自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

テントウムシ

2009年04月29日 | 動物 animals
私がもたもたしているあいだにも季節は移ろい、ついこの前木々の芽が出たと思っていたら、すでに濃緑の風情です。今日、ある公園で散歩していたら、枯葉のあいだにテントウムシがいました。赤地に黒いやつと、黒地に赤いやつがいます。まんまるくて、トコトコ歩くようすが魅力的です。私は知らなかったのですが、ナナホシテントウは別の種らしい。それで、ふつうのをナミテントウというようで、ややこしい。私は「テントウ」とはなんとなく点が10あるという意味だと思っていましたが、そうだとナナホシテントウ「七星点十」というのはえらくおかしなことになります。お天道様の「天道」のようです。今日みたテントウムシはトコトコ歩いて、枯葉の先にきたときに、コロリと転んだが、これぞホントの「転倒虫」なんてね。お粗末。


テントウムシ 2009.4.29 東京都東村山市
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浜絣2

2009年04月28日 | その他 others
 弓ヶ浜半島は砂州です。土壌が発達せず、耕作には不適です。できるのはサツマイモやネギ、桑、綿花くらいのものでした。米ができるようになったのは、江戸時代、弓ヶ浜半島に「米川」という運河が開通してからのことです。我が家は父の仕事の関係で、私が中学生のときに境港にひっこしました。その頃はまだ綿花の畑がたくさんのこっていて、意外にきれいな花が咲くのに驚いたのを覚えています。そういうところを散歩すると、米子などのもつ「湿り気」がなく、乾いた感じがしました。
 そういう環境で綿を作り、糸をつむぎ、藍を作って染め、機を織ったわけです。人に見せるものではないのだから、無地でもよいのかもしれないし、複雑なことを考えなくてもいいから幾何学模様でもよかったはずですが、にもかかわらず絵絣を作ったのです。いや、そうではなく自分のものであるからこそ、納得できる絵柄を描いたのかもしれません。それはお金と引き替えに簡単に布を手に入れることができる現代とはまるで違う感覚だったはずです。自分のため、家族のために織る手には力がこもったであろうし、愛情が注がれたと思います。
 そういうふうに考えると、浜絣のすばらしさは結果としての作品にだけ価値があるのではなく、そのような体系を作り上げた社会全体に価値があったと思うのです。
 しかし、その誇るべき文化も過去のものになりつつあることを、今回の工場を訪問したことで実感しました。寂しいことです。無造作に置かれている杼(ひ)のなめらかな紡錘形。機能美の極致だと感じました。せめてもという気持ちで厚かましくもらってきました。大切に保管したいと思います。

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浜絣1

2009年04月27日 | その他 others
 私は鳥取県の米子で育ちました。大山をひかえ、中海に接しています。中海は米子から北に向かって伸びる弓ヶ浜半島と、その北にある島根半島に囲まれた汽水湖です。この地方には浜絣と呼ばれる絣が作られてきました。浜絣の浜は弓ヶ浜の浜です。
 絣は矢絣に代表されるように幾何学模様が基本であるのに、浜絣は自然物を大胆に簡略化し、紺と白の版画のような陰陽で描きます。しかもそれらは芸術家のデザインによるものではなく、市井の娘さんが日常のなかで自分の嫁いだあとのために織るという形で維持されてきたことがすばらしいと思うのです。
 今回、帰省したときにいくつかの偶然が重なって今は廃業した浜絣の小さな工場を見せてもらうことができました。そこには機械化された織機があり、今は使われていないので放置されていました。ところが、ふと見るとその織機にさっきまで織られていたような絵絣が残っていたのです。素朴ながら魅力的な絵柄でした。


  
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ユーミンが変わった?

2009年04月25日 | その他 others
4月9日にNHKのSongsという番組に松任谷由実が登場した。この番組は夜遅いのであまり見ないのだが、この日はなんとなく見た。そして「ユーミンは変わった」と感じた。
 荒井由実の登場は鮮烈だった。「あの日に帰りたい」はそれまで聞いたことのない歌で、私は心を捉えられた気がした。でもきっと同じパターンの曲でヒットをねらうと思っていたら「翳りゆく部屋」というまったく違う曲相で、しかもこれまた聞いたことのない歌を作った。「これはただ者ではない」と感じさせるに十分だった。その後はメジャーとして大歌手になったが、その印象はリゾート感覚、豪華なコンサート、「贅沢が何が悪い、しみったれるな」というものであったように思う。若い頃ラジオのDJ番組もよく聞いた。頭のいい人だと感じた。ある投書で、若い男が「環境のことを考えるような人になりたいです」という意味のことを書いているのを読んだユーミンが「こういう、紋切り型でまじめぶるのってダサいよね」というのを聞いて、私はけっこう傷ついた。私のように質実に生きよと父に教えられた者は豊かであることにむしろ恥ずかしさを感じてしまう。それで、「新しい豊かな日本社会に育った世代には、消費的に生きることがむしろよきこととされるのだな」と、当惑感を覚えた。私よりかなり若い後輩は「ユーミンは、口でいうだけでなく、実行しちゃうから、カッコいいんっすよ」といった。
 その番組では驚いたことに、あのユーミンが群馬県かどこかいなかの中学校に行って生徒と交流をし、卒業式に参加していた。ひとつのコンサートで億の金を使う大アーティストが(もしかしたらSPが付いていても不思議ではないだろう)、小さな中学校の卒業式に行くなど、これまでのイメージのユーミンにはありえないことに思われた。しかし、その姿は実にすなおで、謙虚で、ひとりの(中年といっては失礼かもしれないが)大人の女性の、以上でも以下でもない等身大の姿であった。お世辞にもうまいとはいえないが、しかし心のこもった「卒業アルバム」を聞くユーミンの頬に大粒の涙が流れたのを見たとき、私は少しうろたえてしまった。
 ビッグアーティストになり、日本中を注目させ、お金も貯め、そうして彼女は何かに気づいたのではないか。平凡に生きる個別な小さな人生、それを否定するように「がんばって勝ちなさい」といわれ続け、はい上がり、あるいは金儲けを、あるいは出世をすればするほど「成功」であると信じているが、実はそれは空しいものであることに、経験から気づいたのではないか。
 私の見当違いであるかもしれない。でもあの涙にはそう思わせるものがあった。私はこれからのユーミンはヒット曲を産みながらも、平凡さをたいせつにする生き方をするような気がする。

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とんだ失敗

2009年04月24日 | その他 others
実は昨日(4月23日)、NHKのラジオに出ました。午後の「ラジオ井戸端会議」というもので、昆虫や雑草などで迷惑な生き物をとりあげたシリーズで、最後に哺乳類をとりあげるので出てくださいということになりました。いろんな話をして、最後に「迷惑をかけているのは人間だ」としめくくり、なかなかよかったと思っていましたが、あとで録音を聞いてみて、とんだまちがいを言っていたことに気づきました。
 日本人はもともと動物とよい関係を築いてきたという例として「江戸には食堂にキツネがいるというのを感激して記録しているイギリス人がいた」といったつもりが、なんと「江戸には食堂にキリンがいるというのを」といっていたのです。いくらなんでもキリンはいないよナ。げに生放送は恐ろしきものなり。汗顔モノとはこのことです。
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島根半島12 昔はものを思わざりき

2009年04月23日 | 自然 nature
 あとでみた展望台からの大山の景色は、全景に弓ヶ浜半島があり、右に中海、左に日本海があります。この半島が弓の形をしていることは、ものごとを俯瞰できることのできる人に可能なことで、われわれ凡人はただ平らな土地と思うだけです。でもここからみたらなるほどこの半島は弓のように反っているのだと判りました。
 私はこの寺をここに選んだ人は、このあたりを予備調査で歩き回って、調べに調べたあげく、ここがベストポイントだとわかった上で決めたに違いないと確信しました。今でこそ車でさっと登ってしまいますが、その当時(1000年も前のことです)、道なき道を登って降りてを繰り返し、場所を選ぶのがいかに大変なことであったか。何年もの準備期間があったと察します。
 私は小学3年生から5年生までを松江で過ごしました。いま思うと「マクラギサン」に遠足に来たような気がしますが、定かではありません。少なくともこの景色は覚えていません。小学生にはなにも見えなかったようです。
 そう思いながら、いやいや高校生のときも、すぐ近くの山にこんなにすばらしい花が咲いていることも、このような歴史のあるお寺があり、そこにさまざまな人生があったことへの想像もまったくありませんでした。「昔はものを思わざりき」、まさにそうです。きっと今も見えていないことだらけなのだろうと思います。
 向田邦子は小学生のとき、鹿児島に暮らしたことがあるそうです。歳をとってから訪れてみた夕日の桜島の感動的な美しさをみたとき、自分は少女時代に毎日のように桜島をみて暮らしていたはずなのに、何も見えていなかったという意味のことをどこかに書いていました。
 といったわけで、行き当たりばったりのドライブでしたが、天恵ともいうべき幸運に恵まれて忘れがたいものになりました。十代の頃、ドキドキしながらデートしたカミさんと、こうして故郷の山をいっしょに散歩していること、自分の人生の半分以上をつれそってきたのだなというささやかな感慨もありました。

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島根半島11 禅寺

2009年04月22日 | 自然 nature
 お寺の横に建物があり、おそらくお坊さんが修行される部屋などがあるようでしたが、玄関に生け花があり、その背景が純白の障子でした。何気ないただの白い面ですが、薄暗い部屋にあって、そこから淡い光を発しているようでした。その空間は禅の抽象性を感じさせるものでした。



 神道を日本のベースだとすれば、中世に抽象性が強く、理論的でもある仏教が導入されたことは革命的なことだったはずです。理解できた人は限られていたに違いありません。権力をもつ知識人が仏教を知り、全身全霊でお寺を造ったものと思われます。しかしトップダウンでできることには限界があります。この寺の造営に命を捧げた人がたくさんいてはじめて実現したものと思います。実際、石垣やお寺の見事さをみると、重機もない時代にどうして物資を運び、これだけの工事をしたのか、想像もできません。それに、お参りに来る人のことも。松江にしても米子にしても、江戸時代までは歩いて来たはずで、来るだけで数日かかることになります。一体昔の旅はどうなっていたのか。食事はどうしたのか、泊まりはどうしたのか。麓まで来て、それからこの山を登って、暗い林を抜けたときに、ここに来たとき、「ああ、これはこの世ではない」と思ったことでしょう。そうしたことを考えるとき、昔の人の心のありようは、いまの我々とはまったく違うものであったと想われます。

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島根半島10 異界

2009年04月21日 | 自然 nature
 さらに登るとまさにそれにふさわしい空間が開けました。この地方は神社が優勢だと思いますが、これはお寺、それも禅寺のようです。それまでのシイやカシの薄暗い常緑林を通過してきたので、まっすぐに伸びる針葉樹の直線的な流れと、よく手入れされた清浄感のある参道が、ここが異界であるという雰囲気を放射していました。

 
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島根半島9 巨像

2009年04月20日 | 自然 nature
 そこをすぎて、私が例によって花の写真を撮ったりしていると、先をゆくカミさんが「えーーっ!何これ!!」と大きな声を上げました。私がおもむろに近づくと、山の斜面に巨大な石像がありました。ギョロっとした目と、ウムとくいしばった唇が印象的ですが、なんといってもその大きさがすごい。参考までにカミさんにスケールになってもらって一枚写しました。周囲を圧倒する大きさです。



 不道明王ということでしたが、これをどうして作ったのか。どうも頭は別に作って載せたように見えます。山の岩を彫ったのでしょうから、彫り師は何年もここで暮らしたに違いありません。頭を別に作ったとすると、どうして載せたのだろうと、次々と想像がふくらみます。
「これはただならぬ山らしい」
そう思うと、さっきの仁王もそれにふさわしいものだったような気がしてきました。

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島根半島8 仁王像

2009年04月19日 | 自然 nature
両側にミヤマカタバミの咲く長い石段を登ると、驚いたことに、この山の中に不似合いな立派な山門のようなものがあり、仁王像が納められているようでした。それをのぞいてびっくり。すばらしい造形です。よくある左右対称のぎこちない姿勢のものとはまったく違い、今にも動きだしそうなナチュラルな姿勢で、形相も大迫力。圧倒されました。説明があったのでみると、運慶作とも伝えられるとありました。運慶だか快慶だか知らないが、ともかく作品のもつ芸術性はまちがいなくホンモノでした。ただ気になったのは、その無防備な管理です。雨は防いでいるものの格子で守られているだけで空気はそのまま入るので湿気も温度変化もそのままのようでした。これで何百年も何事もなかったのは奇跡のようなことではないでしょうか。もっと大切に保管してほしいと思いました。

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