自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

読後コメント

2018年07月03日 | 読後感想
「人間の偏見 動物の言い分」(イースト・プレス)に書評、感想が寄せられています。

こちら
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「北に生きるシカたち」感想文

2014年05月04日 | 読後感想
驚いたことにこの感想文は復刻版ではなく、オリジナルのほうです。手に入れにくいのにありがたいことです。

「北に生きるシカたち―シカ、ササそして雪をめぐる生態学」
高槻 成紀/著 どうぶつ社

「野生動物と共存できるか ― 保全生態学入門」が面白かったので、同じ著者の本を読んでみました。
フィールド系の生態学者として、現場での苦労話を交えたシカ研究について書かれています。
 論文は「研究のための研究」になりがちで、「どうしてそれを研究する必要があるのか」が分かりにくい場合がある。
高槻さんのようにしっかりとしたポリシーがあり、行政や市民に対しても意見が言える研究者がどれ程いるだろうか。
 「読みやすい専門書」として、この著者を追っていきたい。
シカやクマ本は飽き気味でしたが、こんな作者と巡り合う可能性もあるので、もうちょっと読み進めていこう。

2011.2.28
BenlySea_Blog
http://benly.blog.ocn.ne.jp/benlyblog/2011/02/post_e6e8.html



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「動物を守りたい君へ」の感想、読書メーター

2014年05月04日 | 読後感想
「読書メーター」というサイトがあって、そこへ寄せられた感想です。

しんちゃん
中高生向けに書かれているのでとても分かりやすい。子どもに教えるときの参考にもなりそうです。
2014年3月19日

リンクの大切さをとても強調されているが、このことについて、動物保護にある程度関心があっても知らない人は少なくないだろう。この著者のように、広い視野を持ち、柔軟な思考のできる人が増えることが、動物保護には不可欠であろう。
2014年3月11日

この本にはペット、家畜、野生動物と人間の付き合いかたについて考えてさせられるような内容がかかれている。特に野生動物はリンクを考えていかなければいけないのだと思った。
2014年1月24日

尾張こまき
あとがきを読むと、高槻さんがこの本を著そうと思った理由が透けて見えてきて同情を禁じ得ません。経営のために人を集めなくてはいけなくて、人の集まるような学科を作らざるを得ない大学側の事情もわかるんだけど・・・きっと現場の教育者の方には色々と頭の痛い、苦々しいことがあるんでしょうね。「動物を守りたい」っていう上から目線の発想がもう、根っからの生き物好きと違う気がします(どっちがいいとかではないけど)。研究者の方でこれだけ冷静に毅然と原発やめろって言ってくれた本初めて。バランス感覚に優れた科学者の方って貴重。
2013年12月3日

かつき
ハチ公は忠誠心から渋谷駅に通ったのではなく、日課から軌道修正できなかっただけなど、実も蓋もない真実を暴くが、人間の感情や都合に合わせてペットや家畜、野生動物を扱うことに注意を促し、本当に動物や環境を守るための提言をする。糞虫の課題に取り組んだ学生に「池田さんも森の話を聞く耳を持てたのだな」と調査対象だけではなく、環境、存在、他の昆虫や植物とのリンクまで含めた研究をこのように表現する。好感のもてる先生。また大震災と原発事故後のペットや家畜、野生動物たちにも言及。人間の愚かしさを再認識した。
2013年11月13日

読書メーター
http://book.akahoshitakuya.com/b/4005007554

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「動物を守りたい君へ」感想文

2014年05月04日 | 読後感想
「動物を守りたい君へ」(岩波ジュニア新書, 2013)を読んでの感想です。

本日、Earth Day。ちょうどこの本を読み終えました。
著者がいうところの生物のリンクの重要さ。
「風が吹けば桶屋が儲かる」なんて言い方もあるけれど、
仏教の輪廻転生なんて言葉も彷彿として、
生物学の本だけれど、哲学的でもあります。
難しいことばが使われていないので、ココロに「沁み」ます。

人が見ることは植物にとってはなんの意味もありません。

たしかに。花からすれば、「まあキレイ」と寄ってくるニンゲンより
受粉の助けをしてくれる虫こそウェルカム。

体の大きさ、力、攻撃などを基準にすれば「強い」大型肉食獣は、
生態学的に見れば実は一番ひ弱な動物なのです。

だからと言ってむやみに保護しても、
かえってひどく「リンク」を壊すことにもなりかねません。
モンゴルの草原に野生馬を復活させようとするとき
他の動物のテリトリーを侵さないか調査研究がされたそうです。
まさに「冒険者たち」な「研究者たち」ですが、
現実は地味で単調で、根気のいる調査だったそうです。

もっとも記録されている絶滅というのは鳥や哺乳類が中心で、
実際には昆虫や貝類などもたくさん絶滅しています。
しかし、人はそういう動物にまで目が届かないために、
気がついたらいなくなっていたとか、
その存在さえ知られないままに絶滅したものもたくさんあります。

日常のささやかなことでも、
環境破壊をしないこと
そういうことを意識的に考えてみようと思うのでした。

空飛ぶ色いろnatsuno7
http://natsunooyasumi.blog.fc2.com/blog-entry-765.html

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『北に生きるシカたち(復刻どうぶつ社)』感想文

2014年05月02日 | 読後感想

表記の本がありがたいことに復刻されました。それを読んでの感想文です。

「北に生きるシカたち―シカ、ササそして雪をめぐる生態学」(高槻成紀著、丸善出版(復刻版)、2013 原書はどうぶつ社 1992年)を読み終えた。この人の本めちゃくちゃいい。また読む。

シカは、個体数管理が叫ばれる害獣ですが、時代ごとの狩猟圧によって急激に増減してしまうことが知られていて、行政管理に向いていない、管理の難しい動物であることでよく知られる動物なのです。そう言われる意味がこの本を読んでよくわかりました。聞きかじってないで早く読めばよかった。

読んでいる途中に何度も書き留めたい文章がたくさん出てきたのだけど、書き留めきれず…。


第一章から第二章は大学のゼミ生や他大学の研究者を動員した、山の特定範囲内でのシカ密集度の測定(センサス)や糞の内容物分析といった地道な実証研究についての報告。そこから明らかになる冬期食料としてのササの重要性を、植物学的観点も大いに参照しつつ迫る第三章。ニホンジカ以外の偶蹄目についての研究などと自らのフィールド研究を照らし合わせ、より細密にシカの生態を描き出す第四章も面白かった。
第五章からは、膨大な先行資料、地誌などの文献、地元猟師や農家の語りから得られた、岩手県の五葉山のシカたちの数十年スパンの個体数の変遷の状況を読み解いていった。
そして、シカの個体数に影響する諸要因をより詳細に解明していき、かつ毎年の個体数の変動を観測・予測することで、シカとシカを取り巻く自然環境と人間とが適切に共存していくことができるのではないかという推論が出てくる。


本当に終わり際の結論の章から少し抜粋します。
なんの研究でもそうですが、時々著者の専門分野をめちゃくちゃ超えて、示唆的な言葉が出てくることがあるね。社会学の本とこういう本がどこかのページで繋がってたりするのですね、ほんとに。

http://pub.maruzen.co.jp/book_magazine/book_data/search/9784621087947.html

========
・くりかえし述べてきたように、このような状況をつくり出して来たのは近代化という歴史の流れを疾走してきた我々を含む数世代の日本人にほかならないのだ。責任は我々にあるのである。(p239)

・五葉山のシカにとって適正な個体数調整が必要であるという主張の根底にあるのは、人間と野生動物とが共存しなければならず、そのためには生態学の知見がひとつの力になるはずだという私の信念である。(p239)

・ 自然が残されていることは誇るべきことでこそあっても、なんら恥ずべきことはないはずである。もちろんこのような価値観は現代のものであって、戦後しばらくの、国を挙げての経済復興にわき目もふらず邁進していた時代にそれを求めることはできないかもしれない。しかし本書[岩手県林業史]は一九八二年に書かれているのだ。そこには国の施策を守ろう、先進県に追いつきたいという意識しか見いだせない。このような姿勢が改まらない限り、自然を失うことにやっと「追いついた」時、新たに与えられるであろう目標―例えば破壊に要した経費の何十倍もかけてかつての自然を回復するといった目標―を後追いしなければならないという愚を繰り返すことになるだろう。後進性においてさえ「後進的」であるとはあまりに哀しいではないか。(p241)

2014年3月6日
人生は旅
http://eminakamura.blogspot.jp/2014/03/2013.html


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本当に動物のためになることとは? 『動物を守りたい君へ』

2013年12月14日 | 読後感想
『動物を守りたい君へ』の感想文がもうひとつありました。どちらかというと「愛護派」の人のようで、情緒的に「動物を殺すことを正当かするな」というような意見ではないかと思っていたのですが、まったくそうではありませんでした。私はものごとをいつでも、事実に基づいて中立的に判断するように心がけています。そういう姿勢をとるときに、やはり許されないことだと判断できることには毅然と批判をすることで、その批判が力を持つと思うからです。そのことが伝わったようでうれしく思いました。アイヌのことを学んでみたいと書いてあったこともありがたいと感じました。

 本日ご紹介する『動物を守りたい君へ』が書かれたきっかけは、「怪我をした野生動物を助けるために獣医になりたい」という中学生の言葉でした。しかし、動物が好き、動物のためになることをしたいと思っていても、問題の本質を把握していなければその気持ちは結実しません。
 たとえば今、すでに100頭以下しか残っていないツシマヤマネコの交通事故死が相次いでいますが、車に轢かれた個体をレスキューして治療しても、問題の根本的な解決にはならないことは明白です。ツシマヤマネコの生活空間を道路が貫いていること、環境破壊によってツシマヤマネコの食料となる小動物が減ってしまったこと、イエネコを放し飼いにしていたことにより病気が広がったことなどがヤマネコ激減の真の要因であり、これらの問題を解決しない限りツシマヤマネコの未来は絶望的なのですから。
 本書は野生動物ではなく、ペットや家畜にも視野を広げ、さまざまな例から動物と人間の関わりについて考えていきます。
 そこから明らかになるのは、ヒトと動物、植物、地球の命はすべてつながっているということ。どれかひとつでも切り離したら成り立たないということです。
「私たちが住んでいる地球は自分たち人間だけのものではない」というレイチェル・カーソンの言葉は当たり前のようでいて、ヒトがふだん忘れ去っていることではないでしょうか。
 本書ではまた、原発事故についてもしっかり触れられています。とりわけ警戒区域内のペットや家畜については、「人のために改良され、人なしには生きられない存在にされているにもかかわらず、人に見捨てられたという二重の苦しみを受けた」と指摘されています。
(この文を読んだ時、以前出席した『東日本大震災が動物に及ぼした影響を考えるシンポジウム』で、置き去りにされた牛たちのうちホルスタインは全滅し和牛のほうが生き残った率が高かったという報告があったのを思い出しました。ホルスタインは乳量を最大限まで増やすために改良されたため、生き延びる力が弱くなっていたのでしょう)
また、動物たちへの被曝についてはもっぱら食肉利用の観点からしか語られず、動物たちの健康被害については無関心な現状を戒める言葉もありました。
 終章では、自然の恵みを受けて生きてきたアイヌの人々の暮らしが紹介されています。植物や動物だけでなく、山や川なども生き物と捉えていたアイヌの歴史や文化をいまこそ学んでみたいと思いました。
 獣医さんを目指す学生さんはもちろん、大人の方にもぜひお読みいただきたい一冊です。

Ameba
http://ameblo.jp/daisy-field2013/entry-11724399782.html
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野生動物が絶滅していく理由

2013年12月13日 | 読後感想
9月下旬のアファンの森を終わりました。一息ついて、『動物を守りたい君へ』の書評です。

 今、ライオンやトラといった大型肉食獣が、絶滅の危険があるという。なぜ、地球上で強いとされる大型肉食獣が、絶滅の危機にあるというのだろうか。
『動物を守りたい君へ』(高槻成紀/著、岩波書店/刊)は、「動物のため」と思っていることは本当に正しいのか、野生動物を絶滅から守るにはどうしたらよいのか、といった動物たちとともに生きるための視野を広げてくれる内容になっている。
 ライオン、トラ、チーター、ユキヒョウ、ピューマは大型のネコで、すべてが絶滅の心配をされている。クマも絶滅の危険がある。オオカミや南アメリカのタテガミオオカミはイヌの仲間で、場所によっては絶滅し、またその危険が大きいところもある。これら大型肉食獣は現在生き残っていても、ほぼすべてが絶滅の可能性が大きい。それには共通の理由がある。
 大型肉食獣は大量の食物が必要で、大型の草食獣を殺して食べる。そういう大型草食獣が暮らすには十分な植物がある広い土地が必要だ。しかし、植物があって、広い土地があっても、小型草食獣はいるが大型草食獣はいないということもよくある。ライオンは小型草食獣を食べては生きていけない。大型肉食獣が生き延びるためには、さまざまな条件がすべて揃っている必要があるのだ。
 19世紀後半くらいから人口が増え、森林が伐採されたり、草原が農地に変えられることが多くなった。そして20世紀になると、ますます野生動物が生きていける場所が少なくなり、植物はあるが大型草食獣がいないということが頻繁に起こるようになった。さらに、性能のいい猟銃ができ、自動車を使って狩猟するようになると、草食獣も肉食獣もどんどん数が少なくなった。ライオンやトラも今では、ごく狭い範囲にしかいなくなってしまった。
 体が大きく、遭遇してしまったら、人間などひとたまりもない大型肉食獣でも、生物学的に見れば、その生息環境から実は一番ひ弱な動物なのだ。
 本書では、ペットをどうつきあうか。家畜はどうみるか。といった私たちのもっと身近な動物についても触れている。動物と人間がどうつきあっていくべきか、動物をどう守るべきなのか、考えさせられる1冊だ。
(2013.11.24 , 新刊JP編集部)
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福島 測定

2013年11月22日 | 読後感想
福島県の職員の方に案内してもらいました。線量測定器を持参して、あちこちで測定していました。人体に影響のあるようなレベルではありませんが、しかし確実な数値が出ていました。私もだんだんと「このきれいな景色が汚染されているのだ」という実感が湧いてきました。




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「動物を守りたい君へ」の感想

2013年11月21日 | 読後感想
獣医さんらしい人が以下のような文章をどうやら獣医学を学ぶ学生に向けてかいておられます。なんと出版直後に書かれたものです。にもかかわらず読み込みが深く、日頃からこのことを考えておられることがわかります。

http://takehiro-vet.sakura.ne.jp/wordpress/archives/12876

独り言
管理人:名古 孟大
2013.10.19

獣医師になりたい君へ。
 高槻成紀さんの『動物を守りたい君へ』(岩波ジュニア新書)という本が出た。
 印象的な導入部から始まる本である。
 動物生態学者である著者の研究室を訪れた女子中学生が、著者に質問をする。
「獣医になって、事故などで傷ついた野生動物を助けたいが、どのような勉強をすればいいのか?」
 と。
 それに対して、著者は、1年間で交通事故に会うタヌキの個体数や、傷ついた動物が野生復帰できる可能性について伝えた上で、こう答える。
「野生動物を守るために本当に大切なことは、事故などで傷ついた野生動物を治療することではなく、動物が事故に遭わないようにすることだ」
 野生動物を助けたいのなら、目指す方向が間違っているぞ、というわけだ。
 小・中学生向けの新書レーベルによくこれが採録されたな、というくらいの、なかなか過激な書き出しである。
 しかし、著者の言っていることは、間違ってはいない。
 真理と申し上げてもいいくらいのものだ。
 漁網に巻き込まれたウミガメを治療したり、交通事故にあったシマフクロウの治療をしたり、といった活動は、ドラマチックなために世間の耳目を集め、「野生動物の保護とはそういうものだ」というイメージをもたれやすいけれど、そういった活動は、野生動物の保護の本質ではない。むしろ、「本質的な活動」がうまくいっていない場合の、敗戦処理に近い。本質的な活動とはもちろん、著者の言う、「動物が事故に遭わないようにすること」である。どんなにいい保険に入っていても自動車事故を起こさないのがいちばんであるように、動物だって傷つかないのがいちばんだからだ。
 獣医学は、動物が交通事故に遭わないための環境設計については、なんの知見ももたらさない。
 野生動物を保護するための本質的な活動を担っているのは、私たち獣医師ではなく、生態学者や行動学者の方々である。
 だから、本気で、「野生動物を守りたい」と考えるのなら、そういう方面の勉強をするべきである。獣医学ではなくて。いや、獣医学的知識が役に立つこともなくはないが、それは、生態学的知見を補助するものであって、単品ではあまり役に立たないのだ。
 野生動物の分野で活躍してる獣医さんもいるでしょう、と言うかもしれないけれど、よく見て欲しい。そういう人はその足に、二足の草鞋を装着しているはずだ。
 獣医師の仕事は、基本的には、人間社会の内側で、産業動物や伴侶動物の健康管理をすることと、衛生的な環境を維持することに限られる。それ以外のことは、「社会から求められるから」助力をするのであって、自らしゃしゃり出る類のものではないのである。
 では、そういう場所では中心的な役割を担っているのか、というと、そうではない場合が実はしばしばある。
 やっぱり、「敗戦処理」をしていることはけっこうあるのだ。
 たとえば、乳牛に発生する病気のほとんどは、「商用に牛乳を生産する」ということそのものに起因するものである。日本中に、安価で安全な牛乳を安定供給するために、乳牛には、年間で8000リットルくらいの牛乳を生産することが求められているが、そのこと自体が、彼女の身体に様々な障害を発生させるのである。日本における乳製品の消費量が半分くらいになったら、あるいは私たちが牛乳に倍の値段を払うようになったらたぶん多くの問題は解決するはずで、つまりそもそもの問題は我々の社会設計にある、ということになる。社会設計に不備があるので、その矛盾を解決するために獣医師が働いているのである。
 あるいは、チワワという犬がいる。愛玩用として極端に小さく改良されたために、しばしば難産である。獣医師は分娩を介助し、あるいは帝王切開をし、母子の生命を守るわけだが、この問題は、チワワがもっと大きくなればおそらく解決するはずで、つまり問題の根は「小さい犬が欲しい」という我々の欲望の内にある。その欲望と、「犬」という生物の物理的生理的制約との間に矛盾があるので、それを解決するために獣医師が働いているのである。
 ここでも、ほんとうに大切なことは、「乳房炎を治したり難産を助けたりすること」ではなく、「乳房炎になるほど牛に負荷をかけなくてもいい社会を作ること」や「難産になるような品種を作出しないこと」の方である。そして、そういうことを実現するためには、いわゆる獣医であるよりは、官僚や政治家になった方がいいかもしれない。
 動物を守るために獣医になる、というのは、崇高な志ではある。そのような志を持つ人は、「他のことよりは動物好きだからなんとなく」というぼんやりした理由でこの道を選んだ私に比べたらほとんど聖人だとも言える。
 が、しかし。
 「動物を守る」という仕事には、獣医師を登場させる前にやるべきことがたくさんあり、獣医師を登場させないことが「成功」である場合がたくさんある、ということは、心にとどめておくべきだろうと思う。
 『動物を守りたい君へ』という本には、そのためにどうすればいいのかを考えるためのヒントが詰まっている。
 受験勉強も佳境かもしれないが、余裕があったら読んでみてくれ。
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読後感想1

2013年10月30日 | 読後感想
「動物を守りたい君へ」を読んでの感想を頂戴しました。ご本人の了解を得て、紹介したいと思います。

高槻 先生

昨日、岩波ジュニア新書『動物を守りたい君へ』を拝受しました。ありがとうございます。

一読後、高槻先生の子どもに向けた語り口は、とてもやさしく感じました。わたしの家の娘が、ちょうど、今、中学3年生で、将来の事をあれこれ悩んでいるようです。ちょうど娘に語り書けるようで、読んでいて、暖かくなりました。

わたしは、この本を読んでいて、特にペットや家畜のところでは、アフリカの猟師マルセルのことを思い出しました。マルセルは猟の獲物も、生きた家畜も等しく<ニャマ>と呼んでいました。アイヌや琉球の猟師は、食肉と生きた家畜は区別したのでしょうか? 実は、わたしも、アフリカの村人の見方に習ってニワトリを「冷蔵庫の要らない生きた鶏肉」と呼んで(まさか、原稿に書いたのではありません)、ある編集者さんから呆れられたことがありました。しかし、「呆れるほど奇妙なものの見方」と言うより、アフリカと日本の価値観の差のように思っています。それには経済力もあるのでしょうが、根本的な人間観や自然観の差があるのではないかと疑っています。

チンパンジーの認識は、ヒトとは違います。その事を言い換えれば、チンパンジーとヒトで、「住んでいる世界が違う」と言うことになります。いちばん大きな違いは、たぶん象徴性を持つか持たないかということです。ヒトには象徴性があるから<ことば>があり、記憶がある。しかし、チンパンジーには、少なくともヒトのような象徴性がみられません。

わたしたちは保全という考え方が世界の共通認識のように「誤解」しているのですが、実はヨーロッパの考え方のような気がします。「ヨーロッパの考え方」とは、キリスト教的な世界観ということになるのでしょうか。猟師マルセルにとって、我われが野生動物や食肉やペットと区別して認識するものも、全て<ニャマ>です。そのかわり、我われには見分けの付かない火に、いくつもの種類があるのだと言います。その内のある火は、いのちある野生動物を肉に変える火です。火を起こせるか、起こせないかは、一人前のおとなとして、プライドが懸かっているのかもしれません。

などと、愚にもつかない事を考えながら、読んでいました。いつかまた、わたしからも贈れるように、がんばって書きます。ありがとうございました。
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これを寄せてくださったのは三谷 雅純さんで、チンパンジーの研究者です。感想はさまざまですが、その人にしか書けない感想をもらうとほんとうにうれしいものです。自分の書いた文章が読んだ人をある世界に引きずり込んで、そこに思考や想像を産み出すとしたら、なんとすばらしいことでしょう。三谷さん、ありがとうございました。
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