風にまつわる話題を書きつづるうちに、どんどん脇にそれて忘年会の話までしてしまいました。自然をどこかに置き忘れてしまい恐縮です。ま、ブログとはもともと私的なもの、ご容赦ください。で、また歌が続きますが、これは自然がらみです。
「庭の千草」という歌はどうかすると日本の歌ではないかと思うほど我々になじんでいる。いわゆる文部省唱歌はほかのすべての勉強とともに、「近代日本」の子供たちに教えられた。それまで都々逸や民謡やわらべ歌しか知らなかった、江戸の匂いの残っていた日本で、これらの歌がどう受け止められたのか、ちょっと想像もつかない。「庭の千草」は、音の動きはすなおだし、構造も起承転結、A A’ B A’で、短く、憶えやすい。こういう歌こそエバーグリーンである。
あるきっかけで最近この歌を聴いた。アイルランド民謡だというのは知っていたが、そこに歌われている「千草」がバラだとはそれまで知らなかった。邦訳では「ああ、白菊よ」である。民家の庭先に白い菊が咲いていれば日本の情景だ。それに続けて「虫の音よ」とくる。これはどう考えても日本の秋だ。同じアイルランド民謡で人気もあるダニーボーイなら、日本の歌でないことはわかるから、歌における歌詞の影響は大きい。
アイルランドの歌は春の喜びよりも、夏の終わりの哀しみを歌うものが多い。抑圧された民族の哀しみがそうさせたのではないかと思う。菊とバラはさまざまに対比的だが、花びらがパラリと散るという点ではバラにその印象が強い。それだけに北国の短い夏が去ったときに、バラの落花に心を動かされるのだと思う。それは大輪の深紅のバラではなく、野生種に違い小振りの白か薄紅のバラであろう。私がモンゴルでみたバラRosa acicularisはこのバラに近いように想う。デコレーションのない野バラは素朴で、たくましささえ感じさせる。太陽が低くなり、牧場の草に力を失った初秋の陽光が低く射すといった情景がふさわしいように思う。
アメリカに渡ったアイルランド人はこの歌を歌い、故郷を想ったであろう。日本に渡り、まるで日本の歌であるかのように日本人に親しまれたことはすばらしいことだが、「千草」はまるで違うものになっていた。
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Rosa acicularis 2005.6.16 モンゴル、フスタイ