自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

ケンポナシ 4

2015年02月28日 | 高尾
ケンポナシの果実がおいしそうなこと、実際にタヌキの糞から出てきたことが確認されたので、それで十分といえば十分なのですが、なんといっても実際に食べるところが確認したい、そう思って、林の木にカメラを設置して、その前にケンポナシをまとめておいておきました。少しわかりにくいですが、おいたケンポナシの塊の側から撮影したもので、奥にカメラが見えます。

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ケンポナシ 3

2015年02月27日 | 高尾
ケンポナシの紹介をしています。
 ケンポナシの種子がタヌキのおなかをスルッと出てきたと書きながら、忘れていたことを思い出しました。親から聞いた話ですが、私が1歳のときに、パチンコ玉を飲み込んだそうです。父はパチンコなどをしない人でしたが、いろいろな人が出入りする家でしたから、だれかが置いていったのを見つけて飲んだようです。それで両親は青くなって病院に飛び込んだら、お医者さんは笑いながら「明日になれば出てきますよ」といったそうな。そしてやきもきしながら待っていると、翌日に確かに出てきたが、そのパチンコ玉は赤茶色になっていたそうです。胃酸で錆びたのですね。今のパチンコ玉はステンレスなのかな。ともかく両親はほっと胸をなでおろしたと話してくれました。

 ついでながら、そして恥ずかしながら、2歳のときの私が母と映った写真を紹介します。当時はカメラはだれでもは持っておらず、私が1歳のとき、父はカメラをもっていなかったようです。このころに手に入れたらしく、ピンボケを含め写真が残っています。昔はこういう刈り上げにするのでした。私はよく病気をする弱い子でした。


母と(2歳、1951年)

 えらく横道にそれました。
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見ぃつけたっ!

2015年02月26日 | 高尾
昨日、高尾の森林科学園に行ってきました。ケンポナシの調査をしているからなのですが、日当たりのよい斜面に早くもタチツボスミレが咲いていました。19日に来たときにはありませんでしたから、この数日以内で咲いたもののようです。北向き斜面ではまだ霜柱もありますから、斜面の向きでずいぶん違うものだなと思います。


タチツボスミレ

このほか、オオイヌノフグリとハコベが咲いていましたし、ヒメウズなどが葉を広げて花を咲かせるのを待っているようでした。
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ケンポナシ 2

2015年02月25日 | 高尾
12月の上旬くらいまでのタヌキの糞にはカキの種子やギンナンがたくさん出てきていましたが、クリスマスの頃からはケンポナシの種子が見られるようになりました。ケンポナシの種子は表面がテカテカで硬く、消化器官をスルッと通過しそうです。写真の下のほうにみえている白っぽいものがギンナンです。ケンポナシの「てかり」がわかると思います。




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ケンポナシ 1

2015年02月24日 | 高尾
ケンポナシという植物のことは紹介したことがあります。赤くて小さい実をつける実がたくさんありますが、これらは取りに食べてもらって種子を運んでもらうためです。ケンポナシは赤くないだけでなく、茶色でぐにゃぐにゃのかりんとうのよいな形でとても取りが飲み込むようなものではありません。しかも赤い身がいつまでも気についているのに対してケンポナシはぼたぼたと地面に落ちます。そして甘い匂いを発します。こういうのは哺乳類に食べられるために違いありません。

 これがケンポナシの実です。



「かりんとう」の先端に球形のものがありますが、この中に3個の種子が入っています。「かりんとう」が甘いので、哺乳類はこれを食べますが、どうしても種子をいっしょに飲み込むようになっています。
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春はそこまで 2

2015年02月22日 | 高尾
2月19日に高尾に行きました。小さな小川があり、わきに水たまりがありましたが、近ずいてみるとオタマジャクシがいました。ヤマアカガエルだろうと思います。

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春はそこまで

2015年02月20日 | 高尾
2月3日に高尾の森林科学園に行きました。ロウバイが咲いていました。少し前に雪が降ったので、背景には雪が見えますが、花には光が当たって、その光が春の明るさを感じさせました。





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乗れ!4

2015年02月18日 | がんこおやじ
<人の縁>
 私は人の縁というものの不思議さを思わないではいられない。鈴木さんにしても、河合さんにしても、ましてや前田雄一さんにしても、まともに行けば出会うことはなかったろうし、出会ったとしても「つながり」に気付かなくても不思議ではない。
 このつながりには何かがある。それはうまくいえないが、自然に対して熱っぽい思いをもち、調べることに没頭するような精神をもつ者、そして人の暖かい心根に弱いといった共通点があるように思う。その精神が前田禎三という人に濃厚にあった。そして、そのことが、この不思議なつながりを生んだように思う。あまり科学的な分析ではないがそんなことはどうでもよい。

 前田先生、私たちは先生のようにはできませんが、世のつまらぬ規則や常識よりも大事なものをしっかりと見つめて生きていきます。どうか安心してお眠りください。

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前田先生は身なりなどまったく気にしない人でしたから、山から下りてきて泥だらけの長靴に汗まみれのシャツで営林署に行き「所長に会いに来た」といったら、守衛さんが浮浪者と間違えて足止めになったなどという話がたくさんある。がんこおやじはいいなあ。
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乗れ!3

2015年02月17日 | がんこおやじ
<その後のこと>
 その後ご無沙汰していた。ただ「前田つながり」はない訳ではなかった。私は学生の指導でオガサワラオオコウモリを調べに初めて小笠原に行った。そして小笠原の動植物を研究している鈴木創さんに会って大変お世話になった。その頃、スリランカから留学していたローズさん(ウダヤニ・ヴェラシンハ)と媒島の植物を調べるために土壌サンプルをとった。前田先生とは違って靴下に入れることはなかったが、私とローズさんで持てる量は知れたもので、多くを鈴木さんの剛力に頼ってしまった。鈴木さんと話をしていたら、宇都宮大学出身で前田先生の教え子だということで驚いた。
 東日本大震災が起きたとき、私はアメリカの研究者から送られてきた「The Oak Tree(ナラの木)」という詩を訳したのだが、それは東北の言葉をはじめ、日本中の地方言葉に訳された。それを見た鈴木さんは便りをくださり、お父様はその詩を紙芝居風のすばらしい絵に描いてくださった。
 2014年に毎年行っているモンゴルで調査をした。この年はいつもと違い、地下水の専門家が同行された。多田さんは体重が100キロを超える巨漢で、話がおもしろい。地下水の音が聞こえる機械を開発したといってモンゴルの地下水の「音」を聞かせてもらった。それは感動的な体験だったが、多田さんは針金をL字型に曲げて、それを持って手を伸ばし、針金を進行方向に向けて持って歩くように言う。そうすると驚いたことにその針金が突然クルリと横を向いたのである。何度やっても同じところで曲がった。私がキツネにつままれたような顔をしていると、多田さんは
「子供ならだいたい曲がります」
と褒めているのだか馬鹿にしているのだかわからないことを言う。
 多田さんとペアの河合さんは物静かで黙々と作業をしており、地面に電極のようなものをたくさん挿しており、それで地下水の深さがわかるということだった。後でわかったのだが、針金が曲がったところの下には地下水位が高かった。河合さんは新潟大学におられるが、その前には鳥取におられて、そこで「前田さん」にお世話になったと言われる。
「鳥取の前田さん?」
 私は事情がわからなかったのだが、あとでわかったのは、前田先生の息子さん(雄一さん)ということだった。この冬、鳥取大学に招かれて講演をしたが、そこで前田雄一さんにお会いできた。

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乗れ! 2

2015年02月16日 | がんこおやじ
<金華山にて>
 前田先生はブナ林の調査をしておられた。大規模な実験を含め、徹底した野外調査でそれまでわかっていなかった多雪地のブナ林のことを明らかにされた。後日奥様にうかがうと、若い頃は昼間は山で森林の調査をし、夕方、家に帰って夕食をとると、また演習林にもどって分厚いドイツの原典を読破するという毎日を送っておられたそうである。
 私は宮城県の金華山でブナの天然更新とシカの影響を調べたことがあったので、一度金華山に来てくださいといった。遠いところだから、実現するかどうかわからなかったが、先生は身軽に来られた。金華山では黄金山神社という神社に泊まる。そこから山に登るのだが、金華山はけっこう険しいので、先生にはちょっと大変そうだったが、それでも実に楽しそうだった。金華山のブナにはいわゆるコワブナといわれる太平洋側の冬に乾燥する気候に適応的な葉が小さくつやのあるタイプのものと、多雪地である奥羽山地のものほどではないが、かなり大きめの葉のものが共存する。そのことの意味はわからないのだが、標本をとっておきたいと思っていた。前田先生にその話をすると、
「採れ」
と言われる。採れといわれても、ブナの木の枝には手が届かない。あれこれ挑戦してみたが、うまくいかないので、「また次の機会にしますよ」と言ったら、「乗れ」
と中腰になられた。
「先生、いくらなんでも先生の肩には乗れませんよ。私ががんばりますから、先生が私に乗ってください」と言ったものの、内心がっちりした先生を支えられる自信はちょっとなかった。
「ええけん、乗れ」
と語調が強くなったので、覚悟を決めて
「すみません、では」
ともちろん靴は脱いで太ももに乗り、それから肩に足をかけて中腰になって手を伸ばしたらなんとか採集できた。足の裏に感じるその肩はがっちりと鍛えられたものであることがわかった。
 今思うと、登るときはよいが、降りるときどうしたのか覚えていない。たぶん途中でジャンプして着地したのだと思う。
 宿に帰って風呂に入り、部屋にもどると、酒盛りが始まった。私はアルコールはいけないほうなので、おつきあい程度に舌をぬらしていた。神社に阿部さんという土産物の店番をしている人がおられるのだが、その人は私が泊まるときには、部屋に来ていろいろおもしろい話をしてくれた。その夜も阿部さんが来ていろいろ話にもりあがった。私が
「今日、先生の肩に乗ってしまったんですよ」
といったら、
「ハッ、おらが揉んでやっから」
と先生の肩もみを始めた。初めて会った人同士とは思えないほど打ち解けていた。
「おお、ええ気持ちだ」
といいながら、先生はコップ酒でぐいぐいと飲みながらご機嫌になり、そのうち大の字になって沈没してしまった。



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