしたので、最後の日の打ち上げは盛り上がった。その打ち上げでギターを独占していたのはほかならぬ私であった。


07.7.15 モンゴル、ブルガン
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