自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

夕日の丘

2007年11月30日 | モンゴル自然
光の在り方というのは普段あまり気にしないで暮らしていますが、もっともっと大きな意味と、人の心に与える影響力を持っていると思います。乾燥したモンゴルでは光が直裁です。落日は空気の層をより厚く通過してくるために赤みをおびるのだそうですが、その空気の湿度が違うせいか、モンゴルの夕日はより朱色系の赤さが強いと感じます。雲がないために影がないことも影響しているかもしれません。山肌がそのままにオレンジ色にそまり、地形のデイーテイルが鮮やかに浮き彫りにされます。こういう光の芸術を見ていると、人によって感じ方は違うと思いますが、私には音楽が聞こえています。


2006.11 モンゴル、フスタイ国立公園
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山の端

2007年11月29日 | モンゴル自然
空気が澄んでいるということはいろいろなところに見られますが、落日のときの山の端のシャープなこともたいへん印象的です。私は目が悪いのでそのシャープさをしっかりはとらえることができていないと思います。双眼鏡を使うとドキッとするほどの鮮明さです。影になる山の黒さは闇というにふさわしく、それは古人にとって恐ろしいものであったに違いないと思います。

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黒い空

2007年11月28日 | モンゴル自然
モンゴルでは景色が広々としていて、空気が乾燥しているために遠くまではっきり見えます。天気の不安定な11月には、自分のいるところと、見えている遠くの場所とで天候が違うことがあります。この写真は手前の草原には光があたっているのに、奥の空は黒々と悪天候だったときのものです。不思議な感じで、自然の「凄み」を感じました。

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枯れ草の刺繍

2007年11月27日 | モンゴル自然
雪の上に出ている枯れ草をみていたら、それが白いキャンバスに描いた刺繍のように見えました。心の中で立体ではなく、面に見るのです。そう思うと、草ごとの違いも楽しく、さらにその組み合わせが実に好みのよい刺繍に見えました。そう見えるのは曇りの日で、きっと影がないために面的に見やすいせいたど思います。
 枯れ草はただの「死体」かもしれないが、短い夏を燃焼した植物の一生が濃縮されたもののように思われました。




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雪面

2007年11月26日 | モンゴル自然
雪は降って地面を覆う。そして融けるか、融けないときは積もる。だがどうやらモンゴルではそれだけではないらしい。
 山に登ったときに20cmくらいの深さの雪の中を歩いた。さくさくと気持ちがよかった。歩いているうちに体が温まるほどだった。そこで見た雪はようすが違っていた。輝きが鋭いのである。近づいてみると、6角形の結晶が見える。雪印とは違い、スゲの葉に見たものと同質のようだ。たぶんこれは雪が「成長」しているのだと思う。地面に降りた雪に空中の水分がくっついて大きくなっているのだろう。
 無彩色と無機質な世界も、自然界にあっては魅力在るものとなるようだ。「雪は空からの手紙」ということばを遺した日本の科学者の自然への思いをかみしめたい。




2006.11.15 モンゴル、フスタイ国立公園
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雪の中の枯れ草

2007年11月25日 | モンゴル自然
モンゴルの冬は寒さの程度が違うので、いろいろとまどうことがあります。ちょっと意外なのは雪の深さは浅く、2,3cmほどしかないことです。風のあたるところは雪はありません。思えば1mも2mも、場所によっては4,5mもの積雪がある日本の雪国のほうが例外的なのですね。降水量の少ない乾燥の国モンゴルで雪が少ないのは当然なのに、自分のもつ「常識」のために意外感をもちました。それに、もちろん雪の質が違います。サラサラで、息を吹きかければ飛びます。日本の雪は凍ると融けるのはざまにあるのですが、モンゴルではまるで融けるようすはないのです。それに、地面そのものが凍っています。斜面などで足を置けばへこみそうな土がガチンガチンに凍っているのです。細かな起伏も、そのままの形のまま踏んでもびくともしません。
 そんなことに感嘆しながら雪道を歩いていると、雪の上に枯れ草がありました。これはアズマギクに似た花の終わったものです。土や草の中にあったときとは違い、雪の中にあると、背景がすっきりしてなかなかきれいでした。それは枯葉、つまり植物の死骸というよりは、短い夏に精一杯生きた植物の結晶のように思えました。


2006.11.13 モンゴル、フスタイ国立公園
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峠より From a pass

2007年11月24日 | モンゴル自然
誰でもそうなのだと思うが、峠の向こう側というのが好きだ。峠に近づくにつれて、峠の先にどんな景色が広がっているだろうと想像すると、ゆっくり歩いていられなくなる。だが、せっかちというのとは違う。
 モンゴルでは峠の向こうの景色で期待を裏切られたことがない。というより、たいていはそれ以上の雄大な景色が待ち受けていて、その広がりは予想をはるかに上回るものであることが多い。これはフスタイのモイルト峠から西側をみたところで、私のお気に入りの場所のひとつだ。馬の背に何時間も何十時間もゆられてこの峠に達してこの景色が広がるのを見て、馬に声をかけて「一休みだ」と言ってこの景色をみながらたばこを喫っただろう。


モイルト峠 2006.11.14 モンゴル、フスタイ国立公園

I guess that everybody does like a pass partly because he/she expects the scenery behind it. I always cannot stop hurry to climb up to a pass expecting the scenery.
My expectation has been never disappointed in Mongolia. Rather, the unseen schenery is always much better than I expected. This is undoubtedly different from Japanese landscape where topography is steep and complex and the vegetation is thick blocking the wide scenery.
This photo is an example of my favorite: the Moilt Pass in Hustai National Park. I imagine that during the long history, nomads traveled long on horse back and looked over the scenery, and talked to the horse "Take a rest here".
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モンゴルの地形 Topography of Mongolia

2007年11月23日 | モンゴル自然
凍てついた空気の中で、丘に登って対岸をながめる。日本であれば森林であるところに木がないため、地形がそのまま見える。水の動きなども手にとるようにわかる。この日はくもりだったが、弱い太陽光が微妙な地形のなめらかな変化をみごとに描写している。これが快晴であれば丘は白く、谷は黒く強いコントラストになってしまう。それは日本の北アルプスなどには似つかわしいが、モンゴルのこのたおやかな地形にはなじまない。
 風が頬を打ち、寒いを通り越して痛い感じになる。持参した気温と風速が測定できるポータブルな機械を取り出すとくるくると羽根が回り始め、それがすぐにビューっという音に変わる。そうするとこのお気に入りの機械は体感温度も示してくれる。
 山並みをみると、あの向こうを想像する。この寒さのなかで冬を暮らしている牧民がいる。ゲルの中でミルクを暖めているだろうか。寒風のなかで羊をつれているだろうか。そのような営みが数千年も営々と繰り返されていたことを思う。


2006.11.11 モンゴル、フスタイ国立公園

I was looking at hilly places from the opposite hill. A wind blew and I felt bitter rather than cold. If I see this topography in Japan, I cannot see the morphology of topography because of dense cover of forests. In Mongolia, however, I could see all the details of the topography because of lack of trees.
My mind also sees not only the front hills but also the places over the far mountains which is not visible. My imagination can see some nomads take rest at a warm ger (tent house) or walk watching at a sheep herd. Such life has been repeated for several thousand years.
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アマ3 flax 3

2007年11月23日 | モンゴル植物
好き嫌いというのは理屈を超えたもので、実に不合理なものです。美しさという主観的なものを「武器」にバランスを欠いた評価をしますが、それはそれでいいのだと思います。アマは亜麻で麻の亜流みたいで気に入りませんが、かたかなで「アマ」と書いてしまえば悪い感じではありません。リネンですね。麻が剛質なのに対してアマのほうがやわらかさ、しなやかさがあるのだそうです。自然繊維のよさですね。帆船の帆はリネンだったそうです。好き嫌いの件、私のアマへの好きさ具合は偏愛という類ではないとは思いますが、果実もきれいだと思うし、ひっくり返した花の萼(たぶん)も洗練されていると思ってしまいます。

アマの果実 2006.8.26 モンゴル、フスタイ国立公園(ピントがずれました、ごめんなさい)

アマの花を裏側からみたところ 2006.6.23 モンゴル、フスタイ国立公園

Favoriteness is quite subjective, and therefore non-logical. It is, however, not bad. I feel not only flowers, but flower bud, fruit, and even calix of the flax are beautiful. All of them are sophisticated.
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アマ2 flax 2

2007年11月22日 | モンゴル植物
アマの花に出会うとついついカメラを向けてしまいます。このごろのデジカメは性能がよくなって接写もうまくできます。歳をとって小さいものが見えにくくなってきた目には、カメラに写したあとで「あ、こんなふうになっていたのか」と発見するものがあります。
 アマの花の色はさほど花ごとに色の変異はないのですが、写真にとって並べてみると、水色のものから紫色がかったものまでかなりの違いがあります。これは日差しのせいです。緑とか紫とか、もともと中間的な色はよけいにそういう違いがあります。
  

I cannot stop taking photo when I meet the flax flower. It is surprizing how the modern digital camera works! It can take details of plants and animals. These two photos of the flax flower look different. This is simply because of the sunlight. To our eyes, we extract flower color, but it is affected by sunlight. On a cloudy day, the flower looks bluish. This bias is more frequently found in the color like green or purple which contain some color essences.
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